復活イッタンモメン
天守層。城の最上階に、伊誘波はいた。
おれは邪魔をする使い魔どもを倒しながら、上の階層目指して階段を駆け上がっていく。
三階に辿り着くと、第一写真部の部員が武者走りで倒れていた。
「大丈夫か?」
「下帯さん……はい。でも、仁さんのことは止められなくて」
部員の数人は、伊誘波本人の警護を買ってでてくれたのだ。
「来たんだな。仁が」
ここでいう仁は、おそらく京華さんのことだった。
「はい。ですが、呼び出された使い魔が他とは比べるまでもないくらい強くて」
「なるほど」
「あっ、そういえば無線で部長との会話が聞こえてましたけど、雰囲気は熱そうでも中身は最悪でしたね」
「今それ言う⁉」
思わぬ場面でのツッコミに、驚くおれ。
話している内に、四階からの降り口にいる巨影が見えた。
「イッタンモメン! てめえ、生きていたのか⁉」
「……」
虚ろな目で、口を閉ざしたままのイッタンモメン。
違和感を覚えると、部員が説明をしてくれた。
「仁さんの話だと、死んだ魂を再利用したものらしくて」
「死霊魔術か」
「……!」
なんの前触れもなく。いきなり動き出したイッタンモメン。その高速の突進は、生きている時とまったく変化がなかった。
横一文字を伏せて躱すと、おれは布の下を潜り抜けて階段を目指す。
こいつと交戦していたら、いくら時間があっても足らない。
タフな敵は無視して、必要な分だけ倒しながら最短時間で伊誘波へ辿り着く。
そう思考を巡らしていると、イッタンモメンは翻り、その勢いのまま布を振り回す。背後からの太い鞭のような一打に、おれは死を感じた。
すぐさま次に踏み下ろす足に最大限の力を加えて、畳をかち上げる。
畳返しによって直撃は避けた。
だが衝撃を完全に吸収することはできず、畳ごとおれは吹き飛ばされる。
「下帯さぁあああん!」
遠ざかっていく部員。おれは城を飛び出して、空中に身を投げ出される形となった。
三階だ。落下しても死にはしないが、重傷は確実で伊誘波の元に到着なんてことは不可能になってしまう。
おれは畳の勢いに押されながら、閃いた考えを実行する。
外したベルトのバッグルを、カウボーイのロープのように回し、そのまま上目掛けて投げる。
運良く、銀のシャチホコにフックがかかった。
「駄目です! それでは衝撃に耐えきれずに落ちてしまう!」
畳はまだおれを横っ飛びにし続ける。
このままでは伸縮ベルトの限界が先にきて、千切れてしまうのがオチだろう。
けれどおれの賭けは、フックがかかった時点でもう終了していた。
ブオオン!
突風が、おれと畳を急上昇させた。
「山風! そうか。自然にパンチラを起こす山風、その発生する時間帯や方向をパンチラ大好きの下帯さんが把握してないわけがなかった」
地面と水平になった畳に乗りながら、おれは伸縮ベルトを手繰って最上階へ迫っていく。
見える。
逃げる伊誘波と、先程まで目にしていたはずの美女の魔物が。
おれは畳を足場にして、天守層に飛び移った。
「下帯!」
「貴様! あの場から、この短時間でいったいどうやってここに⁉」
驚愕して、こちらを見てくるふたり。
おれは着地の衝撃で痺れる足を我慢しながら、立ち上がる。
「方法なんてどうだっていい。おれは今この場でてめえを倒し、依緒のところにいるもう一体の魔物も消滅させて、伊誘波を救ってみせる」
「ふん。いいじゃない。やれるものならやってみなさいよ」
指先が発光する。依緒の話だと、おそらく魔力を弾丸のように放つ魔術だろう。
いくらカメラがあるからとはいえ、同じ遠距離の撃ち合いでは身体能力の差がある以上、不利な戦いになるに違いない。
おれは、やつに隙を作るための技を放つことにした。
「これから、おまえを止めるための呪文を詠唱する。よく聞け」
「へえ。その様子だと、どうやら少しは魔術を齧ってるみたいね。面白い。先にやらせてあげるわ」
「魔術? 下帯が?」
懐疑的な視線でこちらを見てくる伊誘波。
安心しろ。この呪文は、今までも百発百中だったのだから。
こちらを舐めて動きを止めてくれた魔物へ、おれは一泡吹かせてやることにした。
まず拍手をする。
「パン」
次にピースをして、
「ツー」
手で輪っかを作り、
「丸」
そのままゴーグルのようにかけた。
「見え!」
パンツ丸見え!
おれは際どい恰好をした女性の動きを必ず止めてきた呪文を言い放った。
「あんた馬鹿なの⁉ この命の懸かった場でその発言って、つくづく変態過ぎるわよ! だいたい、普段ならともかくこんな緊迫した状況でそれに引っかかるアホなんて――」
「えっ、ほんと⁉」
「いたー!」
早口でこちらを蔑む伊誘波に対して、魔物は股のあたりを手で覆う。
「この隙に」
魔物が動揺している内に、百手観音を仕掛けた。
「きゃぁあああああ!」
ほぼ同時間に、百回のフラッシュをおれは魔物へ浴びせた。
山風によってなにも映ってない写真が空へ運ばれていく。たちまちに魔物は消えていこうとする。
「やったー! 馬鹿みたいな勝ち方だけど、勝ちは勝ちよ!」
「よし、これで」
「――惜しかったけど、残念だったわねえ」
「ひぃい! 嘘でしょ⁉ あんた、いつのまにこんな近くに!」
勝利に喜んでいた伊誘波が、顔を青ざめさせながら振り向く。
魔物は、彼女の隣に傷ひとつなく立っていた。
どういうことだ? さっきまでは出入り口付近にいたはずなのに。
困惑に陥っているおれへ、魔物は余裕の声で言う。
「アタシの名前はリリス。魔術も得意だけど、最も長けている能力は精神操作。アンタは、この場所に立ち入った時点でアタシの洗脳空間に取りこまれているのさ」
つまり、リリスはおれの認識をずらして本来ならばなにもない場所を撮影させたというわけだ。
「だけどそれなら、この空間全部を撮ればいいだけだ」
おれは常にレンズ先を変更しながら。百手観音をくらわせようとする。
「その攻撃をもらっちゃ、さすがのアタシもまずいのよね。だから、やらせてなんてあーげない」
リリスは、尻尾の先の尖った部分をおれへ向けた。
直後、おれの周囲は氷に包まれた。
「な、なんだよこれ⁉ 寒い! 体が凍えちまう!」
逃げ場のないまま、全身が固まっていく。低温火傷によって皮膚が無限の針で刺されているように痛く、喉から内臓まで冷気が入っていくことで余すことなく凍えていく。
「どうしたの下帯! あんた別に、凍えてなんか」
「八大地獄の内のひとつ――極寒地獄を思い出せてあげているのさ」
おぼろげに聞こえる声。
完全に肉体が氷と化すと、粉砕されることで現実へ引き戻される。
「ひぃ……ひぃ……」
悶えているおれを、リリスは嘲う。
「人は死んでからまた人に転生するまで、地獄で八つの罰を経験してみそぎをこなす必要がある……アタシは、アンタの魂に眠っている記憶を呼び起こしてやったのさ」
「だ、だがどれだけ地獄を経験しようと、現在では仮初の出来事でしかない。耐えていれば、勝機はある」
「それはどうかしら?」
立とうとすると、ぷぎゅ、と濡れた靴下を踏んだ音が聞こえた。
「へっ……みぎゃあああああ!」
靴の中から溜まった血が零れた。
おれの血だ。右足に覚えのない負傷ができていて、そこから流れているのだ。
「精神と肉体は連動する。個体によって多少の違いはあるけれど、どんな人間でも三つの地獄をこなせば廃人、四つこなせば肉体も死ぬわ」
「痛い! 痛いよぉ!」
「下帯……」
生まれたばかりの赤子のように、おれは周囲を気にすることなく喚いていた。
こんなに苦しくて辛い思いを味わうのは、本当に生まれて初めてだった。
リリスは舌なめずりをしながら、おれへ尻尾を伸ばす。
「さて、次はどんな地獄がいいかしら」
「や、やめてくれ」
「アタシがそう言ったら、あんたは攻撃を中止してくれた? もしやめたら、アンタはこの娘を見捨てる?」
「それは……できない」
「だったら、やることはひとつよね?」
ゆっくりと、なめくじのようにリリスの尻尾は近づいてきた。
遠距離でもできたため、この魔物はおれの恐怖を煽って弄んでいるのだ。
怒りが湧くも、さっきまでの苦痛を思い出すと氷のようにすぐ冷めていってしまう。おれはただ、次にくる激痛に備えることしかできなかった。