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7.王宮図書館(後編)


「殿下。いつまでそこにいらっしゃるおつもりでしょう?」


一冊一冊と読み終えた本を積み上げていく。

それが五、六冊を越えた辺りでルシアが堪らず、向かいに座る(うるわ)しい少年に声をかけたのはきっと、早かれ遅かれ起こったことだった。

むしろ、ここまでよく持った方。

そうなのだ。

ルシアが読書を開始してから今に至るまでの間、王子は机を挟んでその向かいに座って、こちらを見ていたのであった。

自身が読書をするでもなく、ただそこに居た。

これ以上は話すことはないとばかりに形ばかりの礼を告げたルシアに機嫌を損ねるか、その意を汲むか、どちらにせよ、用事はないのだから立ち去るだろうと思われていた彼の王子がわざわざ椅子に腰かけてまで居座っていたのである。

正直に言おう、視線がとても痛い。


「俺の勝手だろう」


「...それなら、読書でも如何(いかが)ですか。ここは図書館なのですから本を読む場でしょう?」


ルシアはそう言って、本を王子の方へ突き出した。

そこに居る分には良いから、せめて視線を別へやってくれ。

気になるから。

そんな想いを大いに込めて。

すると、王子は大人しく差し出された本を取り、(めく)り出した。

素直なところもあるじゃないか、とルシアは少し王子を見直す。

やっぱり、根の素直なところがちらほらと(うかが)えるのだ。

生意気そうなのは変わらないが、こうして会話が出来ている辺りだとか。

既にルシアの中ではクールなんて言葉は残っていなかった。

この間のことはルシアも決して大人の対応が出来たとは言えないので、ここはお互い様ということで忘れることにした方が良いかもしれない。

先程から何度もルシアはそう考え始めていた。


「...その内容についてはわたくしも気になっていたのですが、殿下はどう思われます?」


そんな心地がルシアにその行動を取らせたのだろう。

あれだけ刺々しく、声をかけまいともしていたのを全て忘れてルシアは王子に話題を振った。

丁度、王子が開いていたのはイストリアで数年に一度は起こっている川の氾濫(はんらん)について書かれた物で、それはルシアの興味を惹いたということもあった。

まぁ、それを書架から引っ張り出してきたのはルシアなのだから、当たり前と言えば当たり前なのだけども。


作中では彼は幼い頃から優秀だったと明記されていた。

大人顔負けの頭脳と思考力があったのだと。

果たして、そこまで謳われる神童が、しかしてたったの十歳である彼が、なんと答えるだろうかという、それは純粋な興味もまたルシアにはあったのだった。

この時、既にルシアは彼が答えてくれないという未来を無意識に除外していたのであった。


「...全て時期が同じということは原因も同じだと考えられる。この本にある通り春季に起こることから北方の山の雪解けが原因だろう」


王子は少しだけ考えたようにルシアへ視線を向けたものの、すぐに本へ再び視線を落とし直す。

そうして、ルシアの問いかけへ自分なりの見解を述べる。

その回答にルシアは首肯を返した。

確かにそうだろう。

雪解けによる増水が原因というのが、この質問の答えとしての最適解だ。

実際に読み進めていけばその本もそのような指摘がされていたらしい。

会話をしながら器用にも(ページ)を進めていた王子はその旨を告げながら、その一文をルシアへと見せるように本を広げてまでくれた。


...それにしても、彼は本当に十歳児なのだろうか。

どう見ても子供の会話じゃないと言える先程の話題に付いてきたばかりか、正答を(はじ)き出すなんて、並みのことじゃないのはルシアもひしひしと感じ取ったからこそ出て来たその感想であった。

勿論、彼は正真正銘の十歳児である。

流石に(おおやけ)に周知されている王子の年齢の詐称は出来るものではない。


「では、対策は?」


「それは...」


しかし打てば響く、そんな受け答えに多少の末恐ろしさを感じながらもルシアは再び口を開く。

存外、ルシアはこうした話題で議論めいたことをするのが好きなのだ。

そうして、いつしか白熱した結果、次々に話題を変え、時に起こった意見の食い違いには論争し、ものの見事に議論と呼べるようなものとなった二人の会話は王子の従者が来るまで続いたのである。



ーーーーー


「殿下、そろそろ予定の時刻が...」


「ああ、すまない。今行く」


気が付いたら、かなりの時間を話し続けていた。

ルシアとしては頭の良い人のスラングに対する意見も聞けて大満足なのだが、その代わり(のど)が犠牲となってガラガラになってしまっている。

(しゃべ)り過ぎた。

喉が悲鳴を上げ始めたのを僅かに感じ取ったその時、丁度、彼の従者が来て助かったのだった。

そこで初めて壁掛け時計を見たルシアは思っていたよりも時間が経っていたことにかなり驚いたのであった。

そろそろ中断するか、というくらいのものだと思っていたのにこれでは延長戦にも(もつ)れ込んでいたと言われても仕方がなかった。

ほんの少し、今までを思って極まりを悪くしながらもルシアが従者と話す王子を横目に喉を整えていると、(おもむろ)に王子が椅子を引いて、立ち上がった。

そうして、王子はそのままルシアに視線を伸ばしてきた。


「明日は来るか」


「はい?」


「明日は来るかと聞いている」


どういうことだろうか。

思わず、ルシアは困惑しながら首を(かし)げつつ、明日の予定を思い出す。

明日も今日のように行きは兄で帰りはイオンという形でこの図書館を訪れる予定だった。

淑女としてのレッスンも及第点を貰えているからこその自由である。

少なくとも、ルシアにとっては伯爵家よりも悠々自適に過ごせる空間に違いなかったから今後も出来るだけ足を運ぶ心積もりだったのである。


「ええ、明日も読書をしに参る予定ですけれど...」


「まだ話の途中だっただろう。明日も来るなら連絡を入れろ」


王子の言葉にルシアは(しば)し、固まった。

目が乾くぎりぎりで、何とかゆっくりと(まばた)きをした。

まさかの展開である。

確かにヒートアップするほど楽しかったとはルシアも感じたことではあったが。

まさか、そんな提案が来るとは夢にも。

そんなにか、そんなになのか――。


まぁ、境遇やその才能から同レベルの話が出来る同年代の人間なんて彼の周囲には居やしなかったのだろう。

...余所まで探しても、居るかどうかは怪しいところではあるが。

いや、ごめんなさい。

ルシアは内心で良心に訴えかけられたかのように謝罪の言葉を吐く。

残念ながら、ルシアの中身はそれなりに年食っているのである。

厳密に同年代と言って良いものか、これは。

その思いがルシアの良心を刺激したのだ。


「ピオ、そろそろオルディアレス嬢の迎えも来ているはずだ。門まで送り届けてくれ」


そう王子は言って従者を残し、去っていく。

間違いなく、彼がここでルシアと過ごしたのは予定外のことであったのだろう。

そもそも、図書館に居たこと自体、何かしらの用事であった可能性だってあったのだ。

きっと、その分の予定が後ろ倒しになってあるに違いない。

そう思わせる速度で王子が図書館を後にするのをルシアはただ呆然と見送ることしか出来なかったのであった。


そうとなれば、残された従者による送迎を遠慮しようにも難しくなる。

王子の命令だから、と言われてしまえばルシアは強く拒絶も出来ないのだ。

そのタイミングでイオンが着いたとの連絡が入ってしまったこともあり、ルシアはそれ以上、言い募ることはしなかった。


「オルディアレス嬢、お手を。本もそのままで結構です」


「けれど...」


「それも司書たちの仕事ですよ。今は彼らの手も決して空いていないという訳ではございませんからご心配には及びません」


「...そこまで(おっしゃ)られるのなら。すみませんが、よろしくお願い致します」


彼の従者――ピオに促されて、ルシアは少し躊躇(ためら)いはしたものの、さらに重ねられた言葉にルシアは片付けを司書の方々にお任せすることにした。

礼儀として目礼をし、きちんと頼めば、司書たちはにこやかに頷いてくれたのだった。

それを受けた後、やっとルシアはピオの手を取って歩き出したのであった。



彼の従者、ピオ。

ルシアをエスコートする少年はピオ・ベニートという。

ルシアの一つ年上で茶色の髪と瞳をした彼は、作中では王子の信頼出来る仲間の一人として登場した人物であったのだった。

ルシアの知るピオは平民出身の騎士で庶務官(しょむかん)でもあった。

幼い頃に王子によって従者に任命された小柄で愛らしい雰囲気の青年。

今は従者になったばかりの騎士見習いと言ったところだろうか。

正真正銘、愛らしい少年といった姿である。


こうして見るに思いの外、王妃の魔の手が人事にまで伸びていなくて幸いと言えるのか。

いや、手は少なからず、伸びてはいるのだろう。

作中で王子の側近たちは本来、第一王子に仕えるにしては総じて身分が低い辺り、そういうことなのだろうから。

だからと言って、身分だけで彼らを放置したのが王妃の失策だったと言えるだろう。

何と言っても、彼らは王子と共にスラングに打ち勝つほど優秀な人材であるのだから。

きっと、今の王妃は露ほども思っていないだろうけれど。


「――もう、ここまでで良いわ。ありがとう、ピオ」


「いいえ、殿下の命令ですから」


馬車が見えるところまで来てイオンが視界へ入ったことでルシアはピオに向き直り、手を離す。

これなら、彼も納得するだろうと踏んでのこと。

案の定、にこやかに見送る態勢に入った彼に別れの挨拶を告げて、ルシアはイオンと共に馬車へ乗り込んだ。

扉が閉じられ、馬車が走り出してからイオンが口を開く。


「お嬢、さっきのは?」


「第一王子殿下の従者、ピオ・べニートよ」


さらりと言うルシアにイオンは何でまた、という顔をする。

そんなの、ルシアだって今日一日が予想外の連続であったのだ。

忘れていた感じは否めないけれど、王子関連はフラグが多過ぎて下手に触れるのも危ういと言える。

だから、ルシアだって近付きたくないがそうもいかない、と頭を悩ませていたのだ。

何たって婚約者とその仲間だから、切っても切り離せないから、と。

それでも、出来るだけのことはしようと関わりを極力減らそうと意気込んでいた。

なのに、どうして白熱する討論をし、明日以降も会う予定が立てられているのか。

何ともままならない世界である。


「図書館で王子とばったり。それで他に質問は?」


「喧嘩は...」


「あら、失礼ね。してないわよ」


喧嘩に、なりかかったし、(はた)から見ればそれ(まが)いの論争はしたけれど。

何より、初対面の初っ端からやらかした前科もあるルシアである。

けど、王子は思っていたよりクソガキじゃなかったよ、とイオンに今日の出来事を、そして王子に対して感じたことを説明しながら、ルシアは帰路に就いたのだった。


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