87.砦の国の騎士
「ルシア、準備は整った?」
「ええ。」
ルシアは北方騎士団の駐屯所入り口にて、尋ねるクリストフォルスに頷いた。
ルシアの後ろには馬車が停まっており、ニキティウスやオズバルドも愛馬の手綱を握って立っていた。
これはルシアたち、イストリアの人間の見送りである。
スピンを追い返し早数日。
後3、4日もすればタイムリミットというタイミングで畑荒らしの後に植えた苗の芽がほんのちょっとではあったが頭を出した。
事後処理も一通り終わったこともあり、ルシアたちは帰国することにしたのだ。
まぁ、後は経過を見るだけで良いだろうし。
それであまりギリギリでも春告祭の準備が大変だろうと帰国することになったのだが、この数日間、事後処理に成り代わられていた騎士団長の捜索と慌ただしかった騎士団側は急遽、ルシアたちの帰国に大わらわだった。
「テレサさん、大変だとは思うけれど頑張ってください。」
「はい。通常業務のみではなく、畑も渓谷もお任せください。」
ルシアはクリストフォルスの横に立つテレサを見上げた。
なんと空席になった騎士団長にテレサが新しく就いたのだ。
まぁ、副団長だったから順当と言えば順当なのだけど。
騎士団の長が女性なんてかっこいいね!
「クリス様はいつ王都へ?」
「ああ、明日には戻るよ。それから溜まっているであろう仕事を片付けて春告祭に参加する王子と共にイストリアへとんぼ返りかな?」
未だ徹底して王子の従者を演じるクリストフォルスにルシアは苦笑した。
そうか、クリストフォルスも王子だから各国の要人を招いて行われるうちの国の春告祭には参加するよね。
「では、数日後にまたお会いしますわね。」
「うん、また数日後に再会しよう。」
これから国境を跨ぐというのに会話がなんとも気の抜ける。
まるで近所に住む幼馴染みを訪ねる気安さだ。
私はクスクスと笑った。
「...では、そろそろ出ましょうか。」
笑い終えたルシアはそう言って見送りに来たテレサ、クリストフォルスを筆頭とした騎士たちを見渡す。
そこであの印象的な髪色が見えないことに気が付いた。
「......あら、ノックスさんは?彼にはしっかりと礼と挨拶をしたかったのだけれど。」
「あの男なら北方騎士団を辞しました。」
キョロキョロとしていたルシアにテレサが何の感情の揺らぎもなく、とんでもない衝撃発言を落とした。
ぎょっとしてルシアはテレサへ向き直る。
「テレサさん、それはどういうことでしょう。」
「そのままの意味です。あの男は昨晩、私のところへ来て辞表を置いていきました。ですから、既にこの北方騎士団の所属ではありません。」
ええ、昨日!?
昨日はアルクスをファウケースを発つルシアを送るささやかな宴会が行われて騎士団はより一層賑やかだった。
その裏でなんてことになってんだ。
「それで彼は...?」
急な辞職も驚いたけど、その後どうしたんだろう。
ここに居ないということはもう次に行く場所が決まっているんだろうか。
「ああ、それなら......。」
テレサが何かを言いかけて、ちらりと横を向いた。
つられて向いたルシアの視界にワインレッドの髪が揺れる。
「ノックスさん。」
「いえ、俺のことは呼び捨てで良いです。...令嬢、一つだけ質問よろしいですか。」
居ないと思ったら唐突に現れて何なのだ、とは思わないでもなかったがルシアは首を傾げながら頷く。
「今回、令嬢がこの地へ赴き、そして行ったことの数々。一体、何故貴女はそれほどまでに動くのか。」
ルシアはノックスを見上げた。
その瞳は初対面の時より、森でスピンのナイフを弾き飛ばした時より真剣で陽光のような金の輝きがあった。
ルシアも居住いを正して背筋を伸ばし、ノックスを見据える。
「自分が何かを知っていて、その何かを解決出来る力が少しでもあるのであれば、例えそれが隣国だろうと向かわない理由にはならない。」
目の前で息を呑むノックスにルシアはふ、と笑った。
そして、再び口を開く。
「というのは詭弁よ。ただ、このままアルクスに倒れられてもイストリアは困るの。」
それでもルシア自身が必ずしも動く必要はないというノックスの心境はルシアには届かない。
しかし、そのことに何も疑問を抱いていないルシアにノックスは驚きながらも口を弧に描いて彼女の前に跪いた。
「え!?ちょっと、ノックスさん!?」
ルシアの普段の年齢以上の落ち着きが見る影もなく慌てるがノックスはそのまま頭を垂れて腰に佩いていた剣をずいっと差し出した。
それ即ち騎士の忠誠を誓うポーズである。
それがよりルシアを慌てさせるが一向にノックスはその態勢を崩してくれない。
困り果てたルシアがテレサやクリストフォルスを見るが、テレサは無表情でクリストフォルスはにこにこして見守るだけで何も言ってくれない。
「俺は今までどうしてもやりたいことはありませんでした。しかし、あの森でスラングの男と対峙する貴女が目に焼き付いた。騎士としてここに居るより貴女の傍に居たいと思ってしまった。その為ならいくらでも貴女の敵を払う剣を振るいましょう。だから、この剣を受け取ってください。」
「...貴方の剣は決して攻撃の為だけの剣ではないわ。人を守ることの出来る剣よ。」
忠誠を受け取るどうこうよりノックスの己れ個人も武器かのようなニュアンスを含んだ言葉にルシアは思わずそう溢してしまう。
ノックスは僅かに目を見張った後、軽く笑った。
「...やっぱり貴女にこの剣を捧げたい。俺の剣を守る剣と言ってくれる貴女に。この命と剣は我が君の為に。...それに受け取ってもらわないと俺は無職で路頭に迷います。」
そ、れは、卑怯じゃないか。
脅しと一緒だよ!?
そんなのもう断ることなんて出来ない。
あ、でも今ならまだ騎士団に戻れるんじゃ?
ルシアがそう思ってテレサに目線をやると、テレサはルシアの言いたいことが伝わったのかただ一言。
「我が騎士団にはその男の戻る場所はもう御座いませんので。」
容赦ないお言葉である。
ルシアは自分の頬に手を当てながら、暫くあー、と唸っていたが渋々といった顔をしてノックスから剣を受け取った。
「...分かったわ。汝の命と剣は我が手足となりて。......そうとなれば、わたくしも貴方を守りましょう。わたくしは自分の手足がもがれるのを黙って見ていられるほど寛容ではありませんから。」
アルクスに来てから一番の苦笑を浮かべたルシアはそう告げたのだった。




