わたしのパンツを見せてあげる
おれと伊誘波は新校舎から出て、『城』を昇っていく。
最上階すなわち天守層まで到着すると、学園の全貌と山景色が見下ろせた。
ここ吟城学園は、山城であった土地を改築して建てられたものだ。そのため城を形成するほとんどの建物は失われてしまったのだが、天守閣であるこの『城』だけは象徴のために残されていた。
最古にして学園で一番高い『城』は、今日も学園を見守るように健在している。
屋根瓦の端っこに設置されている銀のシャチホコを横目にしながら、おれと伊誘波は中央に座る。新入生たちは物珍しさに入学してまもなくのほうはよく来るのだが、この時期になると見飽きてしまって、誰も来ない。
つまり伊誘波が言った通り、おれたちは本当にふたりっきりで今ここにいる。
伊誘波は、ブサイクのカエルみたいなキーホルダーが付いたリュックを床へ下ろす。
誰かからのもらいものだろうか?
おれが言うのもなんだが、わざわざ伊誘波へこれをあげた人は変わった趣味しているな。
その感想は決して口にはせず、沈黙を保ったままただ伊誘波を見つめる。おれたちは教室からここまで、一切、喋ることはなかった。
「あの、これ」
か細い声ながらもやっと口を開いたかと思うと、
ドスン
と重量感ある音が次にした。
「うおっ。なんだこれ?」
座ったおれの胸ぐらいまで高さがある物体が、リュックの中から出現する。伊誘波が包みを解くと、中が見えた。
いきなり出てきたそれの正体は、重箱だった。
桜の絵が表面に描かれている黒塗り五段。随分と立派なそれを開けると、実に美味しそうな料理の数々が詰まっていた。
普段の予算三〇〇円以内の昼飯とは違う豪華さに、圧倒されるおれ。
「うひゃー。すげえ昼飯だな。こんなの作ってもらえるなんて羨ましい」
「……わたしが作ったの」
「そうだったのか。やっぱりすごいな伊誘波は。でも、この量を食べるなんて意外に大食漢なんだなおまえ」
「ち、違うわよ! わたしはこんなに食べられない!」
「そうなの? じゃあなんで作ったんだ?」
疑問を述べると、伊誘波は頬を赤くしながら目を反らす。
おれと目を合わせないまま、口を開く。
「……あんたに作ってきたの」
「すまん。もう一度言ってくれ」
男だったら感涙するほど嬉しい言葉が聞こえたが、伊誘波がそんなことを言うはずがないため、勘違いしないよう確認をお願いする。
伊誘波はまるで悶えているかのように唇を動かした後、おれを怒鳴りつける。
「あんたのために! わたしがこの手で! お弁当を昼まで作ったの!」
「……嘘だろ?」
「本当よ! ああもう! パンチラの時みたいに、ゴチャゴチャ言うことなくさっさと食べなさい!」
「わ、分かった」
パシッ、と箸を投げ渡される。
急かされたため、とりあえず目についたローストビーフを口に運んだ。
モグモグ
「……どう?」
こちらをじっと凝視してくる伊誘波。おれは噛みきった牛肉を呑みこんでから、感想を口にした。
「うまい」
「や、やった」
喜んで両拳をギュって握る伊誘波。
おれは感動のあまり、夢中で弁当の中身を食していく。
その間、伊誘波はずっと隣でおれを観察していた。正直、食べづらかったのだが、一連のこれまで見たことない可愛らしい反応を前にしては、そういうことは言えなかった。
食べきると、伊誘波は水筒からお茶まで注いでくれた。
これもまた美味だった。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
感謝の挨拶まで済ませると、おれは茶をすすりながら訊く。
「それで、なんでおれなんかにあんな凝った弁当を持ってきてくれたんだ?」
「昨日のお礼。わたしのこと助けてくれたじゃない」
「そりゃそうなんだが……」
勘づいていた内容ではあった。けれども、昨日の伊誘波からの嫌われようでは、ふたりっきりで食事
なんて夢のまた夢だと思っていた。
しかもこんな豪華な弁当を手作りまでしてきてくれて。
腑に落ちないでいると、伊誘波は話の続きをする。
「わたしね、夢を見なくなったの」
彼女は、外の風景を眺める。
「夢? ああ、悪夢のことか」
「そう。昨日、あんたの前で倒れてから、しばらく自宅のベッドで横になっていたみたい。起きた時には、柔らかい布団に包まれながら、爽やかな日の光が窓から差してきた」
遠くの空では、ツバメが飛んでいた。
翼をめいっぱい広げ、快晴の青天を自由に羽ばたいている。
伊誘波の横顔は、いつもよりも艶めいていて綺麗だった。
「最高に気持ちよかった。あんたが、あいつ含めて魔物を追っ払ってくれたからだと思う。だからその……感謝してあげたくもないかな?」
かなり手のこんだことまでしておいて、最後の最後に言葉を濁してしまう伊誘波。
彼女の意外な不器用なお礼の仕方に、おれは微笑む。
「そうか。よかった」
「まあ起きた時には一時間目をもう過ぎてたから、もう遅刻してもいいやでさっきまで弁当作ってたんだけど」
恥ずかし気に遅れてきたわけを告白する伊誘波。
前日までより表情がよく動くようになり、驚き以外の感情も表に出すようになった気がした。
……こんな魅力あふれる彼女を、また絶望させてはいけない。
だから昨日までは考えられなかったこの幸せな空気を、おれは自分自身の手で壊すことにした。
「どうする? 次の魔物は」
「――」
おれの台詞を聞いて、伊誘波は顔をこわばらせる。
こうなることは言う前に分かっていたが、それでも心が痛んだ。
だけど彼女を守るためならば、目を背けてはならない事実だった。
キーンコーンカーンコーン
昼休み終了のチャイムが鳴る。夏休み前とはいえ、学校に来ている以上は生徒は教室に戻って授業を受けなければならない。
だけど、おれも伊誘波もこの天守層にとどまっていたままだった
「そうね。わたしも、そのことを話すためにあんたとふたりっきりでここに来たの」
他の誰よりも、自分の危機を自覚していた伊誘波本人。
彼女は、緩んでいた表情を締め直した。
おれは現像された写真を手にする。そして二枚の内――四つの影があるほうを表にした。
「昨日倒したあいつは、東西南北に飛んだ影の内のひとつだ」
「つまり、まだ魔物は三体残っている」
あんな化け物が他にもいて、さらにそいつら全員が伊誘波を狙っているなんて信じたくもなかった。
だけど、おれ自身が撮ったこの写真がその現実をなによりも突きつけてくる。
「一応、警察や学校には相談してみたが……」
「駄目だったでしょ」
「その通りだ」
おれが言いきる前に、伊誘波は確信めいた言葉で割りこんできた。
もう一枚の写真を表にする。
おれが魔物を撮った時のものだ。けれども、印画紙に写っているのは薄ぼけた光だけで、魔物の姿なんてものはどこにもなかった。
証拠のないおれの話は信用されず、旧校舎の崩壊跡もイタズラ呼ばわりだった。ツイッターに写真を上げても、こんなのではオカルト好きすら飛びつかないだろう。
四面楚歌の状況であった。
「――そうよ。人なんてみんなそう。誰も信用できない」
突然、苛烈な物言いをする伊誘波。
おれはびっくりしつつも、彼女を宥めるようにする。
「おいおい。さすがにそれは言いすぎなんじゃ。本当のことなんだから、じっくり話せば、誰かは分かってくれるはずさ」
「そんなわけないでしょ! 人間なんて上っ面しか見てない!」
理由もなしに、彼女は提案を否定する。
普段、おれみたいな変態以外の他人には、落ち着いた対応をしてきたこれまでの伊誘波からは考えられない豹変。
いったいなにがあったのか、おれが訊こうとすると、
ビュウウウ
風が吹いた。山風だ。このへん一帯ではときおり、予兆もない突風が吹くことがある。
山風がやんだころには、スカートを抑えている伊誘波と、カメラを構えたおれがいた。
「撮ったでしょ?」
「はい」
「ねえ? さっきまで、真面目な話してたんだけど。わたしたち」
「すいませんでした」
分かってはいるのだが、パンチラの可能性があると、もはや反射的に動いてしまっていた。
結果は失敗で、スカートにブロックされてしまっていたが。
「ほんとガード高いな」
「そうでしょ。あんたみたいな強い邪心が発生すると、なんとなく分かるの」
伊誘波は自慢げにスカートを元通りにする。そこにはさっきまでの他人を拒絶するような雰囲気はなく、昨日と変わらない彼女がいた。
調子が戻った伊誘波は、おれを嬉しそうに罵倒する。
「このドスケベ。あとで風紀委員に被害報告してやる……まあでも、そんなド変態のあんたに朗報があるわ。これからわたしが提示する条件を呑めば、通報もしないであげる」
通報は慣れたものだが、しないでもらえるのならば、それはそれでありがたかった。
なので条件を承諾することを伝えると、伊誘波は嬉々としたリアクションをみせた。
その場でターンする伊誘波。
スカートがふわりと広がって、見えそうで見えない位置まで浮く。ご自慢のツインテールと一緒に、そんな男のスケベ心を誘うような絶妙な位置取りを維持しながら、彼女は口を開いた。
「残りの魔物全てを倒したら――わたしのパンツを見せてあげる」
それは確かに、朗報だった。この上ない至高の誘惑だった。
おれは、ゴクリと生唾を呑みこんだ。