第一五話 鯛釣り船に米を洗う
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
少年が吼えた。まるで腹に溜まった空気をすべて吐き出さんばかりの雄叫びだ。
「ご乱心だ! ゲディス王子のご乱心だ!!」
周囲が騒がしい。少年の手には木刀が握られている。その目の前に尻の大きな女性が四つん這いで倒れていた。
少年はその女性の大きな尻を思いっきり叩いたのだ。何度も何度も叩きのめした。
「皇妃様、大丈夫でしょうか!!」
誰かが倒れた女性に駆け寄る。女性は少年の母親だ。帝都ではふくよかで母性溢れる皇妃として人気が高かった。皇帝から直に結婚を申し込まれたという逸話がある。普通ならありえないことだ。大抵は皇帝は生まれた時から許嫁を作るものだが、皇帝には誰もいなかったのだ。
少年、ゲディスの記憶は途切れている。なぜ暖かくて優しい母親の尻を攻撃したのだろうか。
確か、部屋には絶対、入ってはならないと命じられたのに、ゲディスは剣の稽古で褒められたので、それを母親に伝えたかったのだ。
なのに、自分は母を見た瞬間、頭に血が昇った。まるで自分の中に知らない誰かが乗り移ったような気分になった。
後日、ゲディスは父親と会った。皇帝なので実の息子でも面会するのは難しいのだ。
「お前はカホンワ男爵の養子になるのだ。そしてこの国の法に則り、あらゆる事情が起きても登城することはまかりならん」
それは6歳の頃の話であった。ゲディスは母親に暴行した狂人として帝都を去った。
カホンワ男爵領はのどかで平和な領地であった。こじんまりとした屋敷には百数年は経つ栗の木が生えており、木には大勢のリスが棲んでいた。その木はゲディスのお気に入りになった。
新しい家族であるカホンワ男爵夫妻はとてもいい人だった。普段は優しく、気づかいのある人だ。栗の実でデザートを作ってくれることがあった。
それだけではなく剣の修行や罠魔法の勉強、貴族としての心得に、サバイバル訓練など厳しく教えられた。そのおかげでゲディスは冒険者として活躍できるのだった。
☆
「……嫌な夢だ」
ゲディスは汗が染みこんだベッドの上で起きた。太陽は登り切っており、日差しが焼けるように熱い。窓を開けると澄んだ青い空が見える。ふわふわした雲が浮かんでおり、今日もいい一日を過ごせそうな良い気分になった。
「ふぅ、今日も一日頑張ろう」
ゲディスは伸びをした。そしてベッドから降りる。早く朝食の準備をしなくてはならない。
部屋にはベッドが二つある。もう一つは筋肉もりもりの大男、ガムチチがいびきをかいて寝ていた。もっともゲディスにとっては心地よい子守唄にしか聴こえない。
彼が起きる前に、朝食を作らなくてはならない。もっとも食材は米に野菜、魚くらいであった。
卵や牛乳などが欲しいがなかなか手に入らないという。いろいろな食材を使って、多彩な料理を作りたい。ゲディスはそう思った。
ガムチチはしばらくすると起きた。彼は目をこすりながら、台所へ向かう。そこには朝食を作り終えたゲディスがいた。パンツ一枚で上半身は裸だ。身に着けているのは白いエプロンだけである。
「おはようガムチチさん。今日もいい天気ですね」
「ああ、おはよう。おっ、飯ができているようだな」
テーブルの上を見ると、白米に、ナスと人参の野菜炒め、キュウリのしょうゆ漬け、焼きイカが用意されていた。ほかほかと湯気が立っておりおいしそうだ。
「いつも通りの飯だな。俺の国にはないものだから作れない。ありがとよ」
ガムチチが礼を言った。ゲディスは少しリンゴのように頬を染める。
「この町は鯛が名物ですが、肝心の鯛釣り船は数日に一度しか出ないのです。漁師さんは年配なので体がきついようなのですよ。精々米を洗うことしかできないのです」
「米か。その肝心の食料も後継ぎがいないから苦労しているそうだな。まあ、俺も人の事を言えたことじゃないが、世の中、畑仕事を嫌う人間が多すぎるな」
「嫌いというより、帝都がやたらと宣伝しているのですよ。田舎より快適な帝都に暮らさないと人生を存すると。もっとも帝国が税金を徴収するために集めているようですが。逆に地方が苦しむのに、考えなしとしか言えません」
ゲディスはため息をついた。帝国に対してあまりいい感情はないようだ。なまじ彼は皇室に生まれ、貴族の教育を受けている。それ故に今の帝国は異常としか言いようがない。もっともオサジン執政官がいるからまだマシなのかもしれなかった。
ガムチチもよその国から来たが、早くも帝国に対してゲディスと変わらない意見を持っている。とはいえその日暮らしができればよく、雨露しのげる家に住んで、毎日三食できる今の生活に満足していた。
「それはそうと今度は魚肉ソーセージを用意しますね。あとはウインナーソーセージも欲しいですが、手に入りずらいんですよ」
「そうなのか。魚肉ソーセージは結構うまいよな。大きく口をほおばりながら、がっぷり食べるのがいいな」
「キュウリなんかも丸かじりでしたよね」
「ああ、なんでも丸かじりが一番だ。でもこうして調理するのも好きだよ」
好きという言葉を聞いて、ゲディスはトマトのように真っ赤になった。まるで初々しい新婚生活を送る嫁のようである。
「……のソーセージを食べてみたいな」
「なんか言ったか?」
「なっ、なんでも!!」
ゲディスは慌てて取り繕う。ガムチチはどこか浮かれているゲディスを見て怪訝な表情になるが、どこかほほえましいとも思っていた。赤の他人だが家族と一緒に暮らしている気分になる。
帝都で耳にした温かい家庭とはこういうことかなと思った。
ゲディスはニコニコ幸せな笑顔を浮かべていた。
 




