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※エミーリア視点
「あのー、こちらに先月まで城下町の警備を担当してらした、フィリップ様という方はおられますか?」
ウータのおかげで、迷わず騎士団詰め所へたどり着けた私は、息を切らしながら受付に尋ねた。
係の人も騎士なのだろうか、よく鍛えられた身体つきをしている。
彼は鋭い目つきでジロリとこっちを見下ろして口を開いた。
「今呼んできますが、あなたのお名前を伺っても?」
「ミリーと申します。」
つい習慣でスカートを摘んで礼をする。
あれ、もしかしてメイドってこういう動きしないんじゃない?
気づいた時はすでに遅し、相手の顔が驚きに塗り変わっていた。
うわーん、やっちゃった。
急いでスカートをパタパタはたく動作で誤魔化して、笑顔で首を傾げて見つめ返す。
さっきのはなかったことに!
「し、しばらくお待ちくださいっ!」
係の人は焦った顔で走って行ってしまった。うーん、誤魔化せたのかな?
・・・とりあえず、私が公爵夫人だってバレなきゃいいでしょ。
待っている間暇なので、ちょっとだけ見学しようと身を乗り出して門から中を覗き込む。
あ、誰か訓練中だわ。結構激しくやり合うのね。
あら、その訓練を並んで見ているのは、うちのスヴェンとデニスじゃない?
思わず手を振ろうとして思いとどまる。危ない危ない。うっかり自分から正体をバラすところだったわ。
私が城内にいる間、彼らはここで訓練してたのね。お疲れ様。
そういえば、お義姉様のところに置いてきたミアは今何をしているのかしら。
窓拭きをしていたら、思ったより時間がかかってしまったし、これを渡し終わったら直ぐに戻りましょう。
そう決めて、ポケットから恋文を取り出し、シワを伸ばして形を整える。よし綺麗。
「お待たせしました、私がフィリップですが、貴方は?」
後ろから声を掛けられて、小さく飛び上がって振り返った私の前にいたのは、デニスのようにがっしりした体つきの大きな男性だった。おお、大きい。
リリーの好みは視覚的にも頼れる人、かしらね?
フィリップは初対面のメイドが何の用で来たのかわからず、戸惑っている。
よし、一晩考えた台詞を使う場面が、ようやくやってきたわ。
「はじめまして、私、リリーの友人でミリーと申します。あの、この手紙をリリーから預かってきたので、受け取っていただけますか?」
「リリー・・・?」
「え、ご存知ないですか?!ええっと、確か、城下町とエルベの街の境目にある薬屋さんの娘さんです。」
「焦げた小麦色の髪に茶色の目のあの子?」
「そうです、そうです、その子です。」
私はぶんぶん首を縦に振る。よかったー。知らない人からの手紙なんて受け取ってもらえるわけがないから、思い出してくれて助かったわ。
一瞬持ち帰った手紙をがっかりするリリーに返す自分が見えてしまったわ。心臓に悪いったら。
胸を押さえて大きく息をついて、改めて手紙を両手で差し出すと、フィリップはひょいと受け取ってくれた。
よかった!任務完了よ!
見なさい、カール。問題なくできたわよ!
「そういえば、返事はどうします?来週で良ければ私がまた受け取りに来れますけど、他人が恋文の返事を仲介するのも野暮かしら?」
「え、返事?これって恋文なんですか?!」
ふと思いついて返事のことを聞いた私に、フィリップが驚いたように聞き返してきた。
なんだと思ってたの?薬のカタログでも、果し状でもないわよ?
あら、知った途端に真っ赤になったわ。
これはリリーにいい返事が届けられるかもしれないわね。
ワクワクしながら期待する私に、彼は何かを決意した顔で告げた。
「返事は、次の休みに、直接言いに行きます。ミリーさん、届けてくれてありがとう。」
「わかったわ。後は若いお二人で、ってやつね。リリーにはそのことを伝えておくわ。」
フィリップと別れた後、お義姉様の部屋へ戻るべく、上機嫌でスキップしながら城まで戻ってきた私はふと思いついて足を止めた。
この変装姿なら、リーンに気付かれずに彼の仕事姿を見ることが出来るんじゃないかしら。
お城にいる時に会いに行っても、彼は私のために手を止めているし、何より、皆がいう怖い雰囲気の王太子補佐姿は見たことがないのよね。
私の前とどれだけ違うのか、見てみたいという好奇心が抑えられなくなった私は、そっと執務棟へ足を向けた。
大丈夫、あちこちに忙しそうに移動しているメイドの姿があるし、私も風景の一部となっているはず。
リーンの執務室の前まで来て、周囲を確認した私は、はたと気がついた。
それで、どうやって部屋の中に入ればいいの?
まさか、いつものようにノック一つで入れるわけがない。
どうしよう、行き詰まった。
「ああ、ちょうどよかった。君、手伝ってくれる?」
それでもなんとかしてひと目見ることができないかと、扉の近くをウロウロしていたら、後ろからよく知った声が聞こえた。
驚いて振り向けば、探していた人物がそこにいた。
リーン、部屋の中に居るんじゃなかったのね?!
「私ですか?!お手伝いって・・・?」
周りを見回すも、彼の視線は真っ直ぐにこちらを見ているから、私のことで間違いないだろう。
私、遠くからちらっと見れたらいいなあくらいで、そんな近くでのお手伝いは希望してないんだけど。
そんなことしたら正体がバレちゃいそうだから辞退したい。誰か、代わってくれるメイドはいないだろうかと周りに助けを求めようとしたところ、リーンが近づいてきた。ひええ。
「うん、黒髪の眼鏡の君。さあ、入って入って。」
有無を言わさず、部屋に押し込まれた。えええ、逃げ場がなくなったんだけど!
「あの、お手伝いって何をすればよろしいのですか?」
こうなればバレる前に全てを終わらせて逃げよう!私は、彼の仕事姿を見るより自分の身の安全を優先することにした。
「じゃあ、窓拭きと花の水やりお願いしていい?」
「承知いたしました。」
と答えたものの、この部屋の掃除はいつも朝に終わっているはずじゃない?
窓もそんなに汚れてないように見えるし・・・それより何より今の私は掃除用具を持ってないじゃない?
よし、取りに行くふりをして逃げよう。
私は笑顔でリーンを振り返った。
「あいにく、今は掃除用具を持っていませんので、ちょっととってまいります。」
そのまままっすぐ扉に向かおうとしたら、目の前に彼が立ちはだかった。
満面の笑顔だ。なんで、どうして!
「掃除用具ならそこの足元にあるよ。水やり用のじょうろは植木鉢の横ね。」
え、全部揃ってるの?!おかしくない?
おかしすぎるけど、あの笑顔の彼に、それを聞いてはいけない気がする。私は黙って窓の所に戻り拭き始めた。
作業を始めると集中して周りの音も聞こえなくなり、私は窓が綺麗になるまで黙々と拭き続けた。
よし、終わったわ。次は水やりね。
ふと視線を感じて後ろを振り向くと、リーンが嬉しそうな顔でこちらをじっと見ていた。
・・・窓が綺麗になったことがそんなに嬉しいのかしら。意外と綺麗好きなのね?
「あら、この花・・・。」
窓を拭いている間、横へずらしてあった植木鉢を窓の前に戻しながら思わず声が出てしまった。
よく見れば、この花は去年に私が種から育ててリーンにあげたものだわ。
庭師に教わりながら三鉢植えて一番綺麗に咲いたものを執務室にでも飾って、とプレゼントしたんだった。
そっか、屋敷で見ないと思ったら、お城のほうの執務室に置いてくれてたんだ。しかも、私があげた時より勢いが良い。大事に世話してくれてるんだなあ、と思ったら嬉しくてひとりでに顔が綻んだ。
「これ、葉を避けて根本にそっと水をやるんだよ。」
突然、耳元で聞こえた声に驚いて、持っていたじょうろを落としそうになった。
「はわっ」
「おっと危ない。驚かせたかな、大丈夫?」
いつの間に背後を取られたの?!
真後ろにぴったりと彼が居るので、振り向けない。流石にこの距離じゃ、バレそう!
バレたら、怒られる。もしかしたら、相談所の仕事をとりあげられるかも。
がっちがちに緊張しながら、手を添えてもらい教わったとおりに水をやる。
お願い、早く執務に戻ってください!
とにかく、私から離れて!