第二話
あの出会いから数日経ち、あれ以降彼女と会うことは無かった。相変わらずセミの鳴く声はうるさく耳を塞ぎたくなるものだった。鬱陶しい熱気が体を包む。
座っていると後ろから声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん、アイス食べるー?」
振り返るとそこにはアイスを咥え、もう一つ片手にアイスを持った妹が元気なさげに聞いてきた。
妹の梓。4つ歳が離れた妹だ。自分にシスコンの趣味はないが身内目線でも活発で明るく可愛い妹だと思う。しかし、この暑さにいつもの元気は奪われているらしい。
「サンキュー」
ソーダ味のアイスを受け取れば、暑さで袋も汗をかいていた。少し溶けていたため急いで咥える。
縁側に座りながらアイスを食べ、二人はぼーっと澄み切った空を見上げていた。
すると近くにあるスマホから通知音が鳴り、ー通のメールが届く。
『暇だろ!?いつものところで集合な!!』
いつものあいつからのメールだった。メールからも騒がしい性格なのが伝わってきた。決めつけられるのは心外だが、実際やることもなく暇をしていたため。
『了解』
と返事をして着替えてウエットスーツを袋に入れ自転車に跨った。
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自転車を漕ぎながら海へと向かう道中、ふと彼女のことを思い出していた。名前も知らないはずの彼女の事が気になって仕方がなかった。
また同じ場所に行けば彼女に会える気がして少し期待が膨らみ、自然と立ち漕ぎになり自転車を漕ぐ速度も上がっていった。
いつもの到着時間よりはやく到着して、滴る汗を拭きながらスマホを見れば、拓巳から一通のメールが届いていた。
『悪い、用事ができて少し遅れる』
メールを見て深いため息ついた。こんな事ならもう少し家でゆっくりすれば良かったと後悔したが到着してしまえば時すでに遅く、既読をつけ、諦めて自転車を止めいつものロッカーまで歩いて行く。
ロッカーの鍵は拓巳が持っているためどうする事もできず、ロッカー横にあるベンチに座りながら穏やかに流れる海を見ていた。
「あの子は居ないよな」
ボソッと一人呟いた。
「あの子って誰ー?」
声のする方を見るとそこには先日の彼女が首を傾げながら立っていた。相変わらず白のワンピースに麦わら帽子をかぶって佇む彼女にまたも鼓動が早くなっていくのを感じた。
「いや、えーと…」
突然の出来事にうまく話せず慌ててしまい、「君の事だよ」なんてキザな台詞を思いつくも声には出せなかった。
「ここ座っていい?」
彼女は一樹の座るベンチを指差して笑顔で聞いた。
「い、いいよ?」
そういうと慌てて横にズレて、座る場所を手ではたきワンピースが汚れないように砂を落とした。
「ありがとう」
彼女はスッとベンチに座り、麦わら帽子を外しす。
風が彼女の髪を撫でるように吹けばサラサラの黒髪は美しく靡いていた。その光景に一樹は息を呑み、沈黙が辺りを支配した。
緊張も少し解け、沈黙の後に一樹は切り出した。
「お名前は?」
まるでお見合いのような台詞に自分で言って恥ずかしくなり顔を赤くする。凡そ、高校生の男子が緊張しながら女性に聞くような台詞ではない事は一樹が一番理解していた。
「私の名前は沙羅」
その光景を見て面白かったのか、笑いながら彼女は自分の名前を答えた。
「沙羅さんはいつもここにくるの?」
慌てて話を変えようと一樹は話題を変え質問を重ねた。
「沙羅でいいよ?この辺に住んでるからよく遊びにくるよー」
クスクス笑われれば彼女は楽しそうに答えた。
「そ、そうなんだ」
一樹は顔を赤くして言葉に詰まった。平均的な顔立ちをしている一樹は学校でも女子との交流がないわけではないため、人並みには女性と話せると思っていたが彼女の前だとうまく話す事ができなかった。
また沈黙が辺りを包む。彼女は足をブラブラと揺らしていた。汗がじわっと滲むがこの汗はただ熱いだけのものではなかった。
沈黙を破ったのは、一樹でも彼女でもなく、スマホの通知音だった。
『もう着く、着替えて待っとけ』
やけに上から目線のメールだが今は救われたと感じた。
「これから友達とサーフィンするんだけど見て行かない?」
一樹はサーフィンの腕前は中々のもので彼女にかっこいい姿を見せられると思い元気よく切り出した。
「ごめんね?帰らないの…」
彼女は悲しそうな表情を浮かべそう言いながらベンチから立ち上がった。
「そっか…」
彼女より悲しそうな表情で一樹は言った。こんな時どんな事を言ったらいいか分からない。
麦わら帽子を被り直し、砂浜を歩いて行く彼女を呼び止めるように大きな声で叫んだ。
「沙羅!また会えるよね?」
「またすぐに会えるよ!またね一樹くん!」
彼女は立ち止まり、振り返って手を振りながら満点の笑顔で大きな声で答えた。
その答えに満足したのか一樹も笑顔で彼女が見えなくなるまで手を振り続けていた。
彼女が見えなくなってしばらくすると拓巳が入れ違いのように走って現れた。
「遅れちまったよ…って、変な顔してどうした?待たされて暑さにやられたか?」
拓巳は一樹の表情をみて少し心配そうに聞いてくる。一樹の顔は蕩けていた。
「暑さにはやられてないよ」
一樹はそう答える。未だに彼女が消えていた方向を見ていた。
「てか、なんで着替えてねんだよ。すぐできるようにこの格好できたのに」
拓巳に視線を移すと彼はすでにウエットスーツに着替えていて自慢気に腰に手を当てていた。どうやら家からここまでウエットスーツ出来たらしい。
その光景を見て一瞬で現実世界に戻された感覚がして、ため息を漏らした。一樹はゆっくり着替え始めた。
「行くか」
「おう!」
着替え終わればロッカーからボードを取り出し、ストレッチをする拓巳に声をかけ海へと向かう。
彼女の瞳と同じ色をした青い海へと走って行った。
彼女を追うように、彼女に会いに行くように…