92.パーティー会場にて(前編)
「誰が隣国まで気軽に出てくる令嬢が歴史ある伯爵家の娘で王太子でもある第一王子の妃だと分かるんですか。」
予想が着く訳ないだろ、という目線を向けるノックスにルシアは苦笑を浮かべた。
確かに普通そんな王子妃なんて居ないよね。
「それでも事実よ。今日はお願いね、ノックス。」
「...護衛と殿下が離れざる得なくなった際のエスコート役ですよね?俺に務まるとは全く思えないんですが。」
「あら、大丈夫よ。貴方ならこの魔窟でもやっていけるわ。」
「いや、不安しかない......。」
非常に情けない顔で項垂れるノックスにルシアは笑う。
なんなら驚嘆するのはこれからだよノックス。
今から入場するのは春告祭のパーティーホール。
それはもう、国内だけでなく、国外の狸や狐もわんさかだ。
しかも、かなり厄介なのばかりね。
退場後に怯えて部屋の隅で頭を抱えていなければ良いけれど。
そんな様子のノックスを思い浮かべながら、その魔窟へとルシアたちは入場したのだった。
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「ノックス、カリストが戻ってきて残りの挨拶さえ済ませたら退場するから。もうちょっとよ、頑張って。」
「......既にそんな気力がありませんが。」
ルシアの横に立っているノックスの瞳の金色はくすんでいた。
所謂、死んだ魚の目だ。
壁の花と化している二人に不用意に近づく者は居ない。
現在、ルシアとノックスは王子と別行動を取っていた。
王子は国王に呼び出されて行ったんだけど、さっき見たところ宰相に捉まっていたから合流には時間かかるかも。
ルシアはノックスに飲み物を手渡した。
疲労し切っているノックスは断る気力もなく、押し付けられるまま受け取った。
どっちが従者か分かりゃしないね。
おーい、一応仕事中ですよー。
「まぁ、散々会場内を歩き回ったもの。疲れるのも当たり前よね。」
「あー、体力的には全然大丈夫なんですが。」
何かを思い出したのか、げんなりとした表情を見せるノックス。
ルシアはノックスが何を言いたいか分かって苦笑した。
「確かに。狸や狐がわんさか、それも最高級の|血統書付きのね。けれど、貴方はそれほど的にされていないでしょうに。」
魔窟だけあってメンタル鋼じゃないとやっていけないのはよく分かってる。
なんせ、もう数年来の付き合いなので。
とはいえ、ノックスはルシアの護衛であって、招待客ではない。
あまり絡まれることもなかったはずだ。
多少、私に話しかける話題として使われたりはしたけど。
「いや、見てるだけでもうお腹一杯というか。それに的にされたその少数が狂暴以外の何物でもなかったんですけど。」
「あー、あれはね。御愁傷様としか言えないわ。」
ほんとにもう充分、という顔をして言い募るノックスにルシアは相槌を打った。
実はノックス自体が声をかけられて彼が会話せざる得ない状況が数度あった。
その相手というのが。
「でも、エディ様は温厚な方だし、シャーは......あの人はいつもあんな風だから気にしていたらキリがないわよ。」
「え、それで良いんですか!?」
ルシアは驚いて少し大きめの声を出したノックスにしぃーと人差指を立てた。
はっとしたノックスは周りを見渡して誰もこちらに注視していないのを確認して胸を撫で下ろした。
「ええ、シャーは昔からああなの。勿論、全て冗談ではなく、本気だからその辺りは気を付けてね。」
「え?じゃあ、あのルシア様が嫁いできたら一緒に~とか本気ってことですか!?」
「ええ、本気よ。...まぁ、わざわざ言ったのはからかっていたのだとは思うけれど。」
シャーは冗談みたいなことも本気で言うからなー。
最初にノックス個人に声をかけたのはアクィラのエドゥアルドだった。
彼は普通にルシアの新しい騎士たるノックスに激励を告げただけだった。
しかし、相手が他国の王子だということもあり、ノックスは緊張し切っていた。
次に声をかけてきたのはシャーハンシャーだった。
彼とは毎年のように公式行事で会うし、手紙のやりとりはよくしている。
そしてまた、タクリードに嫁ぎに来ないか、という言葉も会話の枕詞として常用化していた。
今日も今日とて、シャーハンシャーは同じようにルシアに声をかけて、ノックスが慌て出す結果となった。
そして、その時にシャーハンシャーに認識され、ノックスも声をかけられたのだが。
『ほう。カリストにではなく、ルシア個人に忠誠を誓う騎士か。ならば、ルシアがタクリードに来る際は貴様も取り立ててやろう。』
ルシア付きの騎士だと紹介したら、シャーハンシャーは紅い目を細めて、そう言い放った。
まぁ、ルシアがそんな機会があったらね、といつものように返したのでノックスが言い返す必要はなかったのだけど。
「私がちゃんと伝えていれば良かったわね。まぁ、私の騎士である以上、遅かれ早かれ気に入られていたと思うけれど。」
「なんか、ルシア様って厄介な人にばかり好かれてません?」
おい、言うなよ。
私はその事実を認めない!
あ、事実って言っちゃった。
「じゃあ、僕も厄介な人に含まれるのかな?」
「え?」
お互いに話に気を取られていたルシアとノックスは近付いて来ている人物が居ることに気付いていなかった。
丁度、ルシアの後ろからやって来ていたので、そちらを向いていた第一声にノックスが困惑の声を上げたこと、そして聞こえてきた声の馴染みにルシアは振り返った。
そこに居たのは数日前までよく見ていた顔だった。
にこにこと微笑むクリストフォルスとノックスに並ぶ困惑と疲れた顔に気まずさを加味した表情を浮かべたテレサにルシアは微笑み返した。
「まぁ、アルクスの第二王子殿下。数日ぶりですわね。」
「こちらこそ、招待ありがとう。数日ぶりだね、イストリアの第一王子妃殿下。」
「は?」
「...え?」
突然な完全令嬢モード、もとい王子妃モードなルシアと王子モードなクリストフォルスの会話にノックスとテレサが素の声を上げたのだった。




