2−5 閑話2
※ほぼリーンハルト視点
騎士団詰め所の入口が見える植栽の陰に隠れてエミーリアを待つ。
しばらくして、目の前をメイドの制服を来た彼女が走り抜けていった。
彼女がスカートを持ち上げて爆走するのを見るのは久しぶりだ。
最近しなくなったのは、流石に公爵夫人としてよくないと思ったからだろう。
屋敷内くらいはいいんじゃないかと僕は思うんだけどね。息せききって僕のところに飛び込んでくる彼女は、元気いっぱいでこちらも楽しくなったから。
おや、エミーリアが受付で面白いことをしている。あの姿で、貴族女性しかしない礼をしてしまった。慌てて誤魔化しているけど、相手は城の騎士だよ?
彼女がただのメイドでないことがあっという間にバレてしまった。習慣ってのは怖いね。
まあ、彼等も貴族の気まぐれには慣れているだろうから詮索しないでいてくれるよ。
しかし、させる気は全くないけど、彼女は潜入捜査に向いてないな。
・・・ふーん、彼女が恋文を渡しているのは、フィリップか。恋人がいると聞いたことはないけど、どうなるかな。
それにしても、頼まれものとはいえ、妻が他の男に恋文を渡して、にこやかにおしゃべりしている光景を見るのは。物凄くストレスが溜まるな。一言で言うと、不愉快だ。
その黒い感情のままに、エミーリアがスキップして目の前を通っていった時、腕を伸ばして捕まえようとしてしまった。
あまりにも彼女が満足そうな顔をしていたものだから踏みとどまったけど、胸のもやもやは消えない。
こんな仕事を彼女に回したカールに今度文句を言っておこう。
後をつけるべく隠れ場所から出た僕は、同じく彼女の後をつける王太子妃殿下の侍女集団と出会った。その中にうちの侍女のミアを見つける。
「やあ、ミア。」
「だ、旦那様、何故ここに・・・!?」
いつも飄々としているミアにしては珍しく動揺している。
面白いから、知らんふりしてみようかな。
「私は、近くに用があって通りかかったのだけど、ミアこそこんなところで何をしているの?義姉上の侍女たちも一緒になんて、まさか、エミーリアに何かあったの?」
心配そうに尋ね返せば、ミアが慌てている。
もう少し突っ込んでみたいところだけど、エミーリアを見失いそうだから、ネタばらしして追いかけよう。
「なんてね。実は私も君達と同じでエミーリアを追いかけているんだ。義姉上と話はついてるから、ここからは私が彼女を引き受けるよ。ミアも一度、義姉上の部屋へ戻って。」
僕はいうだけ言って、走りだした。エミーリアが義姉上の元へ戻るなら、その前に捕まえないと。
彼女はちょうど、城内へ入る扉の前にいた。
王族の私室がある棟へ入ろうとした彼女はそこで足を止めた。追いついて確保しようとした僕は思わず下がって隠れる。
彼女は何を思いついたのか、身体の向きを変え、表の執務棟へと早足で歩きだした。
彼女が何処へ向かうのか気になった僕は、距離を置いてついていった。
あれ?この方向は、僕の執務室じゃないかな。
予想は当たってメイドの格好をしたエミーリアが、僕の執務室の前をうろうろしている。
そういえば、昔も僕に会いたい女性が何人かこうやって部屋の前で待っていて困ったことがあったっけ。
あの時は少々迷惑だったけど、大好きな彼女がこうやって会いたいと思って来てくれるのはとても嬉しい。
それでは彼女を僕の部屋に誘導しようかな。
「ああ、ちょうどよかった。君、手伝ってくれる?」
僕に驚いているエミーリアを囲い込んで、そのまま部屋の中へ連れ込む。後ろ手で鍵を閉めたのに、彼女は全く気がついていないみたいだ。本当に、この無防備な人をどうしてくれよう。
以前、彼女が密室でカールに口説かれていたことを思い出した僕は、掃除用具を理由に逃げ出そうとする彼女にちょっと黒い感情を向けてしまった。
真剣な顔で窓を拭く彼女を幸せな気分で眺めていたら、植木鉢を移動させようと持ち上げた彼女の顔がふわっとほころんだ。
多分、自分が育てた花だということに気がついたんだと思うけど、その笑顔は反則。
花より綺麗なその笑顔に、僕は無意識に引き寄せられていた。
気がつくと彼女の背後にいて、じょうろを持つ手に触れていた。
本当はそのままぎゅうっと抱きしめてキスしたかったのを、まだ彼女はバレてないと思っているのだからと、ぐっと我慢した。
随分と近づきすぎたから、バレていると分かっちゃったかもしれないけれど、どうかな?
まだまだメイドの彼女を見ていたくて、本の片付けを頼んだら、不審気な目を向けられた。
そうだよね、普通はメイドにそんなこと頼まないよね。
彼女の目が側近のヘンリックはどこへ行ったと聞いている。でも、ヘンリックがいないと言えば、仕方なさそうに片付け始めてくれた。
これでまだしばらく彼女の働く姿を眺めていられる。
机に頬杖をついて本を棚に次々と片付けていく彼女の後ろ姿を見つめていたら、だんだん落ち着かない気持ちになってきた。
どうしてか、彼女の背中が怒っているように感じられるのだ。
そっと顔を盗み見れば、眉間にしわが寄っている。普段見られない貴重な表情だ・・・けど、怖い。
僕は何か、彼女の機嫌を損ねるようなことをしただろうか?
そろそろ彼女も、僕が変装に気づいてるとわかってるだろうし、それでも用を頼んだのが悪かった?
だんだん彼女の気がそぞろになってきた。残りを引き受けようかと近付けば、ちょうど最後の一冊を背伸びして戻したところだった。
が、押し込む力が足りてなかったのか、重たい本が重力に引っ張られて落ちてきた。
危ないっ!
声には出さず彼女に当たる前になんとか受け止め、二度と落ちてこないように押し込む。
その勢いのまま、彼女に注意すれば、しゅんとなって謝ってきた。
うっ、黒髪眼鏡のエミーリアもかわいい。
そのまま彼女の横に両手をついて閉じ込める。ついでに前にカールがやってたやつの上書きをしておこう。意外と普段こういうことをするタイミングって掴めないんだよね。
改めて変装した彼女をじっくりと眺める。
髪の色が違うだけでいつもと同じ彼女のはずなのに、受ける印象が変わって新鮮だ。
そして、レンズ越しに目があった彼女は・・・とても恐ろしい表情をしていた。
え、なんで?!
「もしかして怒ってる?」
恐る恐る尋ねてみれば、更に怒りを煽ったようで彼女の背後に燃え盛る炎が見えた。
わー、初めてみた・・・。
更にそのまま、ぎらりと睨みつけられ、背筋が凍った。
「貴方、今私を口説いてますか?!」
物凄くドスの聞いた声で言われた僕は、思わず両手を挙げて悪意がないことを示した。
エミーリアが本気で怒るとこんな風になるんだ・・・。でも、心当たりがないんだけど?!
「ご結婚なさってるのに?!」
彼女が渾身で放ったその言葉で、僕は脱力した。
・・・彼女は僕が変装を見破っていることにまだ、気がついていなかったのか・・・。
怒っている理由が分かって安堵するとともに、心の奥から喜びが湧き上がってきた。
これって、嫉妬だよね?彼女は自分で自分に嫉妬している状態だけれども、それでもこんなに怒ってくれるんだ。
それは、彼女がそれだけ僕のことを好きだと思っているということで。他の人に取られたくないと思っているということで。
夫冥利に尽きると言おうか、本当に嬉しくてたまらない。
可愛らしすぎるので少しだけからかってから、正体がバレていたことに動揺する妻を抱きしめた。
彼女の匂いはいつものままで安心する。
大丈夫、君以外の女性なんて興味はないよ。
怒っても泣いても笑っても綺麗でかわいい、僕の奥さんは君だけ。
■■
翌朝。
「ウータ!急いで今すぐきて!お呼びよ!」
けたたましくメイド長が私を呼ぶので休憩室の入り口へ行くと、そこにハーフェルト公爵閣下がいらした。
「おはよう。呼び出してすまないね。」
「おはようございます。え?王太子補佐様の幻・・・?」
私は突然、幻が見えるようになったらしい。日々の激務で、脳まで疲れ切っちゃったのかしら?
目を擦って、もう一度見直してもまだそこにいる。すごーい、本物みたい。
遠くからしか見たことがなかった淡い金の髪も、薄青の瞳も、きらきらの雰囲気も全部現実みたいにそこにある。
ぼーっと眺めていたら、
「リーンハルト様、お時間がないのでさっさと済ませてください!」
公爵閣下の後ろから声がした。
目を遣れば、いつも側にいる黒髪の男だった。
あれ、ここまで揃ってる幻ってすごくない?・・・まさか、本物・・・?
「!!!」
声が出なくて腰が抜けた私と、同じ目線になるようにすっと腰を落とした公爵閣下は、私の膝に甘い匂いのする大きな袋をのせて小声で言った。
「ウータ、昨日は妻が世話になったね。彼女がお礼をしたいというので、クッキーを作ったんだ。よかったら昨日の皆で食べて?それから、彼女のことは内密に頼むね。」
それだけ言ってさっと立ち上がって背を向けた公爵閣下は、そういえば、と振り返った。
「それ、僕と彼女が型を抜いたんだよ。すごく楽しかった。では、また何かあった時はよろしくね。」
今度こそ、公爵閣下の姿は目の前から消えた。
私は膝の上のハーフェルト公爵夫妻が型抜きをしたクッキーの重みに潰されそうだった。