96.平穏の為に
「お嬢、殿下はなんて?」
「...もう国境の砦に着いたらしいわ。」
ルシアは一枚の紙を手に持って自室のソファに腰かけていた。
その目の前の机には幾つもの本が乱雑に積み重ねられており、イオンがそれを積み直していた。
イオンは整理しながらルシアの手に持ったそれについて尋ねる。
ルシアが持っていたそれは王子直筆の手紙だった。
今までも報告書紛いの手紙のやり取りはあったが、全てルシアからであった為、王子からの手紙は初めてだ。
まあ、中身は今までのと変わらないくらい事実だけが書かれた心境のほとんど綴られていない素気無くて淡々と短文だけのものだったけど。
侍女たちは愛する妻を案じて、なんて言うけどそんな甘さもへったくれもない代物である。
そもそも婚約者であった時すら恋文のやり取りなんてなかったもんなー。
「それにしても、カリストたちが出立して日数的にもこの手紙が届けられるのはもう少し時間がかかると思っていたのだけど。さすが、ノーチェとニキの子飼いね。」
「ノーチェは幾人か諜報部隊から引き抜いていってるから。」
手紙の配達は前世と比べるべくもなく、時間がかかる。
それを加味した上で、ルシアが手に持っているこれが届けられるのは随分と早かった。
運んできたのが、ノーチェとニキティウスの部下にあたる人間だと聞いていたルシアは感心を声に出した。
二人なら人材育成もかなりの腕前だろうと思っていたけど、本当に優秀な子飼いが居るみたい。
それに対してのクストディオの言葉でルシアは納得する。
そりゃ、国王直属の諜報部隊に居た者ならば素地も良いだろうからさぞや優秀に育ったことだろう。
「さてと、お嬢。読む気がないならこれら片しますけど。」
「あら、読まないなんて言ってないじゃない。」
イオンが綺麗に積み直した本をそのまま持ち上げて言ったのを聞いて、ルシアはイオンの腕をぺしりと叩いた。
イオンの持っている束はまだ読んでいない物である。
どうせ持っていくなら読んだやつから持ってけよ。
「だってお嬢、別のことに気を取られて本の内容全く頭に入ってないでしょ。惰性で読み進めてはいる分、いつもの速さじゃないし。」
「うっ...。」
イオンの指摘そのままだったのでルシアは気まずげに目を逸らした。
その通り、異常なまでの読書スピードを誇るルシアなら今、机に置かれている数の本くらいもう読み終わっているはずである。
しかし、実際は半分も読んでいない。
いつもなら時間があるならこれ幸いと読書漬けになるルシアがである。
イオンの指摘はもっともだった。
「ルシア様、殿下のことが気になるんでしたら返信してはどうですか。」
「...良いわよ、ちゃんと帰ってくるって知っているから。」
ルシアの後ろに立っていたノックスがいつの間に取り出してきたのか、ペンとインク、紙など手紙を書くのに必要な一式を差し出してくるのでルシアは拗ねたように言い返した。
イオンを筆頭にルシアの従者たちはこの数日、やたらと構い倒してくる。
それも王子を話題に出して、だ。
親戚のお節介なおばちゃんかよ!!
しかし、彼らがどうして構い倒してくるのか心当たりがない訳ではなかった。
読書数だけでなく、いやに私が大人しくしているからだろう。
それこそ、普通の貴族の深窓の令嬢のように。
いや、普段はお転婆って言うなよ!?
まあ、事実だけども!
ルシアとしての時間をそれなりに過ごしたことで馴染みが出たからかもしれないが、随分と子供っぽくなったものだと自分でも思う。
...ねえ、前世合わせてトータルアラフォーなんですが。
だからだろうか、彼らの指摘だけでなく、ルシア自身も違和感を感じているのは。
ほんとは私は違和感の正体を知っていた。
王子たちと離れるのは初めてじゃない。
それこそ今世のほとんどを共に過ごしたイオンも傍に居る。
王子たちが無事に勝って帰ってくることも祈るまでもなく知っている。
それでも、私は違和感を抱えていた。
これはきっと寂しいんだ。
置いていかれることが、ここに私たちだけが残されることが。
「...カリストもこんな気持ちだったのかしら。」
「はい?お嬢、なんか言いました?」
ルシアの小さく溢した言葉は聴力の良いイオンですら聞き取れず聞き返される。
クストディオもノックスも不思議そうな顔でルシアを見ていた。
「...何も言ってないわよ。さあ、イオン。どうせ、片付けてくれるならこっちを持っていってちょうだい。こっちは読み終わっているから。」
ルシアはイオンの持っていた本の束を奪って、別の束を押し付けた。
そして、手に持っていた手紙を封筒に入れ直して片付ける。
クストディオが用意してくれたお茶を片手に読みかけの本を開く。
...なんかお茶係がクストディオの固定になっているけど、三人の間で役割分担でもしてるの?
ルシアはふと、南を方角を見た。
その先にはイストリアの国境がある。
いつも置いていくのはルシアの方だった。
もうずっと見慣れた自室という場所なのに王子が居ないだけでこんなにも居心地悪い。
...すっかり王子の隣が板に付いていたようだ。
ここは私のものじゃないのにね。
後は単純に王子たちが戦場に居るのに何もしていないことがもどかしいんだと思う。
王子が勝つことは知っている。
作中通りでなくても彼らは強いから勝ってくると信じている。
けれど、怪我をしないとは限らないし、彼らは無事でも少なからず死人は出るだろう。
それを知っていて動かないのは何とも落ち着かない。
例えお人好しと言われても私が平穏に生きる為にはなるべくしこりは取り除きたい。
そう思う私は優しいのではなくて、きっと偽善者なのだ。




