第38話 用意を 床《とこ》 今よいな できるや
「はあ、僕が父親か……」
太陽が真上に登っている頃、魔族と人間が共存する隠れ里でゲディスは惚けていた。岩と砂だらけで四方は岩山に囲まれている。ヤシの木がぽつらぽつらと生えており、ヤシガニが時々顔を出す。
ゲディスは大きく平たい岩に座っていたのだ。
本来依頼人である行商人の仕事が終わったら帰るはずであった。しかしここにはウッドエルフのクロケットが生んだ双子の赤ん坊がいる。
出産のために体力が低下したため、クロケットは家を借りて休んでいたのだ。その間赤ん坊にはお乳を与えている。
赤ん坊の世話は魔族の女性たちがしてくれた。スキュラやクラーケンたちがクロケットのために温かい毛布や食事を用意してくれているのだ。もう1週間は過ぎている。
行商人はイターリと一緒に帰っていった。他にも人間の男たちが同行してくれる。彼等は隠れ里に住んでいるが、時折タコイメの町に赴くことが多い。両親に会いに行ったり色々だ。
さすがに魔族の嫁と孫を会わせるわけにはいかず、満月の夜にワメカザ海岸で会わせているそうだ。
モンスター娘さえ増殖しなければ男たちでも往復はできる。洞窟の中のイソギンチャクたちは人魚たちが作った薬で近寄らせない。
あとロウスノ将軍の残党が襲撃した件だが、おそらく彼らの独断だろう。彼等はゲディスの死を望んでいた。背後にいる実兄であるラボンクなら自分を捕縛するよう命じるだろう。その際に無関係な隠れ里の人間を虐殺するはずだ。それをお前のせいだと罵って楽しむ。それが血の繋がった兄の性質だ。
ラボンクなら自分の居場所を調べた後、周囲からねちねちと締め付ける。例えば領地などではそこを治める領主を脅迫して自分を追い出すとか、仕事を一切させないとか色々やる。
カホンワ男爵領も色々言われたがオサジン執政官のおかげで事なきを得ていた。
「アアッ!! 僕が父親! しかもガムチチさんとの愛の結晶が二粒も!! 僕はもう死ぬしかないのか!!」
ゲディスは悶えた。まさか自分が父親になるなど夢にも思わなんだ。ウッドエルフの代理出産という裏技を使ったが、それでも子持ちになったのである。
自分の子供はやはりかわいい。肌は褐色だが気にならない。むしろ似合っている。ぷにぷにと柔らかく、温かい生き物だ。抱きかかえるととても重い。命はこんなに重いんだと思った。ガムチチは普通に抱きかかえていた。
初めて見た時は「生まれてきてくれてありがとう」と口にした。ガムチチも同じ気持ちのようである。
「そもそも、男同士では子供は生まれない。そんなのは当たり前なんだ。ガムチチさんには黙っていたけど、僕は男同士と性交をしたことがあるんだ。あれはあれで気持ちいいけど子供は絶対にできない。それなのに図らずも父親になってしまった。こんな幸運があるのだろうか、こんな幸福が許されるのだろうか。今が幸せの絶頂期なら必ず下り坂が来る。その時僕は空から頭を叩きつけられるような悲劇に遭うのだろうか。僕は、僕は……」
ゲディスは頭を抱えながら芋虫のようにごろごろと転がっていた。その様子を遠くでガムチチが眺めている。彼は隠れ里の世話になっているが身体が鈍るので魔獣退治に勤しんでいた。ゲディスも同じで仕事を終えてからここに来ていたのである。
「あいつは何をやっているんだか……」
ガムチチは相棒に対して呆れていた。ガムチチ自身父親になったことには抵抗はない。アマゾオ族では気に入った女を無理やり抱いて子供を産ませる。自分より年下の男が父親になるなど珍しくない。だがガムチチはそんなやり方に嫌悪感を抱いていた。暴力で家庭を支配する父親も嫌いだが、アマゾオ族も嫌いだった。だからこそ父親が死んだとき、自分の部族は流行り病で全滅したと思い込んだ。それほど自分の部族を嫌っていたのだ。
しかし今は違う。文化が違えどゲディスという相棒と出会えたのだ。彼は剣や魔法の腕は冴えている。最初は自分に対して愛情を抱いていることに嫌悪感を抱いたが、時間が経つにつれ、それは心地よいものとなった。
人に対する、親が子に対する視線はああいうものだとガムチチは思った。
ゲディスの告白を受け入れたのも自分を心から愛してくれていることを理解しているからだ。
愛情というのは同性同士であっても温かくて心を和やかにすると思った。
「おそらく自分の幸せが怖いんじゃないかな」
ガムチチに声をかけたのはイヤカキだ。隠れ里に住む人間の男である。背中には人魚の娘が抱き着いていた。身体が細長く、胸は昆布で隠されていた。必死にしがみついている。
「この子は俺の娘だよ。サンマの人魚なんだ。秋にはぷっくらと脂がのって太るんだよ」
すると人魚がぎゅっと力を籠める。どうやら太ると言われて怒っているようだ。
イヤカキは娘にごめんごめんと謝った。
「俺もな。最初鯛釣り船に乗っているとき、海に投げ出されたんだ。そこに当時はモンスター娘だった俺の女房に食われたんだよ。海中で爆発するなんて初めての経験だったな。ああ、女房もサンマの人魚だよ。それで親父に相談したら隠れ里に住むべきだと言われたのさ。魔族となって知恵をつけても人間の住む町には住めないとスキスノ聖国が決めたらしい。俺は隠れ里に住むようになったが毎日不安だったよ。だって一時の感情で人間社会と隔離してしまったんじゃないかってね」
イヤカキの表情が曇る。彼にとって当初モンスター娘はどうでもよかったのかもしれない。偶然いのちの精を与えたために魔族に懐かれ、自分の将来を奪われてしまった。そんな不安は普通の人間では心ごと押しつぶされそうになるだろう。
「けどな。娘が生まれた時俺は思ったよ。生まれてきてくれてありがとうってな。魚と同じく卵から産まれたんだ。生まれた時は身体がふやけてしわだらけだったが、世界一可愛いと思ったね。あの時からだ。俺は何が起ころうとも家族を守るってね。親父の鯛釣り船は継げなくなったが、俺は俺で鯛を釣っている。俺のやることは何も変わっていないのさ」
ガムチチは思った。イヤカキは自分を励ましに来たのだ。同じく父親になった自分に対して先輩として助言を与えに来てくれたのである。
「ただあいつは重傷だな。何か深い事情があるかもしれない。こいつは彼とあんたの問題だ。案外話をすればわかりあえるもんだぜ」
「むー、パパったらお話長い!」
「悪い悪い。じゃああとは二人でじっくり話し合いをするんだな。あばよ」
背中の人魚が愚痴をこぼした。イヤカキは挨拶するとその場を去った。人魚もバイバイと手を振っている。
「さて、ゲディスと今後の話をしないとな」
ガムチチはゲディスの元に向かい、悶える彼に平手打ちをしたのだった。
「転がるなら床を用意してやるよ」
題名は逆さにすると「やる気でない 世迷言 言うよ」になります。
たいこめは濁音をつけないと逆さにしてもわからない場合がありますので。
私自身は独身なので子供はいません。私には弟が二人いて、子供がいます。
本来子供は宝であり、周囲の人間が協力してもらうのですが、個人主義のせいで孤立化している気がする。
まあ、子供がいない私が言うことではないけどね。




