憧れの彼女のスカートの下
風紀委員会の魔の手から、おれは逃げ続ける。
校門は封鎖されていたため、時間まで隠れられる場所を探すことにした。
学園内でひとけのないところだと、やはり旧校舎が一番だ。
現在は誰にも使用されていなく、もはや来年には取り壊し予定の廃墟。点検もされていなく、肝試しにも使われているほど不気味な雰囲気があった。
旧校舎に到着したおれは、玄関口めがけて、高くまで伸びた雑草の間を匍匐前進で移動する。
「ん?」
人が、ひとりいた。
風紀委員ではない。彼らは必ず腕章を装着しているというものあるが、おれはそいつの顔を見ただけで分かっていた。
だって彼女は、風紀委員に所属していない。
考えている内に、消え去ってしまう彼女。旧校舎に入ったのだ。他のどこへ行くにしても、この短時間じゃ無理だ。
「なんでこんなところに?」
彼女が、こんなところへ来るなんて初めて知った。
彼女ではない? いいや。おれが女子を見間違えるはずなんてない。
では彼女だ。
「……チャンス」
おれは周囲を警戒しながら、急いで玄関から旧校舎へ侵入する。
一階、いない。
「上か」
カツンカツンと階段を昇る音が聞こえる。この大きさだと、二階と三階の途中。
間に合うか?
駄目だ。あとをつけてもこの無音の建物だと音が響いてバレてしまう。やつのガードはとても堅い。少しでも警戒心に火が点くと、もう成功はないとみていい。
おれは決して気づかれてはならないと、慎重に彼女へ近づいていく。
ふたりっきりなだけチャンスなんだ。普段、あいつの周りに人が絶えるなんてことはないのだから。
自分で自分へ語りかけることで、心を落ち着かせる。
それでも千載一遇の機会に、おれの心臓はバクバクする。
こういう時は、素数を数えるか自分の存在を再認識するといいと聞いたことあるので、そうすることにした。
「素数は確か、一、二、三、五、七、十一、十三……一って素数だっけ?」
駄目だ。おれに数学はできなかった。
なので、おれはもうひとつの選択肢である自分自身を見つめ直すことにした。
名前は、下帯 絆。高校二年生で、第二写真部に所属している。
ちなみに、性も名も、どちらもパンツのことを称する。実家が江戸時代から先祖代々と伝わる下着屋のため、このように名づけられた。
そして名は体を表すとばかりに、おれはパンツ好きになった。
といっても両親のように下着そのものを愛しているわけでなく、女性の履いたパンツが好きなのだ。だから、小中高とずっとパンチラ写真を撮ることを趣味にしている。パンチラのためなら、どんな努力も苦ではなく、さっきの伸縮ベルトや透明バーのパンチラ道具もそのために自作したものだ。
……時間とは意外にも短いもので、己を省みている間にもう屋上へ着いた。
閉まりきっている屋上の扉。
おそらく彼女自身が、閉めたのだ。まるで、今は独りにでもなりたいとでもいうように。
しかし悪いが、邪魔させてもらう。
なに、大人しくしていれば天上の雲の形でもなぞっている間に用事は済んで、おれはお暇させてもらう。
おれは屋上へ足を踏み入れる前に、最後に目的だけ確認する。
吟城学園に入学した当時のおれは、学園に在籍する女子全員のパンチラ写真を撮ると目標を打ち立てた。あれから現在まで思いは変わらず、実際に一名を除いて、パンチラの撮影に成功した。
そして、その一名こそが、この扉越しに佇んでいる彼女なのだ。
難攻不落の強敵を、今日こそ陥落させてみせる。
おれは意を決して、扉をそっと開いた。
ギギギ
「だれ?」
白金のフルートのような高く澄んだ声。
間違いなく彼女だ。隙間から気づかれない内に撮るはずが、このたてつけの悪くなった扉が鳴らす音によってバレてしまったのだ。
しかし普通ならば風や傾斜によるものだとも考えられるのに、彼女はまるでおれがいることを分かっているかのように扉を凝視したままだった。
この高い警戒心こそが、もしかしたら難攻不落の正体なのかもしれない。
おれは、素直に姿を表すことにした。
「あんたは?」
対面することで、彼女――伊誘波 黄泉の容姿が、はっきりとおれの視界に映った。
日の出のような輝き。
イエローダイヤモンドのような煌びやかな双眸、細く高い黄金比の鼻、熱した果実みたいに赤い唇。眩しささえ感じるバターブロンドの長髪をふたつに束ねて、ツーサイドアップにしている。耳、顎、首、その他含めて伊誘波は最高の美貌だった。
降り積もった雪のように真っ白な肌が、セーラー服から飛び出た細く長い四肢によって大きく晒されている、
初めて見た時から夢中になった可憐な彼女へ、おれは自己紹介する。
「下帯だ。同じクラスの」
「したおび……ああ。一年生から続けてクラスメートの」
「そうだ。まあ予想通り、おれのことなんて覚えちゃいなかったようだが」
「いいえ。覚えているわよ」
「本当か?」
少し嬉しいおれ。
「ええ。ドスケベの下帯くん」
修正。ちょっと悲しいおれ。
伊誘波に渾名を呼ばれたおれは苦笑いする。
「まあ言われて当たり前のことをしてはいるんだが」
「あら意外。変態でも自覚はあるのね」
「変態をなんだと思っているんだ?」
「人に迷惑をかける行為にも関わらず、それらを平然と行う異常者」
「ぐうの音もでねえ」
反論の余地もない正論で、おれは叩きのめされる。
傷心するおれをつまらなそうな目で見ると、興味を失ったとでもいうように伊誘波は柵のほうへ振り返った。
「それで、なんの用?」
「おまえのパンチラを拝みにきた」
「……堂々と言っているけど恥ずかしくないの?」
「隠すくらいの恥じらいがあるのなら、最初からこんなことせんわ」
「それもそうね。でも残念、最近は見せる気にならないの。帰って」
「最近? おれは入学当時におまえを見た時からずっとパンチラを撮ろうとしてたけど、一回も成功したことないぞ!」
「……一度も喋ったことないはずなのに、なんでそんなストーカーじみたことを?」
どん引きする伊誘波。
でも待ってくれ。一度か二度は会話したことあるだろ。
テストで前後の席になって、「はい」「んっ」ってテスト用紙を回された時とか。教室に出入れする時に鉢合わせになって、「すまん」「ごめん」って言い合った時とか。
「ただの反応で、問答にすらなってないじゃない。キモイ」
尖った口調だが、彼女の言葉はさっきからなにもかも正しい、
事実、おれが伊誘波の立場でこんな変態を前にしていたら同じようなことを口にしていたかもしれない。
「分かってる。だから、おれもこの程度の会話で、おまえの内面に惹かれたわけじゃない。ただ、おまえのその外見に憧れてしまっただけで」
「あんた、控えめに言っても最低ね。ど変態でクズの犯罪者。死んじゃえ」
「死ねって……」
これまでの人生で数々の罵りを受けたおれでも、正面切って絶命を命令されるのは初めてだった。
伊誘波は当然のことを言ったとばかりに、眉ひとつ動かすことなく、おれから少し離れたところを横切って出入り口まで行く。
「こんな変態男と一緒になんていられないわ。わたし帰る。ついてこないでね」
「――すまなかった伊誘波!」
「はっ?」
おれは裸足になり、両膝と両肘と両手さらにおでこを地面に着ける。
土下座だった。
おれはこの日本で最も重いとされる謝罪方法を行っていた。
よほど意表を突かれたのか、今まで凍ったように固まっていた表情を、伊誘波はそこで初めて歪めた。
両眉の端が下がる。いわゆる困り眉だ。
「いったい、なにをしているの?」
「おまえに叱られたことで、ようやく、おれはおれの罪を理解した。今までしてきた数々の行いは、残虐非道かつ鬼畜生なことだ」
「いやそこまでは……最低なことには変わりないけど」
「許してくれ。伊誘波」
「覗かれてないわたしに言われたって困るわよ。謝るなら、自分が迷惑かけてきた人たちにしなさい」
「分かったそうする。これから前年度に卒業した女子生徒含め約一〇〇〇人に頭を下げてくる」
「どれだけパンチラ撮ってるのよ……でも、急に謝るなんておかしいわね」
そこで、ハッ、と途端になにかを察知する伊誘波。
彼女は扉側へ一歩下がる。
やはり勘がいい。おれが一年間、失敗し続けたのは人気によって伊誘波の周囲には常に人だかりがあるせいもあるが、それ以上にその鋭さが原因だったのだろう。
伊誘波は、おれが土下座のままジリジリと近づいていたことに気づいたのだ。
土下座は謝罪姿勢であると同時に戦闘態勢。相手が油断し、自然にパンツが見えやすい低位置に入れる。しかし、一度、対象に見抜かれてしまった時点で、立ったままの相手のほうが歩幅が大きいため、逃げられてしまう。
「あんた、撮るつもりだったでしょ。でも残念。先にわたしが気づいちゃった……ったく。口だけで、結局は性根は悪だったわけね。嘘まで吐いて。人間どころかゴミ以下よ」
おれの策を破って安心した伊誘波は、次々と言葉のナイフを投げかける。やはりというか顔に似合わず、彼女はとんでもない毒舌家だった。
それを悲しみながら背中で受け止めている最中、おれはポケットに手を入れた。
ポチ……ガタン!
「えっ――きゃあ」
開いていた扉がいきなり激しく閉まった。
その際に起こった風圧によって、伊誘波のスカートがめくれる。
「これを狙っていたのさ」
屋上へ出てくる前に、伸縮ベルトを扉に括りつけておいたのだ。
遠隔操作のボタンを押したことによって、内側への手すりへ引きつけられた。
懐のカメラを瞬時に取り出す。既に準備は終えていたため、あとはシャッターを切るだけだった。
「ここまでしてパンチラを。あんた、人間としてのプライドってものはないの」
「一にパンツ、二にパンツ、そして最後にもパンツ。おれの優先順位は全てパンツで埋まっている」
「この性欲異常者!」
「くらえ。パンチラ真剣奥義・頭下げて尻隠さず」
「技名も最低!」
慌てて手でスカートを隠そうとする。
――遅い。
おれの早撮りは、その半分の時間で終了する。さらにこの距離では、一〇〇%ブレることはない。
撮影に成功した。一年越しの悲願の成就だった。
これで、現段階での学園の全女子生徒のパンチラを見ることができた。あとは来年の新入生を残すのみだ。
おれはウキウキで、現像された写真を確認する。
「あっ、あっ」
まるで殺人鬼に殺されたかのよう絶望する伊誘波。
対しておれは……そこまでといかずとも、落ち込んでいた。
「失敗した?」
写真に写っていたそれは、闇だった。
下着の色が黒いというわけでない。伊誘波のスカートの下にあたるそこは、とても濃い影に包まれていた。
不思議なのは、放課後になってもまだ明るいこの時期のこの場所でできる影の色濃さではないということだ。おれはそういうのも含めて、ベストショットを狙ったのだ。
では、この四つに分かれている闇はなんなのか?
重なり合っている暗黒。
まるで伊誘波という強い光によって生まれた影のようだ。
「いやぁああああ」
「なにっ」
絶叫する伊誘波。瞬間、そのスカートの中から東西南北それぞれへ影が飛び出した。
それは人影のような、あるいは獣の影のような。
正体不明の影は空中を高速移動して、どこか遠くへ消え去った。
。――ひとつを除いて。
西へ出た暗闇。それは、おれと伊誘波の間で停止した
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