そして死ぬまでのこと2
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夜になっても自動車が多く行き交う駅前の交差点。
その歩道に、喚き散らす罵声が響いた。
「うおぉらぁぁー、舐めてんのか?コラー!!」
彼女とのデートを妄想していた男は、すぐさま意識を現実に戻し、声のした方向へと視線を向けた。
そこには、赤のダウンジャケットにデニムパンツの若い男が、なんと小さな子供の腹を勢いよく蹴り上げているところだった。
蹴られて宙に浮いた子供は、路上を転げ回ってうずくまった。見れば小学生くらいの背丈で、この冬の寒い中を白いTシャツと半ズボンのみの格好であった。
急な異常事態を目にしてしまった男は、驚いて息を呑むしかできなかった。自分と同じように遠巻きに数人が囲んでいるが、暴れる男の勢いに飲まれて誰も動くことができなかった。
「誰がオメーを世話してンだよぉぉぉ!アァンッ?この使えねーガキがっ!」
半狂乱の若い男はうずくまる子供の背中の上から足裏を叩きつけた。
若い男の発言からして二人は親子関係のようだったが、凄惨な暴行シーンを見せられると、とても家族とは思えなかった。
荒れ狂う父親はさらに少年の襟元を掴んで持ち上げると、勢いよく前方へ投げ飛ばした。
まるでボロ切れのように投げ出された少年は、驚いて立ち尽くすくことしかできなかった男の目の前に転げ落ちた。
「ウゥゥー………」
呻き声を上げる少年を見れば、既に体中が多数の擦り傷や切り傷に覆われていた。
男は一瞬だけ身体が固まったが、反射的に膝を突いて子供を抱き上げた。
少年の顔を正面から見ると、片方の瞼が青黒く腫れ上がり目が潰れていた。
「ひどいっ……!」
思わず声に出してしまう。児童虐待という言葉が頭に浮かんたが、ここまで酷い仕打ちは見たことがなかった。
「オイッ!ガキ!こっちに来い、オラァッ!」
父親は少年に戻るように命令してきた。しかし、戻れば更に暴力を振るわれることを分かっていたのだろう。少年は父親の声を聞くと、ビクリと体を震わせて固まってしまった。そして、縋るように男のズボンを掴んできた。
「さっさと来いよゥ、このグズがぁッ!!」
命令に従わない少年に苛立った父親はズカズカと少年に近寄り、腕づくで引き寄せようと迫ってきた。
余りにも酷い仕打ち。そして顔の半分が潰れ、寒さと恐怖の余りに身体を震わせる少年を目にしてしまった男は、父親を止めるために図らずも親子の間に立ち塞がった。
「アァァンッ?なんだぁテメェは?」
自分の進路を妨げる男に苛立ち、父親は身体全体で凄んできた。
男は正直、その怒声にビビってしまうが、背後で自分の足を離さない小さな手の感触を思うと後に引けなくなった。
「あ、貴方はやりすぎですッ!けっ、警察を呼びますよッ?!」
声が裏返ってしまったが、精一杯勇気を出して父親に立ち向かった。
これで引いてくれれば良かったのだが、さらに怒った父親の目は血走り、懐に手を入れるとナイフらしき刃物を取り出した。
「警察だぁ?呼べるンなら呼んでみろや!怖かねェンだよ!オラァッ?」
明らかに父親は狂っていた。酒のせいか、もっとたちの悪い薬のせいか、理性というものを全く感じさせなかった。
「ウラァーッ!」
そして手にした刃物を振りかざし邪魔する男に切りかかった。
背後の少年は近づいてきた父親を見て、その場にうずくまってしまった。
「うわッ!」
襲いかかる刃物から身をを守るために、男は反射的に頭を庇う姿勢を取った。前方へかざした腕に鋭い痛みが走った。前腕を深く切りつけられたのだ。
「ッ……!」
この時、男に不思議な現象が起きた。痛みはすぐに無くなり、目にする光景が間延びしてスローに流れていくのを感じた。頭は妙に冴えて冷静になり、男は襲いかかる刃物を抑えようと父親の手を抑えつけた。
二人は取っ組み合いを始めた。何としても少年を守りたい男は父親を少年から引き離そうと奮闘したが、半分狂った若い父親も反撃をしてきた。
グサッ!
男の腹に熱い痛みが走った。
ザクッ!
更には左胸にも異物が刺さる感触を感じた。
このままでは負けてしまう。少年が襲われる。
そう意識した男は全力で腕に力を入れ、父親を離さないようにしがみついた。
「離れろヨォ!このカス野郎がァッ!!」
奇声を上げてもがく父親が暴れるのを、男は我武者羅に歯を食いしばって抑えこんだ。
何とか押し返すことができて、少年と父親の間に十分な距離が取れた。
正にその時、不意に男はツルリと足を滑らせてしまった。
予想外の動きに少年の父親は対応できず、もみ合った二人は歩道から交差点に飛び出てしまった。
次の瞬間に白い光が視界を照らし、ドンッと衝撃を受けて空に身体が跳ね飛ばされるのを感じた。
「キャーッ!!」
悲鳴が耳を走る。
身体がボールのように弾むのを感じた。
幾つものタイヤのブレーキ音が鳴り響く。
すぐに多くの人々の叫び声が行き交った。
「警察を呼ぶんだ!」
「ボク?!大丈夫かい!?」
「人が跳ねられました!救急車っ、来てください!」
(あぁ、自動車に跳ねられたのかな?)
男は場違いなくらいに落ち着いていた。ゆっくりと今の状況を把握していった。
仰向けに倒れた身体は水を含んだ砂のように重い。指先をピクリとも動かせなかった。首から上はまだ機能していたようで、視界を巡らせてみる。
ほんの数メートル先には、先ほどまで格闘した少年の父親が白目を剥いて倒れていた。その視線の先には、警察服を着た男達に囲まれて、傷だらけの少年が立ち尽くしていた。その表情は青白く、こっちを見て泣いているようだった。
(良かった、誰かが助けを呼んでくれたんだ。)
自分の目的が果たせたことに男は安堵した。
安心して気が緩むと、急に喉の奥から鉄臭い血が逆流するのを感じた。
同時に激しい息苦しさが襲ってきた。空気を吸おうとしても胸が動かない。血圧が上がってきて鼓動が頭を震わせる。呼吸も浅くなってきた。
息が苦しい。助けてくれ。
救急車のサイレンがやけに遠い。
気管に大量の血が詰まり息ができなくなってきた。苦しさのあまり目元から涙が伝う。
その時、胸元から電子音が鳴った。携帯電話だ。この音は彼女からのメール着信音だった。
(あぁ、そうかデートの、相談していたっけ?……ゴメン、このままだと、返事は難しそうだ……。)
「大丈夫ですか!しっかりして下さい!」
自分への掛け声と共に、数人の誰かが近づいてくるようだったが、目で確認しようにも首に力が入らなくなっていた。
一度に気を失うのでなく、少しずつ徐々に身体の感覚が失われていくのが恐ろしかった。
(これが、死ぬってことなのか?怖い、怖いよゥ……!)
男は意識が遠のいていく恐怖の中、額に冷たい粒を感じた。朦朧と目線を上げれば白い粉が片目に入ってきた。
冷たい刺激に思わず目を閉じてしまったが、
(何が起きたのか?)
重くなった視線を上げて夜空を見上げた。
見ればそれは無数の雪粒だった。暗闇の空から舞い落ちる真冬の白い奇跡。
(綺麗だな……。)
冷たい美しさに安らぎを覚えながら、意識が薄れていく。両目の瞳孔が広くなり、心音が途絶える。
男の生は途絶えていくのだった。
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