第七十話 魔女が死んだのか
ゴマウン帝国の城に魔王が誕生して、一週間が過ぎた。
魔王の誕生で発生した大魔獣たちは粗方倒されていった。そうでないものは急激な変化により身体が耐え切れず、死ぬ運命にある。
大魔獣の発生は人間の集落が襲撃される危険性だけではない。大魔獣の死骸によって疫病が流行り、大勢の人間が死ぬことだ。
現在、サマドゾ、ゴスミテ、オザジン、ヨバクリでは大魔獣の解体で忙しい。時間をかけて変化したならともかく、今の大魔獣の皮や肉はぐずぐずであった。それでも普通の魔獣よりは貴重なものである。
肉は臭みが強く、まともは食べられないが、保存食には最適であった。
さてゲディスとガムチチはサマドゾ王国へ戻ってきた。王都では難民の炊き出しで忙しい。
それにハボラテから来たケンタウロスの輸送体が馬車を牽いて、荷物を運んだりしていた。
ミノタウロスやオーク、オーガにラミアなどが難民のために働いている。領民はともかく、初見の者は驚いていた。中には魔物に対して逆上する者もいたが、そちらは人間の兵士が窘めている。
「ふぅ、大魔獣がいなくなったから、だいぶ落ち着いてきましたね」
「そうだな。しかし死骸が残っている。そいつらを始末しなければ終わったとは言えないな」
二人はパンツ一丁で歩いていた。この一週間、二人は黄金魂を発動させ、大魔獣を倒し続けた。
サマドゾ領に近接した領地だけではなく、ゴスミテやオサジン、ヨバリクへも飛んでいったのだ。
大魔獣は十人ほどで兵士が叩いていた。それでも数人死んでもおかしくない。
それがゲディス二人で大魔獣を倒したのだ。しかも数百体も。その姿は大勢の人間が見ている。
ゲディスが新たに国を建てるといっても、人民は納得するであろう。
人々はわかりにくい政治家より、強くてかっこいい勇者を好むものだ。
すでにサマドゾ領ではゲディスの人気が高くなっている。しかも王妃バガニルの弟でもあるのだ。
憧れの目を向けるものや、嫉妬の目を向ける者など様々である。
ガムチチはどこか居心地の悪さを感じたが、ゲディスは平然としていた。彼は男爵家の後継ぎとして育てられたため、領民の妬み嫉みを受け流す術を知っている。
「お前と最初に出会ったときは、まさか貴族様の息子とはわからなかったな」
「僕自身、それを話す気はなかったよ。あの時は姉上に見つかるのが怖くてね。ガムチチさんに出会わなければ僕は潰れていたかもしれない」
「潰れるって、俺がいなくてもお前は平気だろう」
するとゲディスはガムチチの後ろへぎゅっと抱き着いた。ゲディスの温かさが伝わってくる。
「僕は強くないんだ。本当は寂しくてしょうがないんだよ。使用人を相手に夜の営みを試したことはあったけど、ガムチチさんより気持ちよくなかった。ガムチチさんに抱かれた時の安心感は、母上の腕みたいに温かくなれたのです」
「照れるな。俺はそんな立派なもんじゃないぜ。帝都の空気が不味いからタコイメに逃げてきたのさ。とはいえお前と出会えたのは運命かもしれないな」
そうタコイメの町では空き家が目立っていた。若者は町を出ていき、老人たちばかりが残っている。
町の政策で若者を呼び込むために、空き家を提供したのだが、それにゲディスとガムチチが反応したのは、やはり運命としか言えないだろう。
「あら、二人とも。よく帰ってくれたわ。疲れたでしょう、ゆっくりと休みなさい」
そこにバニーガールのバガニルがやってきた。両脇には息子のワイトと娘のパルホがいた。
「姉上。ただいま戻りました。ですがあまり疲れておりません。黄金力のおかげでしょうか」
「それは錯覚よ。疲労は自覚してないけど、確実に溜まっているわ。馬車を用意しているから私の屋敷で休みなさい」
バガニルが言った。彼女は近くにいる兵士に指示を出している。王妃である彼女は休む暇がないのだ。
ワイトとパルホは残っている。二人は凱旋した英雄に会いたかったのだ。
「叔父上、おかえりなさいませ」
「うふふ、叔父様はすっかり英雄ですのよ。もう少し胸を張ってくださいませ」
ワイトはぺこりと頭を下げ、パルホはおしゃまに笑った。
だがゲディスは不思議に思った。なぜバガニルは子供たちをここに連れてきたのだろう。今は混乱している状態だ。全員がサマドゾ領に好意を抱いているとは限らない。ゴマウン帝国から紛れ込んできた人間もいるだろう。
それの予感は的中した。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!! メスウサギの餓鬼を殺してやるぅぅぅぅぅぅぅ!!」
男が一人剣を振るいながら、ワイトたちに突進してきた。完璧に錯乱状態である。恐らくラボンク皇帝の部下だったのだろう。ゴマウン帝国が滅んでしまい、自分の地位は消し飛んだ。体中、傷だらけになっている。権力をなくした者は暴力の対象となるのだ。
ゲディスは脚を引っかけた。男は豪快に地面に転がった。
ガムチチは男の背中を踏みつける。げほっとカエルのように息を漏らした。
「うがぁぁぁ!! 殺す殺す殺すぅぅぅぅぅぅぅ!!」
奇声が上がる。狂人は一人だけではなかった。男が一人二人と増えていく。
バガニルの子供を殺せば、自分たちの権力が復活すると思い込んでいるのだ。
ゲディスはパンツから陰毛を抜き取った。すると群衆に向かって張り巡らされていった。
男たちは陰毛の罠にからめとられた。まるで蜘蛛の巣に囚われた蝶だ。
男たちは兵士に捕らえられた。その際に相手を踏みつけ蹴り上げた。
王太子に手を出したものに、手心などかけるわけがないのだ。
ところが男たちは苦しみだす。身体が震えると、体中からぶつぶつが現れた。
吹き出物は大きくなり、やがて全身を包む。
男たちは紫色の水晶へ変化してしまったのだ。
「叔父上! これは一体!?」
「魔石だ。一度見たことがある。でも人間が魔石に変化するなんて……」
ワイトの問いにゲディスは答えた。しかしゲディス自身突然のことに驚いている。
するとバガニルが戻ってきた。
「ふぅ、やっぱり来ましたね。馬鹿は簡単に餌に引っ掛かります」
どうやら彼女は子供たちをおとりにしたらしい。
「パルホ。あなたは未来が視えましたか?」
「……いいえ」
「……そうでしたか。私にはあなたたちが襲われる風景が見えました。やはりパルホに魔女の力は伝わっていないようですね」
バガニルはうーんと唸る。パルホは俯いた。
「姉上は、僕たちがワイトたちを助けることを知っていたのですね」
「ええ、知っていたわ。私がパルホの時分でもすでに未来予知は使えていたわ。歴代の魔女は全員使えていた、例外なくね」
バガニルは遠い目になった。娘が魔女の力を受け継がない。それは二千年の月日で初めての事だ。
「さらにこいつらの件もある。これは魔石化現象よ。魔王の近くにいる人間は邪気の影響で魔石になってしまうの。こんな遠い場所で魔石化するのは初めてよ」
わからないことばかりだ。バガニルにもわからないことを、ゲディスがわかるはずがない。




