インフォームドコンセント
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パチン!
大きなスナップ音がして、瞬きすると世界が大きく変わっていた。夕方の赤い光に包まれた長閑な風景から、今は無機質で四角い部屋に変わり、男とアイリスはその隅に並んで立っていた。
部屋はだだっ広い。壁は白くて扉や窓は無く、壁から発っする光が部屋を照らしていた。中央には四足の簡素な机があり、机を挟んで背もたれのある椅子が二脚あった。
「着きましたわ。」
隣にいたアイリスは掴まれた手を離し、机に向かってコツコツと歩き出した。見れば、いつの間にか白のタイトスーツ姿に衣装が変わり、踵が高い白のヒールを履いて金縁の眼鏡を掛けていた。長かった髪の毛は、きつ目のアップに結い上げられていた。自分はと言えば、男は死んだ時のスーツを纏っていた。
「さっ、お座りください。仮名:平田ジュリアスさん。」
片方の椅子に近づいて手で引き寄せると、男に座るように促した。
「え?あぁ、うん………。」
急な展開に戸惑っていたが、言われるままに歩いて席に着くと、アイリスは机を挟んで向かいの椅子に座った。そしてベランダにいた荘厳な雰囲気とは打って変わって、キビキビとした事務口調で話し始めた。
「さて、仮名:平田ジュリアスさん、これからお伝えする話は貴方の使命、"次なる世界"への移行に関わることが中心になります。この大イベントについて、送る側のワタクシから送られる側の貴方に、簡略な状況説明と今後の展開予定をお伝えしたいと思います。疑問、質問については遠慮なく仰ってください。納得いただけたのを踏まえて、"次なる世界"にお送りしたいので。」
「あぁ、だからインフォームドコンセントなんですね?」
「ええ、その通りです。」
男はアイリスが部屋を変える前に発した「インフォームドコンセント」を思い出した。
インフォームドコンセント(informed consent)とは医療の現場で行われる手法で、医師と患者の間で「説明を受け納得したうえでの同意」を得ることだ。医師が患者の病気や容態を伝え、治療の流れ(検査、治療の内容、処方される薬等)について十分な説明をしていく。患者は内容を理解して納得した上で、医師と情報の認識を共有し、方針に同意して治療を受けていくというものだ。
効果としては、医療従事者と患者の間に信頼関係が出来たり、患者だけが受け身にならずに積極的に治療に参加するようになるという点がある。
今の場合は「"次なる世界"への移行」というものの説明が詳しくされるのだろう。
「お水は要りますか?」
「あぁ、ハイ、お願いします。」
パチン!
アイリスがスナップを一つ鳴らすと、何処からか水の入ったコップが机の上に用意された。
(便利な指だなぁ。)
と、男は思いながら差し出された水を一口飲んでみると、身体中が潤っていくのが感じられた。
「それでは、仮名:平田ジュリアスさん、色々と確認することがあるのですが、………。」
「あ、あの?さっきから気になるんですが、僕は平田なんて名前じゃないですよ。正しくはですね………。」
「あー、それは問題ないんで、気にしないでください。」
「えっ?どういうことでしょうか?」
「『平田ジュリアス』というのは、"次なる世界"で与えられる予定の栄誉ある御名前です。ただ現時点では確定していないため、形式上『仮名:平田ジュリアス』様と呼ばせて頂いております。他の方も同様に対応しておりますので、そのように宜しくお願いします。」
アイリスは金縁の眼鏡をクイッと上げながら淡々と説明した。
「はぁ………。」
『他の方も同様に』のセリフが出れば、いかにも役所的な対応である。話を聞いて何となく分かった気になった男は、素朴な疑問を尋ねてみた。
「"次なる世界"で使う名前ということは、オレは、別の世界に移るのでしょうか?」
「そう考えて頂いてよろしいかと思いますが、貴方は『転生』についてどんな認識をお持ちでしょうか?」
アイリスは両手を机に置いて指を組む姿勢を取りながら質問してきた。
「えぇっと宗教的な詳しいことは知らないんですけど、漫画や小説、アニメや映画とかでよくネタにされてますよね?不慮の事故で死んだ主人公が前世の知識を持ったまま別の世界に生まれ変わるとか、神様が不手際で死なせた償いで主人公にスゴイ能力を持たせて転移させるとか………。」
男がそこまで話した時に、バンッと音がしてビックリした。見れば怖い顔をしたアイリスが両手で机を叩いたのである。
「神に不手際や間違いはありませんッ!!全ては決められた目的がありますッ!!」
美形な人が怒った顔は、本気で怖い。超怖いのだ。その剣幕に圧倒された男は何も言えなかった。
アイリスは一息つくと元の指を組んだ姿勢に戻り、説明を始めた。
「声を荒げてしまい申し訳ありません。転生については諸々間違った流説があるものですから。更に『通常の』転生を担当する者の中には、面倒な説明を省いてチャチャッと『やっつけ転生』をする不届き者がおりまして。貴方の場合は手続きに誤魔化しがあると、後々のワタクシの立場にも影響がありまして。つい口調が荒くなりましたわ。」
(何だか急に生々しくなってきたなァ。)
口調はどうあれ、天使にも仕事の監査とかがあるようだった。
「俺の場合、というのは何ですか?」
「そうです。そこから始めなくては!」
アイリスは気持ち前のめりになって、
「仮名:平田ジュリアスさん、貴方の人生は『正の転換起因点』として認定を得ました。お喜びください。」
と、ニッコリと告げてきた。男は褒められたようだが、いまひとつ実感がなかった。
「正の転換起因点、とは?」
「魂の一生には他の魂と触れ合う機会が無数にあります。そのほとんど全ては、ただ触れ合っただけで終わりますわ。ただ稀に、極稀に他の魂の運命を正しい方向に変えてしまう触れ合いもあります。そんな触れ合いを誘引した魂の存在を指します。貴方の世界では、カリスマのあるリーダーや慈善家、優れた学者や芸術家といった魂は漏れなくその対象になります。」
「んー…、でも俺はそんな偉い人ではなかったし………。」
『スゴイことをした』と言われても、男の人生にそんなイベントはなく戸惑うだけであった。
「貴方の人生のハイライトは、貴方の死そのものにありますわ。」
「俺の死?」
「そうです!死は人生の一部。そこで少なくとも3つの事績が起きました!」
パチン!
アイリスはそう言ってスナップを大きく鳴らすと、今度は部屋の壁に巨大なスクリーンが映し出されたのだった。
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