第六六話 決戦前
「皆さん、おひさしぶりです。私は元気です」
サマドゾ領の国境にある砦で、ゲディスたちはクロケットと再会した。ついでにゲディスたちの背後にはエロガスキーも立っており、周囲の人間が恐れと歓喜の声を上げていた。エロガスキーはサマドゾ王国にとって良くも悪くも有名人なのである。
国境はマヨゾリ国王の命により招集された兵士で混雑している。だが彼らは規律を守り、雑談などしていない。普段から訓練に勤しんでいるためだ。戦いになれない領民に無理やり槍を持たせ、家畜のような扱いをするのが普通だが、サマドゾ王国では軍に入れば給料はもらえるし、装備品も支給される。兵士のための寮があり、個室が与えられ三食付いているのだ。次男や外国から来たものにはたまらないものがある。
ゲディスはそれを見てロウスノ将軍率いる帝国軍とは雲泥の差を感じていた。ゲディスはカホンワ領を滅多に出ることはないが、帝国軍が遠征している姿は見た。もっとも近場の森で狩りをする程度で、寒さで厳しいヨバクリ領の山や、妬きつくような暑さと獣と虫がうじゃうじゃいるオサジン領には絶対行かない。彼等は甘ったれた見た目は大人で、中身が子供の集団だからだ。
さてクロケットの身体は奇麗なもので、傷らしい傷はない。表情も笑顔でゲディスは安心した。
「心配しましたよクロケットさん。姉上からあらかじめ聞いていたけど、無事でよかったです」
ゲディスはほっと胸をなでおろした。その後ろでバガニルが前に出る。
「クロケットさん、お疲れのところ悪いけどラボンクたちの事を報告してもらうわよ」
バガニルが威圧的に言った。すでに魔王が誕生し、各地では大魔獣が暴れている。今はゴマウン帝国内だけだが、他国にその被害が及ぶ危険性があるのだ。
クロケットもそれを承知している。バガニルの元で勉強したからだ。
バガニルはクロケットの説明を黙って聞いていた。ゲディスたちも彼女の話を聞いていたが、帝国側の彼女に対する扱いにゲディスは憤慨した。それにホムンクルスとはいえ、赤ん坊を平気で殺す精神は理解しがたいものがあった。
一方でバガニルの顔が険しくなった。それは驚きと確信を得た表情だ。まるで辞書でも繰り当てたように、自分の想像を裏書きされたようであった。
「……ゲディスにガムチチさん。あなたたちの役目は救援を求めに来た周辺の貴族の要請を答えることです。サマドゾ軍はここで待機していますが、断りもなく他の領地に土足で踏み入れるわけにはいきません。あくまで要請が来てからです。いいですね?」
「面倒なことをするな。魔王が生まれて大魔獣がうじゃうじゃ沸いているんだろ? だったら積極的にこちらから打って出ればいいだろうが」
ガムチチが反論した。ゴマウン帝国の危機だが下手をすれば他国に迷惑がかかる。そうならないように先手を打てばいいと、正論を言っているだけだ。だがバガニルはおろか、ゲディスも首を横に振った。
「それはダメだよ。領地はそこの貴族が治めている縄張りなんだ。そこを許可なく侵入することは、戦争を仕掛けるのと同じなんだよ。例え目の前で他所の領地の人が魔獣に殺されかけても、その人が助けを求めない限り、侵略行為として助けた人が罰する可能性が高いんだ。貴族というのはそういうものなんだよ」
ゲディスは底辺の貴族であるが、貴族の常識は階級に関係なく共通している。今は冒険者になっているが、貴族のたしなみを忘れたことはない。
「でも逆に領主の許可があれば軍隊を入れることはできる。マヨゾリ陛下なら周辺の貴族と同盟を結んでいるはず。それならすぐにでも伝令が来て、軍の要請をするはずだよ」
「へへぇ、さすがだな。頭の悪い俺にはさっぱりわからないぜ」
ガムチチは頭を振った。自傷はしているが、ゲディスに対しての嫌味ではない。
そうこうしているうちに一頭のハーピーが飛んできた。腰にカバンを身に着けている。
バガニルの目の前で降り立った。彼女は一通の手紙を差し出す。
バガニルはそれを受け取ると手紙を読んだ。それは隣接する領地から援軍を要請する内容であった。
彼女はすでにマヨゾリ国王から軍の指揮を任されている。一通り読むと、バガニルは胸元から手紙を取り出した。それは援軍を寄越す内容が書かれている。あとバガニルが大勢の見ている前で手紙を読んだのも、援軍を寄越す証拠を周囲に見せつけるためであった。
「では領主様によろしくとお伝えください」
バガニルから手紙を受け取ったハーピーはすぐに飛び立った。あからさまに茶番劇だが、貴族にはそれが必要なのである。
「なんか面倒なことが好きなんだな。貴族って奴はよ」
「別に好きではないけどね。貴族というのは平民と違って権力がある。だからこそ面倒な手順が必要なんだ」
ガムチチが呆れるが、ゲディスは真面目に答えた。
「では二人とも。隣にあるワヤキク公爵の領地に行ってもらいます。そこで大魔獣アバレルが暴れています。ケンタウロスを用意しましたので、それに乗ってください」
バガニルが言うと、二頭のケンタウロスの女性が前に出た。どれも体格が大きく頑丈そうである。
ゲディスとガムチチはケンタウロスにまたがると、疾風のように駆けていった。
☆
「……なあ、おい。帝都の様子がおかしいのう」
大魔王エロガスキーが右手で人差し指と親指で丸を作り、そこを覗いていた。
これは遠見の魔法であり、遥か遠くにあるゴマウン帝国の帝都を見ているのだ。
エロガスキーは首を傾げながら、バガニルに伝えた。
「どう、おかしいのかしら」
「帝都の上空がすでに青空じゃ。普通なら一〇年以上は暗雲は晴れぬはずなんじゃがのう」
「……」
エロガスキーは五百歳を超えている。それ故に五回ほど各地で魔王が誕生し、その国が荒廃する姿を眺めてきた。彼女にとってハボラテの住民が重要なので、他の国が亡ぼうが関係ない。
その一方でバガニルは魔女だ。魔女は生まれてから二千年は過ぎている。魔女の記憶は受け継いでいるが、あまりにも膨大であった。それ故に検索魔法というものを使い、必要な情報を集めているのだ。
「長い歴史の中で、邪気がすぐ消えるなどありえない。クロケットさんの証言では城から何か影が出たと言うけれど、それが何なのかわからないわ」
バガニルの表情は暗かった。魔女の記憶でさえ今回の出来事は初体験だ。自分の子供も双子が生まれたが、先に取り出されたのは長男のワイトだ。自分の代で例外が起きている。これが何を意味するのかさっぱりわからない。
「だけどゴマウン帝国内で大魔獣が暴れているのは間違いない。この一週間で大魔獣をどれだけ倒せるかが問題よ。それに死んだ大魔獣の処理をするのも大事なことね」
大魔獣は殺してもその遺体は残る。普通なら何日かかけて解体するが、魔王誕生の際には大量の大魔獣が現れる。大魔獣の襲撃も恐ろしいが、放置された大魔獣の死体も厄介だ。腐った死体に魔獣が喰らいつき、さらに疫病が発生することがある。実際に二千年前のスキスノ聖国では疫病によって大勢の人間が死んだのだ。
「大魔獣が苦しんで死ぬのは、急激に邪気の濃度が低くなったためでしょうね。急激に変貌した大魔獣は、邪気が低くなると息が苦しくなって死んでしまうことがあるわ。邪気の薄い国に飛んできた大魔獣トリガーが苦しんで墜落する姿を見たことがあるから」
もちろんバガニル本人ではなく、魔女の記憶なのだが。
とにかく大魔獣の処理を急がなくてはならない。大魔獣が弱まっているのは良いが、その死骸を早急に処分しなければならないのだ。
周辺の貴族とは同盟を結んでいる。ゲディスたちの助けを快く受け入れるだろう。二人の活躍を見せつける。ゲディスが復活するカホンワ王国の王になるための布石だ。
「お主が女王になればよいじゃろうが。弟の方はかなり頼りないと思うがのう」
「私は女です。例え女王になっても息子が成人すればすぐに退位します。女はあくまで代理に過ぎません」
バガニルは目立つ。だが決して夫のマヨゾリを押し付ける真似はしない。ゴマウン帝国は滅んだ。百年前にカホンワ王家は自滅し、そのままゴマウン王家が乗っ取ってしまった。
現在、王位を継げるのはカホンワ男爵だけである。それにゲディスはカホンワ王家の血を引いているので問題はない。
「ゲディスは本来有能な人種ですが、控えめなので目立ちません。今回の件で大いに活躍してもらい、王としての器を見せつけます。これが姉として弟にしてやれる唯一の事なのです」
バガニルは遠い目でつぶやいた。




