第89話 ゲグリソ族の村
「逃げていいのかよ、俺たちの無罪を証明しなくていいのかよ」
満月が浮かぶ夜の中、ベータスたちはナサガキの町の中を走っていた。
「いいんですよ。敵の狙いは私たちです。時間が経てば経つほど我々に有利になります」
「だがマッカの方はどうするんだ。彼女は闇ギルドに殺人と誘拐を命じた張本人にされたんだぞ」
走るギメチカにガムチチが訊ねた。マッカとは会ったことがない。ゲディスの婚約者と言われても嫉妬はしていなかった。むしろ彼女が汚名を着せられたことに憤慨している。ゲディスのためにも彼女の無実を証明したいのは、ガムチチも同じであった。
「必要ありません。そもそもガムチチ様はマッカ様をご存じない。彼女は手代が暴走することを予測しています。恐らくは手痛いしっぺ返しを食らいますね」
ギメチカはにやりと笑う。一体どこにそんな根拠があるのだろうか。
ナサガキの町は賑やかだ。もちろん住宅街は静まり返っている。ギメチカたちはそこを通り抜けているのだ。
「私たちはこれからアマゾオへ向かいます。夜なら追手も来ないでしょう。闇の中ならガムチチ様の独占ではありませんか?」
確かにその通りだ。アマゾオでは魔法による明かりはない。代わりに真っ暗で危険な獣が潜むジャングルで生き延びるすべを知っていた。
冒険者になってもその感覚を忘れないように心掛けている。
「だが装備品はどうする? 俺たちの荷物はすべて……」
ガムチチは走りながら言いかけたが、すぐに察した。ギメチカには収集魔法がある。通称アイテムボックスだ。ギメチカなら取り上げられた荷物を回収することなど当然やっているはず。
ギメチカはにこりと笑う。荷物に関しては問題なさそうだ。
だがナサガキには門がある。夜中だから門は閉じているはずだ。だが今夜に限って門は開いている。
どうやら何か事故が起きたようだ。兵士たちが地面に零れ落ちたどろどろを回収していた。これはスライムオイルといい、スライムから取れた燃料である。すぐ火に付くので魔法の光を漂わせていた。淡い光の中、兵士たちは怒声を上げながら回収作業に勤しんでいる。
門の近くには大型の馬車があり、数多くの樽が散乱していた。どうやらどこかの商会が町を出ようとしたときに樽を落としてしまったようである。
樽にはモーカリー商会と記されていた。
「くそぉ、なんで俺たちがこんなことをしなくちゃいけないんだ!!」
「仕方ないだろう!! スライムオイルが散乱しちまったんだ!! こいつを片付けないと下手すりゃ大爆発を起こして大惨事だ!!」
「それにしてもモーカリー商会の奴ら、門が閉まるギリギリの時間に出ようとしたら、樽の中身をぶちまけやがった。まったくむかつく野郎どもだ」
「そういうな。残業代と処理費はすべてモーカリー商会が払うことになっている。それに終わればボーナスが支払われるからがんばろうぜ」
「ちっ、まあ早く終わらせますかぁ!!」
兵士たちは愚痴をこぼしながらスライムオイルを回収していた。彼等は回収作業に夢中になっている。
ギメチカたちはその横をさっさと通り過ぎた。兵士たちもまさか真夜中に人が出ていくとは思っていなかっただろう。代わりに魔獣が町に入らないように警戒はしていた。
中年のハゲ親父がうなだれていた。どうやらオイル運搬の責任者のようである。するとギメチカに気づいたのか、親指を立てた。ギメチカも親指を立てると、三人はトナコツ王国の草原の闇に消えていったのだった。
☆
「あいつが門を開くようにしてくれたのか」
明け方、ガムチチたちは川辺で一休みしていた。ギメチカが裸エプロンのまま、朝食の準備にかかる。
「はい、そうです。あの方はマッカ様の忠実な手代です。彼は我々が脱獄することを予測して、事故を起こしてくれたのです」
「事故を起こしたって……。なんでそんなことがわかるんだよ」
ベータスは首を傾げていた。そもそも自分たちが牢屋から逃げ出すなどわかるはずはないのに。
「実は過去に私はマッカ様やあの方とお話したことがあります」
ギメチカが説明した。マッカは元気いっぱいな女の子だが、商売に関しては優秀だった。さらにキャコタ王国の留学では危険な外国の町で命の危険を晒されたこともある。
そんな彼女はお飾りの会頭ではなく、実質トナコツ王国の商会を牛耳っていた。ハゲ親父はその部下で幼少時からマッカの面倒を見ている。さらにゲディスとも顔見知りだ。ギメチカとも面識がある。
「彼も私も互いの性質を理解しております。私の正体も知っておりますから、今夜中に脱獄することも予測していたようです。手代ですが商品の運搬を任されていますからね。門を開くことで私たちが逃げることを予測していたのですよ」
なんという話だろうか。そもそもギメチカたちが逃げ出さなければすべては無駄になっていただろう。それにスライムオイルをばら撒いた損害は大きい。彼は責任を取らされるだろう。ガムチチはなんとなく気が重くなった。
「多分、こちらの用事が終わればすべて解決しますよ。今はベータス様の師匠に会いに行くのが先決です」
ギメチカが言った。ガムチチはそれもそうだと覚悟を決める。
さてアマゾオは亜熱帯雨林である。ナサガキでも薄着の人間は多いが、アマゾオではさらに身に着けるものが少なくなる。
腰蓑は特定の虫以外の害虫を寄せ付けない草で作られていた。腰蓑だけでも蚊は寄ってこない。もっとも裸足だとダニやアリに喰われるので分厚い靴が必要だ。それに葉っぱが素肌に触れると傷つくこともある。
目指すガモチホの森はアマゾオの中心部にある。周辺の村でもめったに近づく者はいない。モンスター娘はもちろんの事、魔獣たちも強いと言われている。
ガムチチはアマゾオに対していい思い出はない。正確には父親に虐待された過去を思い出すからだ。
今はゲディスとの甘い日々が、つらい過去を塗りつぶしてくれた。口の中でガムチチはゲディスの感謝を述べると、森の中を進む。
まずはガモチホの森に近い村へ行かねばならない。アマゾオでは余所者を嫌うが、放置もしない。森を通るなら通行料を支払うのがしきたりだ。もちろん貨幣はないので倒した魔獣で支払うことになる。
「確かアマゾオにもスキスノ聖国の教会があるはずですが」
「あるよ。でも大抵はぶらぶらしていたな。村の連中と編み物をして楽しんでいたよ。向こうはこちらの宗教を無理に変えようとしないからな」
ガムチチは思い出した。アマゾオの一番大きな村にはスキスノ聖国の教会が立てられていた。もっとも宣教活動はしておらず、むしろこちらの宗教について詳しく勉強したりしていた。
アマゾオでは排せつ物は土に戻す。大便は女神ヤルミの一部であり、大地に戻すことで肉体を修復する考えがあった。
それも赤い土を優先にして、焚火で産まれた灰も一緒にばらまくのが一般である。
それ以外にも焼き畑で焼いた畑の跡地に、大便を埋めている。森の木はヤルミの毛だからだ。女神に毛が無いのは失礼にあたる。
さてガムチチたちはある村にたどり着いた。ビグチソ族の村だ。木で作られた家が並んでおり、外には毛皮を着た人間が歩いている。魔獣の牙で作られた首飾りをしていた女性がいたり、手には鈴をつけた槍を持つ男などがいた。
露店では食虫植物が吊るされていた。薄緑色の壺のような植物だ。中には果実が詰まっており、果実酒として売っている。
中には麻の服を着た人間もいた。ナサガキから来た人間だろう。馬車が止まっており、馬が鳴いている。
そんな中でレンガ造りの教会が見えた。なんとも場違いに見える。だが教会の前で一人の男が喚いていた。紺色の法衣を着ているので、スキスノ聖国の神父であろう。
「くそぅ!! お前らはスキスノ聖国の命令が聞けないのか! ペッペ!! 我らアジャック卿が法皇になった暁には、お前らの教えなど絶対に認めないからな!! ペッペ!!」
どうも神父は酔っぱらっているようだ。真昼間から酒を飲んでいるらしい。村人は呆れて遠目で見ていた。
「なんだありゃあ」
「どうやらアジャック卿よりの人間みたいですね。快適なスキスノ聖国と比べれば、ここの生活は地獄と思うでしょう」
本来、アマゾオに根付く教えを勉強するのが目的だが、アジャック卿はそれを嫌っている。他の宗教を潰して、スキスノ聖国の教えだけを押し付けたくてたまらないのだ。
それも信仰が厚いわけではない。自分の思い通りに事を運びたいだけなのである。
「むむっ!! お前らはガムチチにギメチカ、ベータスだな!! 教会の手配書で見たことがある!!」
神父がガムチチたちを指差した。そして大声を張り上げる。
「オマエラァ!! 今すぐこいつらを捕えるのだ!! そこのバニーボーイは生け捕りにして、他は殺せぇ!! わかったなぁ!!」
しかし村人は動かない。むしろ神父を軽蔑の目で見ていた。
「なんで動かないんだよぉ!! こいつらを殺せば金貨が手に入るんだぞ、お前らみたいな未開地の蛮族がお目にかかれない金がもらえるんだぞ!! せっかくのチャンスを棒にするつもりかぁ!!」
神父は半狂乱であった。やがてぐるぐると身体が回った後、ばったりと倒れてしまった。酔いつぶれてしまったのだろう。村人は誰も助けない。
「ふん。なんでお前の言うことを聞かなきゃいけないんだ」
「そうだそうだ。我らの神ストカロ様は外道の行いを認めない」
「あんたらはとんだ災難だったな。まあ、ゆっくりしていきなよ」
村人の一人が優しく声をかけた。彼等はベータスたちに対して敵意はまったくない。
「なんで俺たちを捕まえないんだ?」
ガムチチが尋ねると、村人はこう答えた。
「ガモチホの奥に住むゴロスリ様がおっしゃったのだ。お前たちを助けろとな」
「ゴロスリ? どこかで聞いた名前だな」
「それは俺の師匠の名前だね」
ガムチチの疑問を、ベータスが答えてくれた。




