第48話 バガニル登場
大魔獣ドロレスの死骸は広範囲に広がった。何しろ体のほとんどが泥なのだ。身体を維持できなければ大量の泥が残る。
現在ゲグリソ田園はドロレスの泥で埋め尽くされていた。稲は随分前に刈り取ったので被害はない。
それどころか農夫たちは大歓迎だった。なぜなら大魔獣の泥は特別なものだ。米を作るにも毎年同じ土だと栄養を吸い取られ、やがて死んでいくのである。
マッドゴーレムの身体でも代用は可能だが、量が少ない。ドロレスなら圧倒的だ。
農夫たちは来年のために田んぼの整理を始める。ゲディスにとっては申し訳ない気持ちになった。自分たちがドロレスを倒し、田園に迷惑をかけたのだから。
「なんとなくだけど、ここの人たちはドロレスが来るのを願ったかもね」
イターリが言った。どういう理屈なのか。
「ここの土地はどんどんやせ細っていくと聞くよ。農夫の人たちも後継ぎが逃げ出しても追いかけないのは、ここの土地がもうじき死ぬと分かっているからさ。本来、この辺りではマッドゴーレムは来ないのに、来ている。よその土地で作られた泥が田んぼに入るのを願っているのさ」
モンスター娘は適当に徘徊するわけではない。男を食べることで自身を完成させるためでもあるが、土地に住む人間が望むものを知らず知らずに感知しているのだ。
イターリの説明にゲディスは納得した。
「でもここ最近立て続けに大魔獣と出会うね。何か悪い予兆かな」
「偶然かもしれないよ。だって大魔獣は珍しい存在じゃないんだ。みんなが知らない国では大魔獣が暴れてて、それを軍隊や冒険者たちが退治することもあるんだよ。もっともこのサマドゾ領は大魔王がいるから安全なんだけどね」
以前、隠れ里のタッコボでは大魔獣アバレルが現れた。北にあるハボラテから魔族がやってきて後始末をしていた。
自分たちが知らない場所で大魔獣との戦いが繰り広げられる。なんとも言えない気分になった。
☆
「ふぅ、疲れたな。早く風呂に入りたいぜ」
タコイメの町の入り口前でガムチチがつぶやいた。ドロレスの戦闘で体は泥だらけになった。もちろん川で水浴びをしたが、それでも熱い風呂に入りたい。ガムチチは当初風呂を知らなかった。アマゾオでは風呂に入る習慣がなかったのだ。
イターリの場合は風呂より熱いサウナが主流だという。寒い地方では風呂よりもサウナで汗をかく方がいいらしい。
「私は遠慮します。大量の水を浴びると含んでしまうので」
クロケットが答えた。彼女は肌の露出が多いが、手足は革製品で包んでいる。これは元ドライアドゆえに水を大量に吸ってしまう体質のためだ。
前に風呂に入ったら球体のようにころころした体形になってしまったのだ。すぐに水を吐き出せば元に戻ったが、あまり女性にさせたい姿ではない。
「じゃあ僕も一緒に入りますよ。背中を流してあげます」
「そりゃいいな。お互いに背中を流しっこしようじゃないか」
ガムチチは風呂が好きになった。ゲディスも頬を染める。
「ふふん、洗うのは背中だけかな? 前の方は洗わないの?」
イターリが悪戯っぽく笑いながら尋ねた。ゲディスは顔が真っ赤になる。
「あっ、洗わないよ!! 前は自分で洗うのが普通じゃないか!!」
「そうなの? じゃあボクがスクミズを着て洗ってあげるよ。もちろん君の背中をね」
そう言ってイターリはゲディスの背中に張り付いた。がっしりと腕を回して組み付いた。
「おいおいイターリ。あまりゲディスをからかうなよ。照れてるだろ?」
「ふふん。ガムチチさん、嫉妬しているんですか? ボクの平たい胸でゲディスの背中を洗うのがそんなに許せないんですか?」
「いや、関係ないだろう。お前はどこか頭がおかしいな」
ガムチチとイターリが他愛ない会話をしていると、後ろから騒がしい声がした。
後ろを振り向くとそれは御輿であった。担いでいるのは牛頭の魔族、ミノタウロスである。
黒毛の身体に白いふんどしを身に着けていた。
そして御輿の上には一人の人間の女が座っている。左右には男と女の子供が女性の身体にしがみついていた。
女の身体は異様であった。黒い長髪で前は切り揃えてある。目はナイフのように鋭くキラキラしていた。鼻や口も整っており、美女というにふさわしい顔だ。
それ以前に彼女の格好は奇天烈である。頭には黒いウサギの様な長い耳のカチューシャをつけていた。
首には蝶ネクタイをつけており、肩を露出した黒いボディスーツを身に着けている。胸がメロンのように大きくあふれそうであった。腰回りはきゅっとくびれており、長い脚には網タイツで身に包んでいる。黒いハイヒールを履いていた。
遠い国ではバニーガールという魔物の格好だ。一方で貴婦人の見本として愛用されるという。
子供たちは同じく黒髪で男の子はおどおどしており、女の子の方は堂々としていた。どちらも貴族が着る服を着ている。
ゲディスはその女性を見て驚いた。クロケットはいったい誰なのかと尋ねる。
「姉上……」
ゲディスがつぶやく。御輿はゲディスたちの前に止まった。ミノタウロスは御輿を起こす。
そして座っていたバニーガールがゆらりと立ち上がった。
「ひさしぶりね、ゲディス。あなたを迎えに行くのに時間がかかってごめんなさいね」
ゲディスの姉、バガニルだ。美人だが冷たい印象のある魔女の様な雰囲気があった。
それでも口調は柔らかい。ひさしぶりに肉親に会えて嬉しいのだろう。
「その子たちは姉上の子供なのですね」
「ええ、男の子がワイト、女の子がパルホよ。挨拶なさい」
男の子のワイトはおどおどしている。どうやら人見知りの様だ。
逆に女の子のパルホは堂々としていた。母親によく似ていると思った。
「はっ、初めまして。サマドゾ王国王太子、ワイト・サマドゾでございます」
「わたくしは妹のパルホでございます。叔父様とは一度会いたいと思っておりました」
パルホはおしゃまにふるまっている。どうやらワイトが兄の様だが、あまり威厳がない。
第二次性徴を迎えれば体格は彼の方がよくなるだろうが、それまで妹の尻にひかれていそうだ。
「なんか変な格好しているな。痴女か?」
ガムチチが思わず口にすると、バガニルは睨みつけた。
まるで氷の刃を突きつけられた気分になる。さすがのガムチチも軽口は控えた。
「……あなたは?」
「俺はガムチチという。あんたの弟、ゲディスの相棒さ」
「そう、あなたがゲディスの……。弟がお世話になっております」
丁寧に挨拶したが睨まれた瞬間、ガムチチは自分の身体を鷲掴みにされる感覚を覚えた。
バガニルが目を反らすと、身体が軽くなる。この女はただものではない。ガムチチはそう思った。
バガニルはイターリを見つけると、彼の前に立つ。そして跪いた。
「ヤコンマン台下。弟を守っていただき、ありがとうございます」
それを見てゲディスたちは目を丸くしたのだった。イターリだけが薄く笑っている。
台下は宗教で偉い人に使う敬称です。
法皇だと猊下と呼ばれます。
あとバガニルだからバニーガールが来ると予測した人は、いるかな?




