第80話 スキスノ聖国の法皇
「うーん、これはいったいどういうことかなぁ?」
男がけだるそうに答えた。立派な紫色の法衣を着ている。年齢は四〇代後半で金髪碧眼、口元にはひげを生やしているが、どうにも似合っていない。
彼が座っているのは黄金と高級な赤い布で作られた椅子だ。周囲は円形で机と椅子がいすが並んでいる。
そこには薄緑の法衣を着た男たちが座っていた。彼等は枢機卿や大司教たちであった。
一番高い椅子に座っているのはスキスノ聖国の法皇、ロセッラ・ヤコンマンだ。その右側には正装をしたイターリ・ヤコンマンが立っている。いつもの小悪魔的な男の娘ではなく、法皇を護る騎士であった。
「この文章、余が書いたものではないぞ。それなのに、なぜ修正を許さんのかね?」
ロッセラの手には一枚の紙があった。それは怪物にされたゲディスを探すために、世界各国にある聖国の教会に通達したものである。ところが内容がまったく変更されていたのだ。
本来は姿絵の人物を教会が手厚く保護するように、したためたはずであった。
ところが各教会で出回っているのは、ゲディスを生死問わずに賞金を出すという内容だ。
ロッセラはすぐに修正をしようと命じた。それをひとりの枢機卿が異議を唱えたのである。
「いけません、いけませんぞ!! 法皇猊下が軽々しく修正するなど、言語道断!! 修正は絶対に相成りませぬ!!」
それは太く丸っこい五十代の男であった。目つきは聖職者というより、与太者の親分のようであった。目元は隈ができている。
名前はアジャック。旧ゴマウン帝国の皇族であった。ゲディスの父親、クゼントの兄でもある。
「しかしなぁ、ひとりの男と双子の子供が危機に陥っておるのだぞ? 余の名誉などどうでもいいではないか、すぐに修正させるべきだと思うけどね」
「なりませぬ、なりませぬ!! 猊下の言葉は神の言葉!! それを軽々しく変えるなど、我々スキスノ聖国の生涯の恥でございます!! 我らは世界中の宗教を管理する者!! その頂点が二枚舌では信者たちはおろか、我々も不安になります!! よって修正は一切認めませぬぞ!!」
そうだそうだと、アジャックの周りでも声が上がる。彼等はアジャックの腰ぎんちゃくだ。彼等は革新派であり、保守派である現法皇のやり方に反発しているのである。
他の保守派は何も言わない。アジャックたちの声が大きすぎるので、彼等の声はかき消されてしまうのだ。
「それに運が良ければゲディス殿を生かしたまま捕獲する可能性もございます。人間の善性を信じずに法皇を名乗るのは許されませぬ!!」
まるで見得を切るように訴える。あまりにも声が大きく、耳がキンキンとしてきた。
他の面々もアジャックに賛成していた。彼等は法皇が嫌いなのだ。もっと権力を持ちたいという願望が強すぎるのである。
「ああ、わかったわかった。君たちの言うとおりにするよ」
ロッセラは面倒臭そうに手をプラプラさせて、その場を終わらせた。
☆
深夜、ここは法皇の部屋。平民の一軒家より広く、ベッドや机に椅子、本棚や洋服箪笥が揃っている。
部屋の真ん中に丸いテーブルが置かれてあり、そこにロッセラとイターリが囲んでいた。テーブルには紅茶とスコーンが置いてあった。
「いいのですか? アジャック枢機卿を好きにさせて」
「構わんさ。あいつのいたずらなどなんでもない。そもそも私が仕事をしなくなって百年は過ぎておるのだぞ。今では法皇など看板に過ぎん。誰がなっても同じだよ」
ロッセラはスコーンを食べながら笑っていた。
「そういえばなぜ手紙の内容が変わったのでしょうか?」
イターリは疑問に思う。彼はロッセラの書いた文章を読んでいたからだ。
内容は姿絵の人物をスキスノ聖国の各教会が保護するようというものだった。
それを秘書が内容を確認し、その手紙を伝書魔法で増幅させる。
手紙は鳥の形となり、世界各国へ飛んでいったのだ。魔女が手紙を送るために編み出した魔法である。
それに歴代の法皇が発明した魔法の紙を使用している。雨にも濡れず鳥も避ける優れモノだ。さらに一枚の文章を瞬時で何十枚も模写できる。
基本的に手紙は二枚書く。一枚は相手に送り、もう一枚は自分が所持するためだ。これは相手が内容を偽ったとき、証拠として残すためである。
現にここにはその手紙が残っている。
「答えは簡単だよ。秘書が裏切ったんだ。恐らくあらかじめ別の文章を用意したんだろう」
ロッセラはなんでもないように答える。秘書に裏切られたことなど気にも留めていない。二千年の間は裏切りや暗殺の日々だった。今更手紙の内容を取り換えたくらいでは驚くに値しない。
「アジャック卿に買収されたのでしょう。あの方はゴマウン帝国の皇帝の兄というだけで、枢機卿に出世した人です。ろくに勉強もしておらず、ただいばってばかりいます。そんな人を放置してよろしいのでしょうか?」
イターリは真面目に進言している。二人は親子だ。母親はフラワーエルフでエルフの里に住んでいる。
あまり親子の会話はないが、まったくないわけではない。
今は二人しかいないのだ。遠慮をすることはないのである。
「放置はしないさ。奴は自分と同じ王族上がりの司祭たちを集め、革新派を気取っている。人に迷惑をかけない程度なら許すが、最近は目に余るな」
「中立派だけでなく、保守派の信者たちを脅迫して自分の派閥にいれたりしてますしね。それに信者からも強引に金を巻き上げたり、商人たちから寄付を強要したりとやりたい放題です」
イターリは頭を抱えている。彼は次期法皇と呼ばれているが、アジャック卿にとって目の上のたん瘤だ。
さらにゲディスが魔物に変身したから、カホンワ王国は呪われている。聖国の名に懸けて滅ぼすべきだと進言する始末だ。
アジャック卿はゲディスを嫌っていた。今は亡きラボンク皇帝を愛していたのだ。弟のクゼントに皇帝の座を奪われたので、クゼント一家を嫌っていたが、ラボンクだけは別だった。類は友を呼ぶというか、自分と同じぼんくらのラボンクが好きなのだろう。
さらにアヅホラ・ヨバクリ侯爵の幼馴染であり、バヤカロも可愛がっていた。有能な姪のバガニルは蛇蝎の如く嫌っていた。もちろんゲディスも同じである。
それなのに一年前すべてが終わったのだ。ラボンクとバヤカロ、アヅホラは首だけの存在となり、永遠に罵り合いながら邪気を浄化する役割を与えられたのである。
アジャック卿のゲディス嫌いはますます増幅するばかりだ。しかも偉大なるゴマウン帝国はバラバラになっている。ゲディスが魔物に変えられたのを機に、彼を討伐してしまおうという魂胆だろう。
冒険者ギルドにも命令を出したが、真っ当な冒険者は嫌がった。特に花級の冒険者、シフンド三兄弟は義憤に駆られる始末であった。恐らく彼等はゲディスと出会ったら保護するつもりでいる。
ロッセラは一枚の紙を取り上げる。それは魔物の姿になったゲディスの姿絵が描かれていた。
黒インクで描かれているが、豚の身体に角が生えている。
「しかし、こいつを考えた奴は相当えげつないな。よほど相手が憎くて仕方がないらしい」
ロッセラはにやりと嗤っている。それは法皇に似合わぬ邪悪な笑みであった。




