第7話 皇帝ラボンク
「まったくむかついてしょうがない」
青年がぼやいた。年齢は二六歳で、短く刈った黒髪に整った顔立ち。豪奢な衣服を身に着けている。
そして青年はバルコニーに立っていた。ここはゴマウン帝国の城である。無骨な石造りの城で、建国から百年、諸外国からモンスター娘まで守り抜いた城だ。
青年の名前はラボンク・ゴマウン一世という。二十歳の時に父親である皇帝が亡くなり、即位したのだ。彼は当初気に食わない人間を排除しようとした。しかし帝国では法律が物を言う。
王座に腰を下ろすのは彼だが、政治などはダシマエ・オサジン侯爵が執政官として取り仕切っているのだ。皇帝は執政官という役職をつけねばならない。執政官は貴族たちの投票で決められる。オサジンは公正な投票で当選したのだ。
おかげで彼は好き勝手に行動できない。確かに皇妃バヤカロのためにドレスや宝石を用意し、夜会は開いているがそれほど予算を圧迫しているわけではなかった。
そこがラボンクにとって気に食わない。自分は一番偉いはずなのに、執政官に口を挟まれるのは我慢ならない。たまに外に出て現場に対してちょっかいを出すことがあった。
そのため農家は約束された豊作を無駄にされ、ダムなども工期を無理やり短縮させたために崩壊するなど散々であった。
おかげで最近は外に出ることも許されない。自分の意見した者を気まぐれに処刑と言っても無視されるのだ。
「ラボンク様、どうなされたのですか?」
一人の女性が声をかけた。金糸で作られた豪華なドレスを着た女性だ。年齢はラボンクと同じで、頭に銀のティアラ、胸には大きな赤い宝石のペンダント。手にはごてごてに宝石の指輪をはめていた。
さらに化粧が濃く、まるで絵画のようにべたべたしていた。香水もバラの香りがするがいささかつけすぎで、近くによると鼻が曲がりそうになる。
ラボンクの妻、バヤカロだ。ヨバリク侯爵の長女である。
「ああ、愛しのバヤカロよ。何、思い通りにならないことにむかついているからさ」
「まあ、もしかしてカホンワ男爵領で起きたことですの?」
「そうなんだよ。あれのせいで私の盟友であるロウスノ将軍が卑劣な罠で殺されてしまったのだ」
それは一月前の話であった。皇帝ラボンクはカホンワ男爵領に軍を差し向けた。
理由は謀反の可能性が高いということだ。実際のところまともな調査をしておらず、難癖に近いものだった。
これにはオサジン執政官は反対しなかった。軍の指揮はラボンクの幼馴染であるロウスノ将軍だった。彼は図体の大きいだけで、家柄だけしか能のない男だ。自分の思い通りにならないとかんしゃくを起こす性質で、ろくな特訓しかしない怠け者であった。闘技大会で優勝することはあるが実戦経験は全く欠けていた。
ロウスノ将軍は嬉々としてカホンワ男爵領を攻めた。二千人の兵力でもって男爵領を蹂躙し、略奪する予定だった。
だが結果としてロウスノ将軍は戦死した。それどころか二千人の兵士もまとめて死んだのだ。
男爵領の領内ではすでに人がいなかった。空っぽの村しかなかったのだ。
その上、家の中には罠が仕掛けてあり、扉を開ければ、吊るしてあった石の塊に頭をぶつけて死ぬものがいた。さらに井戸には糞尿が捨てられており、使い物にならない。
略奪もできず、兵士も罠によって死亡する者が出た。おかげで戦意は低くなる一方だ。
さらに男爵の屋敷には男爵夫妻が待ち受けていた。
彼らは屋敷に罠魔法を張り巡らせていたのだ。ロウスノ将軍は老人である夫妻を剣でなで斬りしたがそれがきっかけで屋敷は大爆発を起こした。さらに領地内に仕掛けられた罠が発動し、逃げようとした兵士たちを容赦なく殺していったのだ。
なぜそれをラボンクが知ることになったのか。ロウスノ将軍には魔法がかけられており、死亡したらその目で見たものを水晶玉で見ることができるのだ。
「まったく忌々しい夫妻だよ。あいつらは男爵の癖に人気がある。老い先短いくせに私を馬鹿にしているんだ。それに奴らの娘ユフルワはトニターニの嫁になっている。離婚して処刑しろと言っても聞き入れないし、子供までいるからな」
ラボンクは吐き捨てた。そもそもラボンクとカホンワ男爵では年齢が違う。経験の有無を問うのは筋違いだが、ラボンクはそう思わない。彼にとって自分より目立つ人間はすべて死ねばいいと思っていた。オサジンが止めなかったのはこれを予測していたためだった。
トニターニとは東部を治めるゴスミテ領の領主の息子だ。ユフルワはカホンワ男爵の娘で、ゴスミテ領に嫁いでいる。ラボンクはトニターニに対して離婚しろと命じたが、オサジン執政官に駄目だと言われた。ユフルワはゴスミテ領にとどまっており、帝都に来たことはない。来ないよう執政官が命じたのだ。
「その通りでございますわね。偉大なるラボンク様を立てることを知らない老害は死ねばよいのですわ。それにあの女などどうでもいいでしょう。トニターニは帝都の屋敷で愛人と一緒に過ごしてますから」
「はっはっは、言ってくれるな。彼らは耄碌した時代遅れの産物だ。トニターニの件はむかつくが、あいつは便利な道具だからな。殺すのは後でいいや。それ以前にあいつの死が確認されていない」
「あいつ……、―――でございますわね」
「ああ、我が弟ながら忌々しい奴だ。あいつが生きていると思うだけで胸糞が悪い。何としてでも調査して奴の居場所を探し出さねばならぬ。そこで幸せに暮らしていたら、思いっきり潰してやるんだ。そうカホンワ男爵のようにな……」
「それは明暗でございますわね。実弟でありながら皇帝陛下を立てない者など死ねばよいのですわ」
二人は邪悪な笑みを浮かべながら笑っていた。
しかしラボンクの弟とはいったい誰だろうか。
命を落としたカホンワ男爵夫妻と関係がありそうだが、それはまたのお話で。