第9話 一路海へ
「ふぅ、潮風が気持ちいいですね」
ゲディスは船の上でつぶやいた。タコイメの鯛釣り船で南にあるポンチ島に向かっている。船を扱うのは町の漁師で七〇歳を超えていた。息子がいたが漁師を嫌い、姿を消した。どこで何をしているかわからないという。
他にはゲディスの相棒であるガムチチと、行商人が乗っていた。六〇歳ほどで普段はサマドゾの町で商売をしているが、ちょくちょくポンチ島に果物を仕入れに行くという。
ここ最近は歳のせいで行く回数が減ってしまったそうだ。
周りは見渡す限り海であった。遠くでは水平線が見える。タコイメの町に視線を向けると、壮大な岩山の壁が見えた。タコイメの町あたりがぽっかりと開いている。浅瀬なので漁船以外は停泊できないそうだ。
「揺れるなぁ。でも俺の住む近くの川はもっと荒れていたな。それに沼地で漁をしたこともあるが、巨大な亀やカニの魔獣が襲ってくることもあった」
ガムチチは揺れる船に対して平然としていた。確かに荒れ狂う川を乗りこなす技量はあるかもしれないが、川と海は違う。近くには岸などない。ガムチチはいつも使い慣れている黒棒の代わりに、樫木の棒を手にしていた。
ゲディスも鉄製の剣を置いていき、陶器でできた剣を差していた。陶器と言っても不器用に作られたもので簡単には折れない。塩で錆びないようにするためだ。
あと腰巻とコルクを詰めたチョッキを着ている。海に落ちても沈まないためである。これはゲディスだけでなく、全員着ていた。
「それは頼もしいですな。何しろ今サマドゾ領は大忙しで、ろくに護衛も雇えない状況なのですよ」
行商人が言った。いったいどういうことだろうか。
「サマドゾの周辺では魔獣が大量発生しているそうなんです。さらに東の砦ではモンスター娘が襲撃することがあり、辺境伯軍は大わらわ。冒険者を雇っても追いつかないほどなのですよ。まあ、今タコイメにいる連中はあなた方を除いてきつい現実から逃げ出したものだけですな」
行商人は皮肉った。タコイメに来た若い冒険者はあまりモンスター娘退治には行かない。一度戦ったが逃げ帰ったくらいだ。町の雑用のクエストで糊をしのぐ者ばかりである。
「魔獣の増加は魔王復活の前兆とも言えますからね。辺境伯も軍事力を強化しないといけないのでしょう。辺境伯は独自で軍を編成する権利がありますから」
「そうなんですよ。それなのに皇帝陛下は難癖をつけるそうです。帝都を攻めるために戦力を増強させているのだろうと。まったくどうかしてますよ、幼馴染のロウスノ将軍が戦死したのが答えたようですね」
行商人は忌々しそうであった。彼は商人ギルドに所属しており、それなりに情報を仕入れているようだ。現在のゴマウン帝国は皇帝が暗君故に苦労している。サマドゾ辺境伯は領民を守ろうとしているので、領民たちも自主的に辺境伯の負担がかからないように気を付けているのだ。皇帝にとって目障りなのだろう。
「ハイホー、ヘイヘーイ。オケツ、フリフーリ!」
突然海面から何かが飛び出した。それは女であった。上半身裸で身に着けているのは貝殻ビキニ。下半身は昆布の腰巻に白と黒のまだらの蛇。
海ラミアである。海を泳ぎ、男を食べるモンスター娘だ。
彼女らは両手を腰に当て、腰をフリフリして踊っている。
ゲディスとガムチチは武器を構えた。海ラミアは全部で五匹。船を囲んでいる。
海ラミアはゲディスとガムチチだけを狙っており、船長と行商人は無視していた。
「ハイホー、ヘイヘーイ。オケツ、フリフーリ!」
海ラミアは腰をフリフリさせながら、襲ってくる。ゲディスに体を巻き付けようとするが、ゲディスはお尻当たりに剣を振り下ろした。
ガムチチも負けじと樫の木の棒で海ラミアの尻を叩く。
ごきっと骨が砕ける音が響くと、ぽんと白い煙を上げて消えていった。残るは蛇の皮と肉だけである。
残りの三匹はそれを見ても怖気づかない。
「ハイホー、ヘイヘーイ。オケツ、フリフーリ!」
相変わらず腰をフリフリさせている。今度は三匹同時に襲ってきた。
するとゲディスはカバンから何かを取り出した。それはくしゃくしゃの糸であった。
「増えろ糸よ!!」
ゲディスが叫ぶと、糸の塊が見る見るうちに増えた。その糸は海ラミアをがんじがらめにした。
動けなくなった海ラミアをゲディスは一匹ずつ尻を切り裂いていったのだった。
「ほう、すごいな。今のは魔法か」
「はい、罠魔法と言って、あらかじめ魔法薬を仕込ませた糸などを媒体にします」
「いろいろな魔法があるもんだな。アマゾオには魔法を使える奴はいなかった。せいぜい占い師が明日の天気を占う程度だったな」
ゲディスの言葉にガムチチは感心した。
だが行商人の顔は険しい。
「罠魔法……、先月亡くなられたカホンワ男爵夫人が得意としていたものだ……。あなたはカホンワ男爵領から来たのですか」
「……はい」
行商人に問われて、ゲディスは答えた。しかし行商人の顔は晴れていない。ますます疑惑を抱いたように見えた。




