パンツとは何か?
パンツとは何か?
二〇一九年の現在ではズボンの呼び方の一種ともされるが、我々には女性下着としてのほうが馴染みがある。パンティー、ニッカーズ、ショーツ。他にも女性下着の呼びかたはあり、どれもそれぞれの魅力があるが、やはりパンツが基本だと思う。そもそも下着ならブラジャーも入るのではないか? という意見もあるだろう。そう言われてしまえばブラジャーとパンツはワンセットで売られていることも多く、ある意味では下着の上下を合わせてパンツと呼ぶかもしれない。そもそもこの問いかけはハイネの詩集にあるのを真似たもので、その答えまで真似ると、
『パンツとは、たちこめる霧に包まれたひとつの星だ』。
なんて、少し前ならこんなくだらないことを考えられたものだったのに。
おれ――下帯 絆は、放課後の吟城学園を走っていた。
周囲には教師や風紀委員会どころか他の生徒すらいなく、注意されるどころ誰にも迷惑もかけていない。だから首にかけたカメラが廊下いっぱいに揺れるほど。全速力で走ろうとも問題はなかった。
「クソ。息がもう保たない」
「あんた男でしょ。女のわたしより先にバテてどうするの」
一緒にいるのは、伊誘波 黄泉。
いまどき陳腐な表現になってしまうが、学園一の美少女だ。普通ならば盛り過ぎた表現だが、伊誘波に関してはこれ以外の表現が見つからないほど周囲から飛び抜けたかわいさだった。
そんな美少女と並走しているのだから、もし今の状況がマラソン大会だったのなら地獄が天国へ変わっていた。どんなに汗をかこうが心臓の動悸がしようが、全てが女の子といる照れやドキドキになるのだ。
「あいつが来てる」
伊誘波は言う。汗をかいた姿は、日常とはまた違う綺麗さがあった。
「どうする? なにかあるか?」
「あるもなにも、こうなってるのは全部あんたのせいよ! 死んじゃえ馬鹿!」
「それに関しては正直なところ、すまない。でも今は落ち着いて協力してくれ」
尋ねた途端に、伊誘波は怒鳴りつけてきた。
整った顔が荒ぶると怖い。
おれとしては反論したいところもあったが、そこはグっとこらえ、素直に謝って気を静めてもらうことにした。
「……そうね。たとえあんたみたいな最低な男でも、罵ってる暇なんてない」
なによりも現状を理解しているはずの彼女は、正気を取り戻すと、おれと一緒に周囲を探しだす。
「あれなんて、どう?」
廊下の壁を指さす伊誘波。
おれたちは、その場で急停止する。
「自分で言っておいてなんだけど、使いかた分かるの?」
「……そういえば、おれ一回もこれ使ったことない」
「うそ。でも、わたしも触ったことすらない……大丈夫かな? 他のにする?」
「いや、ここまできたらこれくらいしかないだろ」
おれたちは、うろ覚えで準備する。
幸い、開いた中には使用方法のガイドがあって薄れた記憶でもセットを完了できた。
俺は白と銀の筒を握って、廊下の中央で構えた。
筒先を、階段の昇り口のほうへ向けて待つ。
「……」
黙りこむおれたち。荒い息遣いだけが、このフロアに響く。
静かになったことで、誰かが階段を降りてくる音が聞こえる。上履きのカツンカツンといった硬い音でも裸足のペタンペタンといった音でもなく、スルスルと軽いものが滑る音。
滑音は、どんどんこのフロアへ近づいてきた。
おれは階段のほうを注意深く観察する。音がどんどん身近なものへ変わっていき、やがて大きな影の端が見えた。
あいつのシルエット。
「伊誘波!」
「うん!」
壁のところにいた伊誘波が、操作をはじめる。
あいつの全形が現れた瞬間、大量の水がおれの持つ筒先から発射された。
シュバババババ!
勢いよく放たれた水は、あいつに直撃する。
消火栓の水圧は凄まじいもので、大の大人でも当たれば吹っ飛んでしまう。
実際に使用してみると、ホースを持っているおれはあまりの反動に後ずさりしてしまう。停止したあいつから的が外れないように、手の中で暴れる筒を必死に制御する。
放射開始から二〇分が経った。
ホースから流れる水量はどんどん減っていき、最後には残った尿のようにチョビっとだけ出て落ちた。
おれと伊誘波は、すぐにあいつの様子を確認した。
「止まった。気絶したのかな?」
「いや」
おれの目線の先で、足がわずかに動いた。
それを機に、全身が一斉に稼働を再開する。気を失ったのかと思いきや、すぐに元気を取り戻していく。
閉じていた瞼が開いた――あいつの無数の眼が開いた。
黒い球体のような身体に、六本の足、身体中を白い眼球で覆われた化け物は、意識を取り戻すとおれたちへ襲いかかってきた。
日常だった光景に、突然、混じってきた非日常。
その始まりは、全ては憧れの彼女のスカートの下を、おれが見てしまった時から起こったものだった。
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