チラチラ同盟
裸のまま全身がボディペイントに包まれている美女は、苦悶の声をあげる。
「な、なんだぁああ? これはぁあああ?」
「全部カメラさ」
「うち(第一写真部)で手配したものでね。音センサーを内蔵させて、このクラッカーに反応するようにしたんだよ」
おれは事前に、前多に魔物のことを打ち明けて協力を頼んでおいた。
部活ごと引き受けてくれた彼は、机、壁、掃除用具入れと目立たないように教室の中の風景を撮れるありとあらゆる場所に仕こんでおいてくれた。
「依緒から聞いている。どうやらおれのこのカメラじゃない普通のものでも、足止めできるくらいには多少は効くそうじゃないか」
ならば一発ではなく、その百倍や千倍を浴びせればどうなるのか。
連写機能付きの最新カメラは、データ容量が尽きるまで間髪を入れずに撮り続ける。
「だ、だが、いったいなぜアタシたちが魔物だって」
おれは自分の後頭部をトントンと指で突く。
「角だよ。角。あるだろ?」
「そうだ。どれほど魔術を磨こうとも、憑依の欠点である角は小さくすることしかできなかった。しかし極小の角は、隠していれば決して人目に晒すことはなかったはず」
「学校の日常写真コンテスト」
「監視カメラ相手は位置が決まってるから見事に隠しおおせたようだが、オレたち三〇人からの様々なアングルからのショットには油断したみたいだな」
そして嘘のサイトまででっち上げられたコンテストは無事に教師陣を騙し、ここ数日間で、学校内で撮影できるほとんどの人物たちの日常風景を撮影できた。
あとは得たデータをパソコンで拡大などを繰り返して細部まで把握することで、角を生やしている人間を発見した
「仁と、ゴリの代理である生物教師。おまえらふたりが、魔物だ」
「ウトゥックもか!」
「生物教師のほうは、依緒が担当しているよ」
その言葉で、ハッ、と美女の魔物は気づいた。
「ということは、まさかアンタたちさっきの仲間割れは⁉」
「おまえら魔物を分断させるための嘘さ」
「おのれぇえええええ!」
自分が騙されたことを理解して、苦痛を味わいながら悔恨を口にする魔物。
「前多。データにはまだ余りはあるが、予行練習通りだとそろそろフリーズが起こる機器も出てくる」
「オーケー! 第二陣スナイパー班に告ぐ。ファイア!」
シャっとおれと前多は両端から幕を引っ張って、カーテンを開く。
まだ明るい外では、隣の校舎から望遠レンズを装備したカメラを構えた大勢の部員がいた。無線からの指示で、彼らはこの教室に向けてシャッターを切る。
教室内のカメラの作動が終了しても、撮影会はまだ続行中だった。
「クソがぁあああ! 対魔巫女にやられるならまだしも、ただの人間如きにここまでしてやられるなんてぇえええ! あのイッタンモメンのせいだぁああああ!」
徐々に、魔物の身体が端から分裂していく。
勝利を確信したおれは、冥途の土産に教えてやることにした。
「言っておくがな。たとえ角を知らなくても、おれは仁に化けたおまえにだけは絶対に気づいたよ」
「な、なんだってぇ」
「あいつは、たとえおれの頼み事でも理由もなしにあの人を売ったりしない。おまえは仁の外見や記憶は乗っ取れても、あいつの心だけは真似できなかったんだ」
「戯言をぉおおお。がはぁああああ!」
かつての魔物たちが敗れた時と同様に散っていく美女。
あとは依緒の無事さえ確認できれば。
そう思っておれが無線に連絡を入れたところで、
「――策士、策に溺れるとはまさにこのことよ」
消える寸前の魔物は、そう言い出した。
「いいか未熟者。策とは、基本的に二重に用意しておくものよ」
「……てめえ、まさか⁉」
「そのまさかよ! 今頃、知ったところで遅いけどね! ふたりとも、ここで死にな!」
魔物の肉体は消える寸前に、ストロボの光をも飲み込む大きな閃光を繰り出した。
爆弾だ。
その威力は、教室全体に広がっていく。逃がさないための戸締りが、逆に自分たちを閉じ込めてしまうアダとなった。
これでは、本当におれたちどちらも爆発に巻き込まれる。
せめてやつらへの対抗手段であるカメラだけは失わないよう、体でくるむようにして守った。
「――」
ガラスが割れ、机や椅子が空に飛んでいった。
大量の破壊音のあとに、一瞬だけ教室が無音になる。
おれはそこで初めて、自分の肉体が無傷なことに気づいた。
「よかった。人体にそこまでダメージはないものだったんだ。前多、おまえも――」
振り返ると、おれのすぐ背後に前多はいた。
腕を伸ばしながら、その背中に多くの傷跡ができていた。
呆然とするおれを見下ろしながら、穏やかな顔で彼は言った。
「よかったぜ。下帯、おまえが無事で」
その言葉で分かった。前多は、おれがカメラを庇うように、その身を呈しておれを庇ってくれたんだ。
「ま、前多。け、けが」
「罠と部員どもが削ってくれたおかげで、そこまで大きな破壊力はなかったみたいだ」
力が抜けて。ぶっ倒れる前多。
声色の力強さから、どうやら彼の言っていることは虚勢ではないようだ。
おれがその場に立ち尽くしていると、下から声をかけてくる。
「それでどういうことなんだ? あのエロいちゃんねーの二重の策って」
「……そのことについてなんだが、まず先に説明しておかなきゃいけないことがある」
非常事態だ。許してくれ仁。
心の中で先に謝ってから、おれは口に出した。
「仁には、容姿がウリふたつの双子の姉がいる」
「マジかよ。でも学園で、それらしき人物は見かけたことないぞ? あんな美少年、たとえ性別が女でも注目の的だ」
「それはそうだろうな。仁の姉である京華さんは。高校に通わず働いている」
仁の家は貧しかった。両親とは事情があって離れ、姉弟ふたりで暮らしている。
「本来ならば仁も中学を卒業したら働く予定だったらしいが、京華さんたっての希望で、成績優秀だった仁はこの学園に奨学生として入学した。けれど奨学金だけでは生活や学校への支払いには足らず、不足分を京華さんが働いて収めている」
そんな弟のために健気に生きようとうする彼女でも。学園生活への未練があった。そのため、たまに仁に変装して彼女が代わりに学生として生活する日もあったりしたのだ。
ゴリにそれがバレて脅されたのが、かつておれが写真に収めた現場だったということだ。
「泣ける話だが、それとこれは関係ない気が」
「おれたちが発見した角の持ち主は、おそらく京華さんのほうだ」
「なにっ」
教室では、おれたちの他に眠っている仁の姿があった。
はだけている男の特徴から、仁だと正確に判別できる。髪を上げて、後頭部を確認してもゴリのように角はなかった。
「じゃあ、今、魔物は?」
「おそらく京華さんに扮して、ひとりになった伊誘波のところへ向かっている」
「マジか。それだと、せっかく巻き込まれないようにしたのに意味がねえ」
「とりあえず依緒に連絡しよう。終わっているなら、あいつに向かってもらえば」
話している内に、電源の入っていた無線がやっと繋がった。
おれは、通信を試みる。
『依緒。おれだ絆だ』
『絆か――こち――』
ノイズがかなり混じっていた。おれは自分たちの状況を伝える。
『負傷者一名。しかも倒した魔物は偽物で、本物は伊誘波を直接狙っている可能性がある。応援を頼めるか』
『――無理だ――こいつ――かなりの手練れだ――逃げる隙もない――くっ』
呻きを最後に、プツッと連絡は途絶えた。
おれは無線機を強く握りしめてしまう。
ふるふると震える機械を前に、喉からかすれ声が漏れる。
「ちくしょう……おれのせいだ……」
この作戦を提案したのは、おれだった。上手くやれば、今日一日で魔物たちを一網打尽にできると考えてのことだった。
悔しくてたまらない。けれどそれ以上に、友達を巻きこんで幼馴染を危機に追いこんで、肝心の伊誘波も守れなかったという事実は、後悔しきれないものだった。
悲しさと怒りとか辛さとか、どうでもいい。
おれがいくら感情を荒げようとも、彼ら彼女らは実際に傷ついているのだ。
おれはただ、今、起こっている現実に打ち負かされようとしていた。
「……下帯……いけ」
おれを正気に戻したのは、前多の声だった。
「くだらないことを考えているのは分かる。でもいけ。ミスは、それひっくるめた成功でしか取り返せない」
「じゃあ、おまえも」
「オレは駄目だ。この怪我じゃ、足を引っ張ることしかできない。おまえ、ひとりで魔物倒して、伊誘波を救うんだ」
「で、でもおれは。おれひとりじゃ……」
そうだ。今からでも伊誘波の元にでも行けばいい。
まだ事態は終わってない。まだ全て成功する余地はある。
しかし、よく考えてしまうと、おれ自身はこれまでの魔物の戦いでそこまで多くの貢献ができてないという事実が壁のように立ちはだかる。
最初の戦いだって、老人にもらったこのカメラがあったおかげだ。
二回目だって、結局は依緒のおかげだった。
おれが考えた作戦は失敗、カメラだって、あんなに用意しても結局は駄目だった。
おれは、おれ本人にはなにも成しえてないのだ。
悩み、足を竦めるおれ。こんなおれを見て、前多は言った。
「なあ下帯」
「……」
「おまえは、おまえは世界中で一番、女の子を撮るのが上手いんだ」
「な、なんの話だ?」
「いいから黙って聞け。それが嫌なら、さっさと行くんだ!」
おれは動かない足を前に、沈黙する。
前多は、体はもうボロボロなのに力の入った声で語りかけてくる。
「オレはよ。この学園に入るまでは、オレが一番、写真が上手いと思っていた」
「……」
「でもよ。ある日、顧問から指定された風景の写真ではなく、近くにいる女子のケツばかり追いかけてるやつを見かけた。なんの賞にもならないのに、馬鹿だと思った。けど、そいつの撮ったパンチラ写真は、賞狙いで小細工ばかりのオレの風景写真より輝いていた」
「……」
「あの写真を見た時からだ。オレが撮りたいと思うものを、素直に撮るようになったのは」
「……」
「伊誘波のパンチラ撮りたいんだろ⁉ あれほど待ち焦がれていたものが、おまえは撮れなくていいのか⁉」
いつのまにか、おれは走っていた。
伊誘波がいる場所へ、足が向かっていた。 もはや遥か後方になった彼からの声が聞こえる。
「チラチラ同盟ルール!」
「女の子は、絶対に傷つけない!」
強い力に背中を押されるように、おれはどんどん前に加速していった。