第87話 アジャック卿の高笑い
「ぶははははッ!! 酒がうまいわッ!!」
インクをぶちまけたように夜が黒く染まるころ、スキスノ聖国の大聖堂にある一室。
丸っこい五十代ほどの中年男が馬鹿笑いを上げていた。部屋は金ぴかで、家具はすべて金箔が貼られており、キラキラと眩しい。さらにベッドは剣の稽古ができるほどの広さがあり、裸の女が四人ほど横たわっている。信者の女性で全員十代前半だ。
部屋の主はアジャック。枢機卿である。枢機卿とはスキスノ聖国で、教皇に次ぐ高位聖職者のことだ。定員70名で枢機卿会議を構成し、教皇顧問としてその補佐に当たり、教皇選挙権をもつ。
アジャックの場合、信仰が厚いわけではなかった。甥のゴマウン帝国皇帝、ラボンクが寄付したおかげで出世できたのである。
アジャックは丸い金ぴかのテーブルの前に座っており、数人の男たちが囲んでいた。彼等はアジャックの腰ぎんちゃくであり、太鼓持ちであった。
「ぶははははッ!! ゴマウン帝国の復活も近いわ!! 忌々しいゲディスを魔物として始末し、双子の弟を皇帝に祭り上げる!! なんと完璧な計画であろうか!!」
「そしてゲディスの身内を一人残らず殺す。アジャック卿の頭の切れは最高でございますな」
「まったくだ!! そのためにもゲディスの抹殺を急がせるのだ!!」
アジャックは高価な酒をがぶがぶ飲んでいた。つまみに骨付き肉をかぶりついている。枢機卿というより悪徳商人のようであった。
「しかしラボンクは馬鹿だな。アヅホラとバヤカロもそうだが、あんな間抜けな姿になったのは笑えるな」
アジャックは甥の不幸をあざ笑っていた。彼は別にラボンクたちを愛していたわけではない。利用していたのだ。ラボンクをおだてることで自分の出世の手助けをさせていたのだ。アヅホラも同じである。
ラボンクたちが魔王に取り込まれ、ラバアという永遠に邪気を浄化する存在になっても、悲しまなかった。逆に自分の後ろ盾が無くなり、悪態をつく始末であった。
彼にとって友人にしろ家族にしろ、自分の出世のための道具であった。利用できなくなれば捨てればいいという発想で、恩を返すどころか仇で返すのが常識だと思っている。
「バガニルやゲディスは賢すぎるからな。わしのために働こうとせん。逆にラボンクはおだてれば面白いようにわしの言うことを聞いてくれたからのう。わしの命令を聞かない者など死ねばよいのだ」
「まったくでございますな」「アジャック卿こそ、次期法皇でございます」「法皇になれば世界のすべてはアジャック卿のモノでございますね」
太鼓持ちたちが囃し立てる。アジャックはますます上機嫌になった。彼は闇ギルドを通じてゲディスの想い人であるガムチチの抹殺を依頼したのだ。ついでにバガニルとその子供たちの始末も依頼する。
アジャックにとってバガニルとゲディスは目の上のたん瘤だ。自分の言うことを一切聞かない、生意気な存在である。実際は周りの人間がアジャックに対して警戒感を抱いており、決して心を開くなと忠告されていたからだ。
そもそもアジャックは彼等の母親であるハァクイを嫌っていた。南国の島国から来た泥臭い未開地の女など娼婦と同じであった。文字の読み書きなど一切できない猿だと決めつけていた。
ところが彼女は博識で社交界の注目の的となった。アジャックはそれが気に喰わない。彼女に恥をかかせようと文学や政治の話を振ったが、よどみなく答えていった。逆にアジャックの間違いを指摘したくらいだ。
ハァクイの血を引く者はすべて嫌いだった。ラボンクは利用できるので生かしておいたが、時が来れば彼も始末するつもりでいた。
だが現実は厳しい。ゴマウン帝国は崩壊し、いくつかの国に分裂した。おかげで自分の元へ寄越されるはずの寄付が止まってしまい、イライラが止まらずにいたのだ。
ところがゲディスは魔物に変えられ、行方知れずになった。アジャックはそれを利用して、彼の抹殺を目論んだ。法皇の名前を利用し、世界中にある教会にゲディス抹殺の命令を下したのだ。
もちろん法皇は間違いを訂正しようとしたが、アジャックが邪魔をした。法皇は昼行燈なので自分が強引に迫れば何も反論できずにいたのである。
自分が法皇になれば、まず自分に逆らうものは破門にする。そしてゴマウン帝国を復活させ、世界中に戦争を仕掛けまくるのだ。ベータスはそのための御輿とし、傀儡政治のシンボルとして役立てるつもりである。
「未来は明るいわい!! ぶははははははははははははッ!!」
アジャックの高笑いが部屋中に鳴り響き、太鼓持ちたちは薄ら笑みを浮かべていた。
☆
太陽が天頂を通過した後、サマドゾ王国にある木々のまばらな林で一人の女性がお茶を飲んでいた。
簡易的に用意された白くて丸いテーブルに、白い椅子。白いドレスを身に着けた二十代後半の女性が優雅にお茶を飲んでいる。
傍には茶髪で眼鏡をかけたメイドが立っており、木のようにじっと立っていた。開けた原っぱでは子供が二人遊んでいた。
いや一人は男の子で剣を手にしている。もう一人は女の子で魔法を使っていた。
女の子が火の玉を撃ち込み、男の子が剣で火の玉を叩きつぶしているのだ。二人は稽古をしているようである。
その様子を女性は温かく見守っていた。サマドゾ王国の王妃バガニルである。子供たちは男の子がワイトで、女の子がパルホだ。双子の兄妹である。
メイドは双子の乳母であるアブだ。
「ねぇ、アブ。周りに敵はいないかしら?」
「おりません。そもそもわたくしよりも、バガニル様の探知の方が上かと存じますが」
「今はバニースーツを着ていないから、感度は低くなっているのよ。でもろくなのがいないわねぇ。モンスター娘はともかく、魔獣すら寄り付かないわ」
「エロガスキー様が一部の領地に結界を張りましたからね。強い魔獣は来れないでしょう」
エロガスキーとは大魔王の事だ。普段は王都の西にあるハボラテの都に住んでいる。時々山のような巨体で空を飛び、領民たちを驚かせていた。それ以上に親しみがこもっている。
「噂の闇ギルドでは私たちに賞金がかけられたのでしょう? 誰も殺しに来ないのはおかしくありませんか?」
「全然おかしくありません。そもそもサマドゾ王国でバガニル様を殺そうとする者など皆無です。闇ギルドの面々でさえ、こんな依頼を出したやつは頭がおかしいと嗤っているくらいですから」
「残念ね。ワイトとパルホに対人戦を教えたかったのだけど」
バガニルはお茶を飲む。彼女は自分たちの命が狙われていることを知っていた。闇ギルドの人間が教えてくれたのである。
闇ギルドは確かに盗みや殺人を犯す。だが権力者にとっては便利な存在だ。法律では調べられない事や対処できないことも、闇ギルドを通せば融通が利く。あまりにも問題を起こす者を秘密裏に抹殺することもある。王族や貴族は奇麗事で済まされない。自ら手を汚す覚悟も必要なのだ。清濁併せ吞む器量が大事なのである。
「依頼を出したのはスキスノ聖国の司祭です。この人はアジャック卿を支持しております。もちろんこの国の司教様はそれを知りません。恐らくアジャック卿が秘密裏に自分の支持者に命令を下したのでしょう」
「あの人はスキスノ聖国が世界を支配していると勘違いしているからねぇ」
アブの話を聞いて、バガニルはため息をついた。
スキスノ聖国は世界各国に教会を建てている。基本的にスキスノ聖国では光の神ヒルカと闇の女神ヤルミの子、セロクス神を信仰していた。人に寄り添い、助け合うことを教義としている。寒さで震えている人がいれば抱いて暖めてあげるという教えがあった。それ故にスキスノ聖国では父親がわからない子供が多い。もっとも生まれた子供は宝なので、大切に育てよという教えもあるので、邪険にはされない。
カホンワ王国では古くからタイナイモ神を信仰していた。物を大切にし、人の身体も活用するように教えられている。これは人の身体を解剖し、人体を調べることを重要視しているのだ。それ故にカホンワ王国では医療技術が発達しており、治癒魔法を使わなくても迅速に治療ができる。
トナコツ王国ではストカロ神がおり、糞尿は女神の身体の一部なので、大地に返す信仰がある。川や海に流すと女神の血が汚れるので、禁止されていた。さらに家畜の肥料にしてはならないという教えもある。
キャコタ王国ではブカッタ神が国だけでなく、貿易商にも崇拝されている。店にはブカッタを象った陶器が置かれていた。キャコタではブカッタさんと呼ばれており、アブミラという巫女が最高指導者として崇められていた。
「特にゲディスがブカッタ神に変えられたのは驚いたわね。あれならキャコタの商人に保護を求めれば、安全だわ」
「ブカッタ神は商売の神様。商人にとっては絶対的な存在。殺すなどありえませんからね」
バガニルは一枚の紙を手にした。それは角の生えた豚の姿絵であった。ベータスによって変えられたゲディスである。
「恐らくアジャック卿はゲディスを魔物として始末し、ベータスを新たな王に据えたいと思っているのでしょうね。あの方はラボンクのおかげで出世しましたが、ラボンク亡き後、口汚く罵っているでしょう」
バガニルは歯ぎしりした。アジャックがラボンクを愛しているわけではなく、金を出してくれる出資者としか思っていないのだ。確かにラボンクは問題のある弟であった。だがラボンクを堕落させたのはアジャックだ。うまくやればラボンクが魔王に取り込まれることはなかった。アジャックは憎むべき敵だ。
「まったくこれを考えた人は、相当相手を憎んでいますね。それもただ殺すだけではなく、徹底的に苦しめるつもりなのでしょう」
バガニルは吐き捨てるように呟いた。
ワイトとパルホは話に加わらず稽古を続けていた。その様子をバガニルとアブは温かく見守っている。
アブは第53話に出てきたワイトとパルホのメイドです。
今回バガニルを出しましたが、話をするのはアブがいいと思いだしたのです。
 




