第71話 神が降臨した
魔王が誕生して一月が経過した。現在は大魔獣の解体が終了し、各地の復旧作業に移っている。
とはいえ現状はひどいものだ。帝都内では皇帝派の領地は悲惨なもので、ほとんどが壊滅していた。
大魔獣による襲撃が多く、多くの人間が食われ、田畑と家は潰されている。
生き残った人間も大魔獣と同じく生まれた魔獣たちによって、食い散らかされていた。
サマドゾを含めた四連合は壊滅した家や死体の処分に追われている。
それでもバガニルやイターリによれば、被害は最小限に収まっているという。
「以前は国境などで大魔獣の襲撃を防げず、隣国に被害が広まっていたのよ」
「そうそう、戦争なんて起きるわけがないと高を括る国ほど、被害がひどかったね。まあこのゴマウン帝国も何度も襲撃を受けていたから、軍事力が高くなったんだけどね」
この地はカホンワ王国と呼ばれており、何度も大魔獣の被害を受けてきた。カホンワ王家の子孫であるダコイク・カホンワ男爵も養子であるゲディスに厳しい剣の修行をしていた。
それにカホンワ領の領軍も帝国軍より練度が高かった。ダコイクの妻であるイラバキが罠魔法を熟知しているのも、戦略として重要視していたためだろう。
「すべてはゴロスリ様の采配のおかげ……、といいたいけどね。それだけではなさそうだわ」
バガニルは不安そうであった。彼女らは現在帝都に来ていた。本来魔王が誕生した後、向こう十年は強烈な魔素によって生物が住める場所ではなくなる。なのに帝都では魔素がすっかり消えているのだ。
これはゴスミテ軍が調査して判明したのである。
さて帝都内を探索しているが、中は悲惨なものであった。帝国民の死骸がごろごろと転がっているのである。中には魔獣に喰われたものもあり、骨だけが転がっている場合があった。
腐った死体からはウジ虫が湧き、蠅がたかっている。一月以上も放置されたのだから仕方がないが、早く処理して焼却せねば伝染病が広まる危険性が高い。
「……ひどいありさまだな。前に来た時もゴミ溜めみたいなところだったが、一層ひどくなっているぜ」
ガムチチが顔をしかめながら言った。彼は外国人だ。当初帝都で仕事を見つけに来たが、帝国の排他的な考えが水に合わず、サマドゾ領のタコイメの町に逃げてきたのである。
元々印象は悪かったが、目の前に広がる光景を見てさらに嫌悪感が増した。
「……そうですね。国民は国の血液。放置すれば病気になるのに、兄上はなぜ悪化させたのでしょうか」
ゲディスが悲しそうな顔になる。彼はゴマウン帝国の皇帝の弟だ。六歳の頃、カホンワ男爵の養子になったが、貴族としての躾と教育はなされている。おとぎ話のような優しい領主はありえないが、領民をいかに暮らしやすくして税金をむしり取るかを考えていた。ゲディスは優しい性格だが領民の壁は作っている。今はタコイメで冒険者をしているが、あまり無償で人の親切に甘えることはない。
自分とガムチチの子供であるブッラとクーパルはタコイメの住民が世話をしてくれるが、きちんと対価を払っていた。
「魔王に影響された人間は、わかりやすい悪行を繰り返すようになるの。それは勇者も変わりはないわ。むしろ勇者こそその影響を受ける。そして勇者は太陽の光を蓄光し、魔王に取り込まれた際に一気に中和するの。それが二千年の間に二十回は繰り返されてきたわ」
バガニルの説明に、ゲディスは気が重くなる。そもそも姉はおろか母親、その先祖たちが魔女で、代々つらい記憶を受け継いできたのだ。ゴロスリの場合は周りの人間に恵まれたからよかったものの、本当なら大魔獣の被害はもっと広がっていたはずなのだ。
被害を最小限に食い止めたくても、魔女の話など誰も聞いてくれない。法皇の場合は宗教の力でなんとか抑えていたが魔女ほどでもない。人は法律より感情を優先したがる生き物だからだ。
「だけど今回は違う。魔素がすっかり消えるなんてありえない。いったい何があったというのかしら」
バガニルは首を傾げる。そこにウッドエルフのクロケットが口を挟んだ。
「そういえばバヤカロはぼんく、いえ、ラボンク皇帝と共に阿保面した豚も取り込みましたね」
阿保面した豚はアヅホラ・ヨバクリ侯爵のことだろう。それを聞いてバガニルは頭をひねる。
「アヅホラ卿も取り込んだ……? 私の記憶では魔王は勇者以外取り込まないのですが……」
「それと城を脱出したときに、城から光の柱が出てきて、何かが飛び出しましたね」
「―――!? なぜそれを早く言わないの!!」
クロケットが暢気そうに答えると、バガニルは血相を変えた。クロケットの証言によれば、魔王が勇者を取り込んだ際に城から光の柱が現れた。そしてそこから何かが飛び出たという。そんな現象は歴代の魔女でも見たことがない。
イターリも法皇の記憶を受け継いでおり、教団の暗部から情報は収集していたが、そんな話は聞いたことがなかった。
バガニルは空を見上げる。青い空には白い雲以外見えない。そこでバガニルはさらに視力を上げる。遠見の魔法だ。そしてバガニルはとあるものを捕えた。
それは三つの首であった。ラボンク、バヤカロ、アヅホラの首が飛んでいたのだ。くるくると右回りで飛んでいる。その表情は苦悶を浮かべていた。
「お前のせいだ、お前のせいで余は死んだのだ」「いいえ、お父様のせいよ、お父様のせいなのよ」「馬鹿を言うな、ラボンクのせいだ、このボンクラのせいでわしは殺されたのだ」
三人は互いに罵り合っていた。相手をかみ殺さんばかりであったが、全く届かない。恨み言を繰り返し、互いを憎み合っている。
バガニルはその光景をゲディスたちに見せる。三人の浅ましい姿を見てゲディスは涙を流した。
「ああ、兄上……。どうしてこんなことに……」
「……うん。ボクもこんなの初めて見るよ。これってどういうことなのかな……」
イターリも説明ができず、言葉を濁していた。
「……私が見る限り、あの三つの首は邪気を吸い取っていますね」
バガニルが空飛ぶ首を見ながらつぶやいた。
「バヤカロが大気中の邪気を吸い取り、ラボンクがそれを浄化している様子です。おそらく帝都内の邪気も彼らが浄化したのでしょう」
「でもそれはありえないよ。だって邪気と光の相性は最悪だ。それだと二人の首は吹き飛ぶはずだよ」
イターリが説明する。魔王が勇者を取り込むことで、ため込んだ邪気を浄化するのだ。それで生き延びた魔王と勇者は存在しない。
「だからこそ、アヅホラ卿なのです。あの人の首が間に入ることで緩和され、邪気の浄化を円滑に行っているようです。いったいなぜ……」
すると空から光が降り注いだ。それは巨大な二匹のひよこであった。右側はやたらと光るひよこで、左側は黒いひよこだ。
『フォッフォッフォ。初めまして地上に生きとし生けるものたちよ。我はヒルカである』
『そしてわたくしがヤルミです』
なんと光の神ヒルカと闇の女神ヤルミが降臨したのだ。しかも巨大なひよこの姿である。これにはゲディスたちは度肝を抜かれた。
『地上に住む我らの子供たちよ。もうお前たちは魔王の誕生に悩まされずに済むぞ』
『その通りです。今回誕生した魔王と勇者、その間に挟む人間のおかげなのです』
『我らはかつて創造神さまの命令でこの地に舞い降りた。この星に命を満たすためにな』
『ですがわたくしたちにも兄たちがおりました。わたくしたちの作る人間は必ず邪気を宿す。そのために破滅した星は幾度もあると教えられました』
『そこで兄たちから教えてもらった方法を使ったのだ。邪気をため込む器である魔王と、邪気を浄化する光の器の勇者。それらを合わせることで中和することにしたのじゃ』
『ですがこの方法では未来永劫、あなたたちに苦労を背負わせます。なので邪気と光を中和する人間を挟むことで、永遠に邪気を浄化することを作り出したのです』
『それが今日なのだ。もうお前たちは魔王の誕生に悩むことはない。我が授けた役目も今日で終わる。今までご苦労であった』
『もうこの地はあなたたちのものです。神の力は必要ありません。わたくしたちは創造神様の元へ戻ります。さようなら』
そう言ってヒルカとヤルミは天高く飛んでいった。呆気になるゲディスたち。
そんな中バガニルは膝を崩した。わなわなと震えている。
「そっ、そんな……。じゃあラボンクとバヤカロ、アヅホラ卿は永遠にあのままなの? 永遠に罵り合い、憎み合う。それを永遠に繰り返すというの?」
バガニルの目からぽろぽろと涙がこぼれた。そして爆発する。
「なぜ、なぜ三人はこんな地獄を味合わなければならないの!! なぜこんな!!」
バガニルは泣いた。彼女はラボンクが勇者となり死ぬことは覚悟していた。しかし今回は斜め上な展開であった。ラボンクたちは死ぬことも許されず、永遠に罵り合い憎み合う存在となった。
バガニルは三人を恨んでいない。彼女は彼等に馬鹿にされたり命を狙われても、相手にしなかった。
あくまで大事なのは自分の使命であった。魔王と勇者になる可能性を見た時、仕方がないと思ったのだ。
だがこの結末はあまりにも残酷であった。ラボンクの仕出かしたことは確かに重い。極刑になってもおかしくなかった。
だが永遠に邪気を浄化する役目を背負わせるなど夢にも思わなかった。
ゲディスも涙を流した。仲が良いどころか、最悪な仲の兄弟であったが、ここまで残酷な目に遭わせたいわけではなかった。逆に神の所業に怒りを覚える始末だ。
「ふぅ、神様って自分勝手だよね」
イターリは舌打ちした。バガニルほど感情を剥き出しにはしないが、嫌悪感を抱いているのは同じであった。
☆
ゴマウン帝国より遥か南方には海があり、キャコタ王国と言う島国があった。そこの城に一人の王子が住んでいる。
王子は窓際で読書に勤しんでいた。ところが北方で不思議な光が見える。距離的にも肉眼で確認できるわけではないが、王子はそれが何か確認できた。彼は魔法の目を持っているのだ。
「……まさか、あのような結末になるとは……」
王子は額に手を当て、よろよろと椅子に座りこんだ。そしてしばらく動かなくなる。目から一筋の涙がこぼれた。
数分後、王子は立ち上がった。そして目には決意を抱いていた。
「……おじい様の打診を受けなくてはならないな。彼を報いるには私が王にならなければならない。アブミラ様もご存じのはずだから、相談するとしよう」
そう言って王子はメイドを呼び、手紙を書かせる。それはブカッタ教団最高指導者アブミラへあてたものだった。
差出人はキョヤスと書かれてある。




