第四話 初夜
夜、ゲディスとガムチチは家の中にいた。食事は食堂で済ませてある。
町に唯一の店で、五〇代の中年夫婦二人で経営していた。店のメニューは鯛の塩焼きに、米の飯。さらに鯛の澄まし汁であった。
子供は三人ほどいたが、地味な港町で一生を過ごすのは嫌だと、三人とも出て行った。便りは一切寄越さず、生死不明だという。ただ表情は明るく、寂しさを感じなかった。
ゲディスたちは食事を済ませると、辺りは真っ暗闇であった。道には街灯が設置してあるが、魔力節約のために停止してある。灯りのついてある家はほんのわずかだ。この町が死にゆく町だとゲディスは暗い気持ちになった。
ゲディスたちの借りている家は、元はとある家族が使っていたそうだ。その一家は数年前一旗揚げるといって旅立った。結果、帝国軍の兵士に荷物を略奪され、妻と娘は奴隷にされたと風の便りで聞いたという。
帝国では盗賊よりも帝国軍の方が質が悪いと評判だ。何せ犯罪行為が国で認められているのだから。
特にラボンクの学友であるロウスノ将軍が就任してから、ひどくなったそうだ。被害を訴えようものなら、帝国を虚偽の噂をばらまいたとして処刑されるなど日常茶飯事であった。もっとも帝国軍の悪行は地方が多いという。
なのでサマドゾ領がどれだけ安全で暮らしやすいかがわかる。それを皇帝が嫉妬して帝国軍を介入させようとしているらしい。まったく感情剥き出しの怪物だ。
「そういえばガムチチさんはどうしてこの町に来たのですか?」
ゲディスが尋ねた。二人は今寝室にいる。ベッドは前の住人が使ったものだ。家具の類はタンスやテーブルなど生活に必要なものは残されている。
二人ともベッドの上に座っていた。ゲディスは麻の服を着ていて、ガムチチは腹巻をつけていた。
「うーん、そうだな。他に行くところがないからだな。俺が住んでいた村は戦士を尊ぶ風習があったが流行り病で俺以外は死んじまった。思い切って外国に旅立ったが、帝国に来たのが運の尽きさ。あそこは外国人を忌み嫌っているからな、露骨な差別はもちろん、店で満足に買い物もできやしない。そんな時にこの町の話を聞いたのさ。なんでも俺みたいな外国人でも受け入れてくれるってな。そういうゲディスはどうなんだよ」
「僕も似たようなものですね。僕は生まれも育ちも帝国ですが、カホンワ男爵領はとても狭く貧しいところでした。ですが領主夫婦はとても優しい人で領民にも愛されていました。……半年前に男爵が病死して奥さんも亡くなったのです。僕はそこを離れてここに来ました。僕の事を知っている人がいないところに行きたかったのです」
ゲディスは言いよどみながら答えた。ガムチチはなるほどと思った。この町は老人しかいない町だ。家がタダで借りられるとはいえ、こんな町に来る人間はわけありしかいない。
家族の事は尋ねまい。頼れる身内がいるならそこへいくはずだ。
「それにしてもガムチチさんの筋肉は素晴らしいですね。どう鍛えればそうなるのでしょうか」
突如ゲディスが話題を変えた。筋肉を見る目がキラキラしている。大人に憧れる少年のように見えた。
「そりゃあ毎日筋力トレーニングをしているからだ。足に背中、大胸筋を丹念に鍛えているよ。それに食生活も気を付けているね。俺の村ではキノコやこんにゃくをよく食べていたな。遠い港町から乾燥した海草を買って食べたりしたよ。懐かしいな」
ガムチチは遠い目をした。今はもうこの世に存在しない儚い思い出だからだ。
ゲディスはそれを感じ取ったのか、話題を変えた。
「あの、今日はガムチチさんの腕枕で寝たいのですがよろしいでしょうか!?」
「俺の腕枕で? それくらいお安い御用だよ」
「やったぁ!!」
ガムチチが同意するとゲディスは飛び跳ねるように喜んだ。あまりのはしゃぎように面食らった。
そして彼のベッドに乗って、左側に寝た。上腕筋を撫でまわしている。
「ああ、なんて硬い上腕二頭筋と上腕三頭筋なんだろう。こんな素晴らしい腕は初めてです」
「褒めてもらえるのは嬉しいね。しかし俺の腕枕なんて嬉しくないだろうに」
「いいえ! ガムチチさんの腕が良いのです! 僕はとっても幸せです!!」
あまりのゲディスの迫力にガムチチはそうなのかとしか答えられなかった。
そしてゲディスはすぐに寝た。とても安らかな、母親の腕に抱かれた赤ちゃんの様な寝顔を見ると、ガムチチの心は優しい気持ちが沸き上がるのだった。
(……俺に息子がいればこんな風に一緒に寝るのだろうか。俺には縁のないことだから、自分でやるのは照れ臭いな)
そうガムチチはゲディスの頭をなでなでした。そして目を閉じるのだった。