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日常

 

 あの異形の化け物から逃走するより、一時間前からのことをおれは思い出す。

 

 おれは廊下の端に置かれた掃除用具入れの中に身を潜めていた。別にいじめられているというわけでなく、自分自身の意志で入っているのだ。だからといってこの場所が好きというわけでもない。夏の日差しで温められた周囲の金属板はとても熱く、また空気の流れなんて考えられて設計されたものじゃないからずっといると蒸し暑い。さらには熱によって活性したカビが、とても臭かった。熱と臭さと狭さの三重苦。世の中には好きな人もいるのかもしれないけど、おれなんかはとうてい好きこのんで、こもるなんてできなかった。

 

 では、なぜそんなところにいるのか?

 

 その答えは、目の前にあるごく細い穴の向こうにあった。


「えー。それやばくない?」

「やばいやばいやばい。やばすぎるって」

「ミカちゃんやばすぎ」

「やばいよね~」


 廊下を歩きながら、不思議な会話を繰り広げる女子四人。おれは三つの線のような穴から、横並びになっている彼女らを覗きこむ。左から、


 二年B組の安野 美香――身長一六〇センチで体重五二キロのギャル。

 二年F組の中村 明日香――身長一七〇センチのバレー部エース。

 三年A組の香村 ひなこ――雑誌モデル。(バスト)八三、(ウエスト)五八、(ヒップ)七八のナイスボディ。

 一年D組の小鳥遊 楓――小学生のような小柄な体。歩調をみんなに頑張って合わせているのがかわいい。


 どの娘も美少女で、ひとりでも絵になるのに四人いると相乗効果でもはや美術作品のアニメーションだ。モナリザがウインクして、考える人がスクワットする。


 廊下を進んでいる内に、彼女らは一斉に足を止めた。


「なにこれ?」


 四人の前では、走り高跳びのセットが行き先を塞いでいた。

 気づいた安野は、スマホを取り出してパシャパシャと撮る。


「うわー。やばいよこれ。なんでこれがこんなところにあるのか、考えるだけでやばい」

「だれかが、つかっていたのかな?」

「こんなところで? しかも終わっても片づけずに?」

「休憩中かしら。使った跡があるようだし」


 バーを越えた先にあるマットが、いくらか凹んでいることに気づく。


「そっかー。まだ使っているなら、あたしたちが片づけるわけにもいかないか」

「運動部として、部に関係ない人に迷惑をかけるのはいいとは思えないな」

「まあまあ。がんばってるのはいいことだよ。ミカちゃんもアスカちゃんもヒナちゃんも、みんながんばっててかっこいいよ」

「ありがとう。楓」

「そんじゃまあ、ツイッターにあげる写真も撮ったことだし、ここ通ることにすっかー。最低限は気使ってくれてるのか、棒は一番下に置いてあるみたいだし」


 興味も尽きた彼女らは、障害物を越えて自分たちの目的地まで行くことにする。


 バーの上を、仲良く四人一緒になって跨ろうとした。


 ガタン


「え?」


 バーの一段上に設置された()()()()()にみんなして引っかかると、頭からマットに転ぶ。


 ぽふん、と柔らかい音とともに舞い上がるスカート。

 風に吹かれたカーテンのように揺れると、徐々に重力に従って端のほうから下へ降りていく。


 瞬間――おれは掃除用具入れの扉を開いた。

 

 パシャシャシャシャン

 

 四連打されるシャッターボタン。それは刹那の時を逃すことなく、この空間に在った光景を捉えた。

 

 転んだ四人は痛みさえもなかったようで、すぐにおれに気づいて振り返った。


「なにしてんのあんた!?」

「もしかしてこれやったのもあんたでしょ!」

「卑劣よ。こんなイタズラ仕掛けたうえ、写真まで撮るなんて」


 罵声をぶつけながら、手持ちの物を投げてくる四人。


 躱しながら、おれは現像された写真を眺める。


「香村先輩は、白のショーツか。イメージ通りの清純派だな」

「なっ」


 動転して、香村は投げるのをやめてしまう。


「中村は、スパッツ。今日はバレー部お休みなのに、根っからの運動派だな」

「くっ」

「安野は、流行ブランドの一番人気のやつか。ギャルらしいことで」

「うぅ」

「小鳥遊は……黒のTバックだって⁉ 嘘だろおい!」

「うぇえええん」

「楓を泣かすんじゃねえ! パンチラ野郎!」

「思い出した。こいつ同じクラスで、パンチラ撮りの変態で有名な下帯だ。クラスの女子たちも、みんな被害に遭ってる」

「この汚物!」


 一度は収まったはずの集中砲火が再開する。

 回避をやめたおれは、彼女らの攻撃をもらい続ける。そんなことより、小鳥遊のパンツのことが気にかかっていた。


 ロリータ属性の小鳥遊。

 小学校三年生の平均とだいたい同じくらいのサイズで、幼さを感じる声に舌足らずの喋りかたは、さらに彼女独自の魅力を引き上げていた。そんなまさしくベストオブロリな小鳥遊が、黒のTバックだって。Tバックといえば、陰部を隠すのにほぼ最小限の布で構成され、セクシーの象徴とされているパンツ。しかも黒というのは、収縮色で肉体を細身にみせるだけじゃなく、大人の色気を醸しだす色でもある。黒のTバックというまさしく官能の合わせ技であるそれを、尊さや純粋性を感じさせるロリータが履いているなんて――

 

 ブオン


 妄想中、シームレスに振り降ろされる竹刀。

 くらえば死を感じたので、おれは妄想を切り上げて、新たに現れた人物を見る。


「ちっ、躱したか。絆」


 舌打ちしてから、おれの名前を呼ぶ女。


 前も後ろも横一文字に切り揃えられたおかっぱヘア、尖った目つきに三白眼、男子の平均身長ちょうどのおれよりも高い背。

 歪とも取られかねない特徴的な部分を複数持つ彼女だが、それらが意外にも噛み合って不思議なバランスを保つことで、元々いた四人にも負けないほど整っているルックスを持っていた。


「さっきのはさすがにヤバかったぞ。腕を上げたな。依緒」


 「風紀委員長」の腕章を巻いた片腕の先に、竹刀を持つ女の名前をおれも呼び返した。

 

 彼女は、南元(なんげん) 依緒(いお)

 この町の寺の一人娘で、おれの幼馴染だった。

 

 おれの親しげな返しを聞いて、依緒はメラメラと目に炎を灯す。


「なにが腕を上げただ……高校に入って一年間どころか、中学小学はては保育園の頃から貴様は性懲りもなく悪事を繰り返すことで女人たちを困らせおって」

「依緒のこともずっと撮ってきたものな。見るか? おまえと最初に出会った時に履いていたいちごパンツ」

「学則違反による罰を執行する!」


 依緒はすり足になると、おれへ迫ってきた。


 剣道部主将でもある彼女は音もなく足を次々と伸ばすと、目の前から消えた。


 おれは脇腹へカメラを構える。


 ガツン、と強烈な音とともに右の死角から振られた竹刀がぶち当たる。


「相変わらず頑丈な写真機め」

「昔から最初は必ずここを叩く。ワンパターンだな」

「ぬかせ。その忌々しい物体ごと消し去ってくれる」

「がんばれー。ふうきいいんちょう」


 四人娘から応援される依緒。完全にこちらが悪役だった。


「ありがとう。必ずやこの邪悪を規則の下、正しき道へ導いてみせる……あっ」

「あばよ。とっつぁん」


 依緒の意識が別に向かっている隙に、おれはその場から逃げ出した。


 ついでに依緒のパンチラも狙うが、くるぶしまで隠すロングスカートのせいで紺色の幕が撮れただけだった。長い付き合いだけあって、事前に警戒されていた。


「待てー!」


 依緒も四人組も、当然ながらおれを捕まえようとする。


 油断したとはいえ、ひとりだけ矢のように飛び出してきた依緒はすぐにおれへ追いつく形になった。階段や教室などのわき道に逸れる暇なんてなかったため廊下を進み続けると、おれの前に壁が立つこととなる。


「そこまでだ。観念して、これからはルールに従え」

「つかまえたら、おしりがまっくろになるまでぺんぺんして、ぬいはりせんほんまるのみだからね」

「よくある子供への仕置きなのにえぐい!」


 本物の針千本は、胃がハリセンボンになって死ぬ。


 なんとしても逃走を成功させたいと思うおれだが、立ちはだかる壁にはどこにも越えられる場所なんてなく、抜けられそうなのは、五階からの窓くらいだった。


 サンドバックと針千本または飛び降りのどちらか。


 おれは悩むことなく、


「きゃぁあああ」


 開いてあった窓から、身を投げ出した。


 耳に届く女子たちの悲鳴が遠くなっていく。


 依緒は枠に足をかけて、こちらを見下ろす。

 すると、強張っていた美顔が呆れた表情に変わって、さらには冷たい目線を放ってきた。


「い、生きてるよね?」

「残念ながら……」

「う、うそ」


 慌てて確認する彼女たちが見下ろす先では、おれのベルトからワイヤーが伸び、その先にある鉤が枠にかかることで、おれを支えている光景があった。


「はーい」


 元気なことを伝えると、ラッペリングの要領で、壁伝いに降下していく。

 さっきは心配していた女子たちも、上から罵倒してくる。


「落ちちまえ」

「ハサミ持ってきて。ハサミ」

「ははは。ありがとうね、お嬢さんたち。きみたちのパンツは今日も素晴らしかったよ」


 着地まですると、おれはボタンを押してワイヤーごと鉤を回収する。


 今日も無事に、パンチラゲットだぜ。


 そのまま意気揚々と帰ろうとすると、茂みからガサガサと音が聞こえてきた。


 直感で、おれは走った。


 後方からすぐに人の声がするようになる。


「委員長、ホシが逃げました。そのまま地上班を集めて捕まえろ? 分かりました」

「はっはっはっ。どうだ絆? こうなることも予見しておいて、風紀委員会総出で包囲網は張ってある」

「用意周到すぎる!」

「かかれ。みなども」

 

 簡易無線での連絡を終えると、茂みどころから、砂場や木の上などありとあらゆるところに潜んでいた風紀委員たちがおれを捕まえにきた。


 十人以上を超える彼ら相手に、必死に逃走劇を続ける。


 さっきまでおれのいた階層から、高笑いのあとの上機嫌な依緒の声が聞こえてきた。


「今日のところは私の勝ちだな」

「それはどうかな?」

「なにっ」


 現像した複数枚の写真から一枚を取り出すと、おれは反転(リバース)する。


「依緒。これが今日のおまえのパンツだ」

「いつのまに⁉ そうか。さっき私が窓に足をかけた時に」


 鉄壁を誇るロングスカートといえど、スカートであるのならば真下からならいける。


 さて、今日の依緒のはなにかな? この学校


 ワクワクドキドキしながら、おれは写真の表に目を通した。


「ジャージ……ジャージ?」


 おれは足を止めて確認する。しかし何度見ても、依緒のスカートの下は学校指定の芋臭いジャージだった。


 振り返ると、依緒は得意げに鼻で笑っていた。


「囲んだぞホシ。今日でおまえも終わりだ」

「ちくしょおおお!」


 おれは悔し涙を目元に浮かべ、ガムシャラに走った。


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