76.様子が可笑しいのは三人
「いつ来ても賑やかね」
ルシアは食堂に入るなり周囲を見渡して、そう言った。
食堂では駐屯所内の騎士が集まり、それはそれは騒々しく音の止まない空間と化している。
王都でも傭兵の客が多いような食堂はこんな感じだったなー。
良くも悪くも騎士団という荒々しい男所帯、必然と言えば必然である。
まるで宴会のようだ、と普段は王子と一緒か、イオンと食事を取っていて、例外的にお忍び中ぐらいしか大勢の居る場所で食事をすることの少ないルシアは思った。
イオンが離れてからはクストディオを半ば無理矢理に座らせて食事を取る日もあったりしたが、王子の側近たちは主の妃である方と同席なんて以ての外、と絶対に席に着いてくれないのだ。
そういう意味ではここでの食事は新鮮でまた懐かしくルシアは感じたのだった。
「クリス様、ルシア嬢。こちらの席へどうぞ」
「ありがとう。いつも助かっているわ」
食堂の入り口のすぐ傍に立って、ルシアたちが来るなり気付いて、席へと案内してくれた少年騎士にルシアは礼を告げる。
彼は初日からこうしてルシアたちの席を確保してくれていた少年である。
歳は見る限りでは王子と同じくらいでここでは随分と若い方になるだろう。
その雰囲気は騎士と言うよりピオのような従者といった風でこの騎士団には似合わないような柔らかい風体をしている少数のうちの一人のようだ。
――ああ、猫被っている時のクリストフォルスに似てるのか。
ルシアは初対面時からこの少年騎士に感じていた既視感の答えを今、導き出した。
うん、ふわふわしている辺りが特に。
とはいえ、クリストフォルスとは違って、裏表は一切なさそうだけれども。
まぁ本来、14、5歳くらいの少年は年頃故の多少の捻くれはあれど、こんなものだろう。
ただ、ルシアの周りの14、5歳がませているだけの話である。
尤も、彼らは王子や王子の騎士や他国の王子である以上、それもまた、必然的なことと言えるけれど。
「貴方、食事は?」
「あ、いえ、僕はまだですが...後で取りますので」
「あら、まだなのであれば、ご一緒してくださらない?わたくし、騎士様のお話がお聞きしたいの。勿論、貴方がよろしければだけれど」
ルシアが問い掛けると少年は空腹を思い出したかのような顔をしてから断りの文句を口にした。
しかし、ルシアは提案という切り返しながらまさに食事を運び始めていたオズバルドに目配せをし、少年の手を引き隣へ強引に座らせたのだった。
二度目の断り文句を紡ぐ暇も与えないほぼ強制と言って差し支えない見事な手腕である。
勿論、オズバルドに出した目配せの意味は少年の分も食事を持ってこいということである。
少年は案の定、自分の意思を無視して勝手に進んでいく状況に慌てたが如何せん、ルシアの飼い猫持参のお強請りを回避出来るほど世慣れていない。
まぁ、それを含めて令嬢にああ言われてしまえば、騎士として断りづらいと分かっての全部、計算されての行動だけどね。
あくどいと言う勿れ、これも全て処世術である。
「クリス様もよろしくて?」
「ああ、いいよ。僕も話が聞きたいな」
この場で一番高い身分なのはクリストフォルスだ。
少年を食事に誘うなら彼に許可をもらう必要がある。
とはいえ、断りを入れるよりも前に少年を席へと座らせている辺り、ルシアには既に文句を言わせる気は毛頭ない。
それはしっかりとクリストフォルスにも伝わったらしい。
クリストフォルスはルシアの速やかで鮮やか過ぎる一連のやり取りに苦笑を浮かべたが、すぐに切り替えて様子でルシアに続くようににっこりと笑って、少年騎士に微笑みかけたのだった。
他国の令嬢だけではなく、自国の王子の従者という自分よりずっと目上の客人二人に声をかけられてしまい、いよいよ退席が許されなくなった少年は騎士らしい冷静さを保つことも出来ずに動揺し切っているのが傍から見れば、容易に見て取れるほど恐縮していた。
彼らの後ろで護衛として立っていたクストディオはイストリアでの自分の姿をその少年騎士に重ね、不憫に思ったが、当の主人であるルシアはクストディオのそんな心境など全く知らないとばかりに少年騎士へと次々に問いかけていたのであった。
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「――はい、そうですね...僕は直接お話しする機会が滅多にないのではっきりとしたことは言えないのですが、困っている時は必ず助けてくださる優しい方です。ですから、あの噂を本当なのかと思うことは少なからず、あります」
「そうなのね...わたくしも親切に送っていただきましたのよ」
「そうでしたか!」
ルシアは少年に騎士団の様子について聞いていた。
そして今、話しているのは例の青年騎士――ノックスのことだ。
少年は彼についての噂から彼が直接、ノックスという人となりに関わった際の話を教えてくれた。
最初、ガチガチに固まっていた少年は話すうちに気を解していったものの、ノックスに憧れがあるのか、ノックスの話になった途端、今度は興奮によって肩が上がってしまっていた。
ルシアは色々と聞いた話を頭の中で整理しながら、少年の熱弁を聞いていた。
その様子を見透かすように口は挟まず、にこにこしているクリストフォルスが少し怖いけども、ここは気付かぬ振りである。
「...たくさんのお話をお聞かせくださってありがとう。とても楽しい食事でしたわ」
「あ!部屋までお送り致します!」
「ふふ、ではお願い致しますわ」
食事も終わり、話も大体の収穫を得たルシアは頃合いを見て、席を立ちながらそう言った。
それに少年は勢いよく立ち上がりながら、元気の良い声を上げるのをルシアは微笑ましく思った。
ルシアはちらりとクリストフォルスを見るが、継続してにこにこと笑っているだけで立ち上がる気配はない。
彼はまだここに残るらしい。
よし、これは邪魔はしないと取って良い。
ルシアは少年と共に食器を片付けて食堂を後にしたのだった。
「まぁ。もう1年以上、ここに?」
「はい、しっかり3年間生き残って一人前になるんです!」
「それは素晴らしい目標ですわね」
ルシアは食堂の続きといった風に少年騎士と雑談を続けていた。
どうやら、この少年は古株ではないものの、新人という訳でもないらしい。
まぁ、賓客に付けるのだから、よく考えれば当たり前のことかもしれない。
そして、見た目に反してそれなりの実力はあるようだ。
1年以上居ると言うのはそういうことだろう。
「――この騎士団で最近、変わったことが起こったという話を聞いたことは、なんて...聞いても、分からないかしら」
ルシアは与えられた部屋までの廊下を少年騎士と並んで歩いていた。
その前をオズバルドが、後ろにはクストディオが護衛の役目を果たすように固めている。
二人ともルシアが少年との会話に興じていることから必要以上に声をかけることはせず、護衛に集中しているようだった。
勿論、その無言が意味するところを分からないルシアではない。
こちらも邪魔をしない、ということのようだ。
だから、ルシアは他の人が居ない、ここぞとばかりに少年へと問いかけた。
「いえ、変わったこと、ですか?...そう、ですね、凍害のせいか、魔獣の数が減って戦闘自体は少ないんです。ですが、同時に街に被害が出ているせいか、やっぱり団長の様子がピリピリしているというか――冷たい、と感じると言いますか...申し訳ありません、あまりよく言えないんですけど...。ああ、後はノックスさんと副団長も同じようにピリピリしていることが前より増えたように思います」
「...それは大変ね。では、冬から、ということ?」
「あ、いえ。昨年の春...だったと思います。ああ、ノックスさんと副団長はもう少し後だったかと」
「あら、随分になるのね」
昨年の春、か。
ルシアはにこやかに微笑みながらも胸中で思案げに呟いた。
その後もルシアは少年にここ、北方騎士団についての幾つかを尋ねた。
やがて、曲がり角を曲がって後にルシアたちの部屋が見えてくる。
ルシアはそこで話を止めて立ち止まり、少年騎士へと向き直った。
当然、少年騎士もオズバルドもクストディオも足を止める。
「もう部屋も見えてきましたからここまでで構いませんわ。わたくしの護衛も居りますし。それに貴方、明日も騎士として鍛練があるのでしょう?早くおやすみなさい」
「はい...!お気遣いいただき、ありがとうございます!それでは、失礼します!」
気遣いの出来る心優しい令嬢のようにルシアは少年騎士へとそう告げた。
少年騎士はそんなルシアの言葉に感動したかのように目をきらきらとさせて直角とも言えるほどの一礼をして引き返していった。
ルシアはそれを微笑んだまま、見送ったのだった。
少年騎士の姿が完全に見えなくなってからルシアは自室に入り、ソファへぼすっと沈み込んだ。
早速、クストディオがお茶の準備をし始めるが、それを気にする余裕もない。
ルシアはただそれを眺めつつ、少年騎士の言葉を反芻していた。
結論から言うと、少年騎士の話では騎士団長は第一印象と最近の印象が違って見え、ノックスとテレサが言い合いをしている姿をよく見ることがある、とのことだった。
あの少年騎士はその三人との接点はあまりなく、たまに声を交わすことはある程度らしい。
後は他の人から聞いた話とのことだったが、周囲から見る印象というのは充分な情報である。
場を整えてくれたクリストフォルスと護衛二名には本当に感謝だ。
とはいえ、騎士団長に関しては第一印象のみが食い違っているので自分の単なる思い込みだと思います、と言われたけれど...。
「ルシア」
「ありがとう、クストディオ。貴方もオズバルドも休憩に入って構わないわよ」
「いえ、ルシア様がおやすみになられるまで護衛としてここにおります」
すっと差し出された温かい紅茶にルシアはほっと息を吐きながら、護衛二名に声をかけた。
後はもうやることもない、そう思っての言葉であった。
けれど、ルシアはもう二人の返答の予想が付いていた。
そして、予想通りにクストディオは首を横に振り、オズバルドは言葉こそ丁寧なものの、その中身は断固拒否である。
もし、と思って、一応、言ってはみたが、やっぱりこの提案は呑んでくれないらしい。
ルシアがそう考えたのは偏に彼らがルシアの就寝後でないと休憩を取らないということがこれまでにも多々あったからである。
...そう言えば、不寝番をしていたこともあったわ、とルシアは思い出す。
ほんとにいつ寝てるんだろう。
これはイオンにも言えることであった。
知らず、ルシアは半眼で宙を仰いでいた。
「...そう。なら、私ももう休むから」
「では、入浴の手配をしてきます」
やや疲労感の篭る様子でそう言ったルシアにオズバルドは即座に返答し、部屋を出ていった。
凄い行動力である。
ルシアはそれを見送りながら、一度、思考を完全に止めて、ただただクストディオの淹れた紅茶を堪能するのだった。




