悪友
部室棟に到着したおれは、第一写真部の部室の前で立ち止まった。
まだ誰も来ていないため、扉の前で人を待つ。
三分もすると、お目当ての人物が到着した。
長身と健康的に日焼けした肌からはスポーツマンみたいな雰囲気を感じるが、動くのには不便そうな大きな丸眼鏡をかけている。
おれが待っていた男は、白い歯を見せながら大きく手を挙げる。
「早いな下帯」
「おまえこそ遅いな」
「待たせるのも悪いと思って、一応これでも最短距離で急いできたんたぜ。おまえこそ、どうやってこんな早く来れたんだ?」
「授業サボって女の子と乳繰り合ってた」
「はー⁉ 学園で嫌いな異性ランキングで女子からダントツトップのおまえが⁉」
「ほんと遠慮なしだな。前多は」
この前多という男子は、一年からのおれの悪友だった。
こいつもまたイケメンだ。だけど、とある理由があるおかげで一緒にいても仁の時とは違って、おれの存在が周囲からも煙たがられずにいる。
「ありえない。天地がひっくり返っても、そんなのはありえない」
「嘘だから気にするな。とりあえず女の子を待たせてるから、早くしてくれ」
「一行で矛盾してるぞ」
話しながら、鍵を使って部室に入る。
部屋内は写真部らしく大量のカメラ機材があり、賞を取った写真が壁にかけられていた。
編集用のデスクトップパソコンを起動させると、前多は弄る。
「昼休み使って準備もしていたが、データ量が多すぎて時間かかるなこれ」
「そりゃ面倒かけたな。朝、急に言ったのに悪い」
「本当だぜ。これは借りだからな。いつものやつ(・・・・・・)は少し色付けてもらうぞ」
「もしかして、今やるのか?」
「人待たせてるんだろ? なら早めに済ませちゃったほうがいいだろ」
あの伊誘波を長時間放っておくわけにもいかないし、やるつもりはなかったのだが、前多が費やしてくれた時間に報いるためにすることにした。
おれはバッグから、「トレード用」とタイトルに書かれたアルバムを出して広げる。
自分のアルバムを鍵付きの棚から持ってくる前多。緑に染まっていくダウンロードバーを尻目に、ふたりして中の写真を見せ合う。
「はい。陸上女子が走ってるところのパイチラ」
「黄色のユニフォームで褐色が映える――ナイスおっぱい!」
サムズアップでおれの持ってきた写真を褒める前多。
そう。
パンチラとパイチラ。わずかに道は違えど、この男もまたおれの同類だったのだ。だからいくら顔が良くても、変態仲間扱いで女子からもおれの同行が許されている。
「けど、おれと違って、おまえはモテるんだよな」
「下帯は強引にいき過ぎなんだよ。オレが撮ったのは、あくまでハプニングや通常の撮影に紛れさせてのものだ」
前多はパンチラの写真を、おれへ渡してくれる。
そこに写っているのは、明確にセクシーショットを狙っているおれの強引なアングルのものと違って、横からの自然なパンチラだった。
性癖の違いもあるのだが、こういう風に同じエロ目的でも撮影結果が別物だから、おれたちはそれぞれ相手の写真を欲しがって交換をする。
まだパソコンの準備は終わらないため。トレードを続けながら、おれたちは会話する。
「下帯。おまえだって、顔はいいから普通にしてればモテるんだぜ」
「顔がいい? 嘘だろ」
「本当だって。めちゃくちゃ童顔で、仁とは違ったかわいさだ。というか最初の頃のおまえたちは、ふたりで天使コンビとか呼ばれてたんだぜ。変態ぶりがバレてからは、汚れた堕天使と下帯のほうはしばらく言われていたけどな」
「天使って……」
知らなかった裏事情を聞いて、微妙な顔になるおれだった。
「思えば下帯と仁ってさ、急に仲よくなったよな。オレとおまえと違ってスケベでもなく、特に接点があったわけじゃなったのに」
昔のことに、前多は話を変える。
「友達ってそういうものだろ?」
「そうだけどさ。あっ、ちょうどあの時にゴリのやつも大人しくなって、さらにはおまえへの対応も甘くなったけど関係あるのか?」
ペラペラとよく口が回ることだ。その舌、ちょん切ってやりましょうか。
おれはそんな推理小説で犯人が口封じに人を殺す前のような台詞を思いつきながら、観念したように溜息を吐いた。
「あんまり教えたくなかったんだけど、そこまで気づかれてるなら、いっそ教えて自分から黙ってもらっておいたほうがいいな……ほら、これ」
おれは、少し古びた写真を前多へ見せた。
「跳び箱がある。体育倉庫での写真か……ちょっと待て 、なんだこれ⁉ ゴリのやつが仁の裸をひん剥こうとしてやがる」
目を飛び出して仰天する前多。
写真を指さしながら、おれを問い詰めてくる。
「どういうことだこれ⁉」
「どうもうこうも、おれたちが一年の頃のゴリは実は裏で気に入った女子へセクハラしていたんだ」
「最低野郎じゃねえか」
「そうだな。おれたちが面と向かって否定できるかは怪しいけど」
「うっ! 確かに!」
痛いところを突かれて、押し黙る前多。
沈黙で気まずい雰囲気になりかけたので、おれから話す。
「まあそういうことで、おれが体育倉庫でシャッターチャンスを待っていると、そのセクハラ現場に出くわしたというわけだ」
「どおりで、下帯に甘くなるはずだわ。こんな弱み握られてるわけだし」
「それからのゴリはセクハラばかりか日常生活でも萎縮しちゃった。そしておれは、この事件がきっかけで仁とは仲良くなったわけだ」
「なるほど、ことの顛末としてはそんなところか……でも待て。仁っていくらかわいくても男だろ?」
「えっ?」
「いや、えっじゃなくて、もしかして、そっちのケがあったのかゴリは」
「あー……そういうことか」
おれは訳知り顔で何度か頷く。
「そういうことって、どういうことだよ?」
「なんでもないさ。話はこれで終わりだ」
「しらばっくれるなよ。気になるだろ」
話題を打ち切ったはずのおれへ、諦めずに訪ねてくる前多。
いいかげん怒ろうとしたところで、パソコンに表示されているバーが緑一色になった。
「おっ、終わった。それじゃ、本題に入るとするか」
前多は質問をやめて、早速、作業に移ってくれた。
後ろで、ホッと安心するおれだった。
水泳部のスクール水着、他校のブレザーの女子、女性教師のスーツの下など約十枚以上のトレード成果をどかす。
片付けを済ませてからパソコンを覗くと、別れた画面にいくつもの学園の風景があった。
どれもこれも学園内ではあるが、映っている個所はそれぞれ違っている。
「ほんと苦労したぜ。監視カメラの記録を仕入れるなんて」
前多の言う通り、今、パソコンで流れている動画は学園の監視カメラによるものだった。
「学校の日常写真コンテストのために必要なんです、なんてテキトーこいたが、うちが緩い校風じゃなきゃ、それでも絶対に無理だったよ」
「さすが全国コンクール上位常連の第一写真部。裏ではパイチラでも、信用されてる」
「下帯もわざわざパンチラ写真なんてコンクールに出さなきゃ、退部なんてさせられなかったんだけどな」
軽口を叩き合いながら、おれは昨日の旧校舎あたりの記録を頼む。
前多が操作すると、おれと伊誘波がちょうど庭に出ている部分が流れる。
「どうだ?」
「駄目だ」
動画では、おれと伊誘波があたふたしている様子しかなく、魔物の姿なんて影すらも認められなかった。
もしかしたら動画では撮れているのかもしれないと思って、朝早くに監視カメラの位置まで確認したのだが、空振りに終わってしまった。
「なんで、おまえが伊誘波なんかといるんだ?」
「説明はあとでするよ。とりあえず早送りで再生し続けてくれ」
ここまでして収穫なしは哀しすぎるため、せめてなにかないと探す。
再生速度が変化して、パッパッと場面が切り替わっていく。
「そういえばなんだけどさ、おまえのそのカメラってなんなんだ?」
「ああ。これか」
いつも首掛けから提げて持ち歩いているおれのカメラ。自分で言うのもなんだが、毒々しささえ感じる紫のカラーリングだった。
高速の録画を確認しながら、おれたちは話をする。
最高速でも見慣れているため、話に集中して大事なシーンを見逃すなんてことはなかった。
「撮ったその場でプリントできるからポラロイドなんだろうけど、その形のやつは見たこともないんだよな」
「おれも知らん」
「知らないのかよ!」
「ああ。昔からこれひとすじなのに、まったく知らん……吟霧事件って覚えてるか?」
「オレはふもとの出身じゃないからよく知らないけど、この山一帯と近郊が大きな霧に包まれたんだっけ?」
「そう。十年前のあの時、実はおれは家に戻らずに霧の中にいたんだ」
おれは、カメラを握りながら当時を思い出す。
始まりは、もう覚えてないほど些細なきっかけからの親子喧嘩だった。両親との言い合いの末に、幼かったおれは家出をした。
近所の公園に隠れて、夜を過ごす。ちょうど季節は冬で、凍えるほど寒かった。
一時間もすると、おれは気が済んで家へ帰ろうとする。
だが帰路についている間に、どこから現れたのか急に町を霧が包んだ。
一歩前も見えないほど深く濃い霧だった。霧の中で、いくつかの衝突事故が起こったほどだ。このせいで、ただの霧のはずなのに吟城まで覆う霧は事件とされた。
歩き続けても家に帰れないおれは、霧の中で声をあげて泣いた。
『パパー。ママー。お姉ちゃーん』
普段ならば頼りになるはずの人物をみんな呼んでも、誰も助けになんてこなかった。
それでもっと寂しくなって、おれの涙の量は増えた。
どうしよう? もしかしてこのままずっと帰れないのかな?
そうやって不安な気持ちを抱えている時だった。
おれは、霧の中で光を見た。
パシャンパシャン
カメラのフラッシュ音だ。おれは音と光に誘われるよう進んでいく。
ふらふらと歩いた先には、知らない老人がいた。
アニメの仙人のように、老人は長くて白い髭をたくわえていた。
『ぱんちゅー。ぱんちゅー』
老人はおれを見ると、露骨に嫌そうな顔をして煙たがる。
『ん~? なんだガキか。今、わしは崇高な行いの最中じゃ。子供は家に帰って、ママのミルクで吸っていることじゃな』
『うぇええええん。前が見えなくて帰れないの!』
『ええいうるさい。今すぐ泣くのをやめろガキ』
『だって帰れないんだもん! いっぱい歩いて疲れて、でもおじいちゃんがぱんちゅ撮ってるのを見つけたからここに来てみて』
『ぱんちゅ……』
老人はおれの言葉の意味を考えた。髭を弄っている間に、閃く。
『パンツか! おいガキ――いや坊主。おまえさんパンツが好きなのか?』
『好き。お姉ちゃんのイチゴぱんちゅが一番好きだったけど、おじいちゃんが持ってる水玉模様のぱんちゅも好き』
『分かるのう! おまえさん、その齢にして中々の趣味をしておる!』
老人は、おれのパンツ好きが分かると喜んだ。
おれと老人のパンツ談義が盛り上がった末に、
『坊主。おまえさん、将来有望なパンツ写真家とみた』
『ぱんちゅ』
『だから、このカメラをおまえさんに授けよう。いつの日か、わしがまたこの町に寄った際には、これで撮った写真をわしに見せてくれ』
『ぱんちゅ~ぱんちゅ~』
老人はそう言ってカメラをおれの首へ掲げると、霧の奥へ消えていった。
「狂ってんのか?」
おれの昔話を聞いて、開口一番に前多はそんな反応を口にした。
「なんだそのイカれた童話は」
「ノンフィクションだけど」
「アントニオ猪木・談じゃねえんだぞ。脚色入りまくってるだろ⁉」
事実をありのまま伝えたのに、この言われよう。
ふとこの時、おれは荒れる伊誘波の姿を頭に思い浮かべた。
もしや彼女も、魔物に関する自分の話を信じてもらえなかったのかもしれない。
おれと同じく頼れそうな人物へ相談したが、嘘として扱われる。そうなると、おれと違って伊誘波の場合は、自分さえもよく分かっていない現象に、怯える毎日は辛かったはずだった。
考えれば考えるほど、彼女の激しい他人への拒絶に納得がいった。
「こりゃ早く済ませて、安心させてやらないとな」
伊誘波の気持ちを考えていなかったことに反省していると、外のスピーカーから電子音が聞こえてきた、
『あーあー。ただいまマイクのテスト中……ごほん。二年生の伊誘波黄泉さん、反省室まで来てください』
そこで終了音が鳴って、放送は切れる。
伊誘波を呼んだのは、さっき俺を投げ飛ばしたゴリだった。
「……嫌な予感がする」
論も証拠もなかった。
教師からの呼び出し、しかも行先が反省室なんて、生徒としては説教しか想像できないため嫌だ。けれど伊誘波の現状では、むしろ教師の近くにいるというのはかなり安全に近い状態のはずだった。
もし魔物が迫ってきたとしても、教師に発見されることで、学校からの保護も期待できるため悪い話ではなかった。
理屈として考えれば、この呼び出しは救援コールでもあった。
ゴリだって、今ではすっかり懲りて悪い噂も聞かなくなっている。
でもなぜか、胸騒ぎが収まらない。
「ん?」
「どうした? いいオッパイはあったか?」
「違う! 一時停止してくれ!」
おれが指示すると、前多はすぐに監視カメラの映像を止めてくれた。
停止した画面では、ゴリが外通路にいた。
「苦しそうだな。でも、ゴリがどうかしたのか?」
「少し戻して、通常再生」
先程よりも、ゴリの行動がかなりゆっくりと流れる。
授業の準備だろうか、生徒の誰もいない授業中に通路を移動している。ちょうど、おれが授業で会った時と再会するまでの時間帯だった。
大きな体を窮屈そうに曲げて、猫背のまま歩くゴリ。
そのままなにごともなく監視カメラの範囲から通り過ぎるかと思いきや、突如、彼は喉を抑えたまま苦しみながらその場に膝をついた。
数分後、ゴリは立ち上がると、胸を張って肩で風を切りながら大股で足を前に踏み出していく。
「まずい」
「なにがだ? ちょっと様子がおかしくなったみたいだけど」
「分からん! けど、猛烈にヤバい気がする! とりあえず今日のことはありがとう!」
あ、ああ……と戸惑った返事をする前多を置いて、おれは部室を飛び出す。