70.隣国、北方の地(後編)
部屋の中央に位置するテーブルを挟んでルシアとクリストフォルスが座る。
扉が開いた時に死角になる位置にニキティウス。
テラスへと繋がる掃き出し窓のところにオズバルド。
ルシアの後ろにクストディオが立っていて、クリストフォルスの後ろに彼の護衛が一名立っている。
いついかなる襲撃であっても、対処出来る完璧な布陣。
...今更ながら厳重過ぎない?
いや、クリストフォルスはこの国の王子で、ルシアも隣国の王子妃で本来はもっと護衛がぞろぞろ居ても可笑しくはないんだろうけど。
それにしたって護衛の数がクリストフォルスと私で1:3は可笑しくないか!?
うん、今更ではあるんだけれども!
それでも、第二王子ではあるけども王位継承権を持っているクリストフォルスとただの王子妃であるルシアでは重要度は言うまでもないと思うんだけれど。
「あー、この紅茶、馴染みある味だ。これ、アルクス独特の加工をしてるんだよ。...うん、そんなに離れていなかったのに懐かしいなぁ」
自身の護衛によって淹れられたそれをクリストフォルスは口を付けて、しみじみといった風に言った。
ルシアもつられて、口を付ける。
少しさっぱりとした味わいはイストリアのものとそう大きく違わなかったが、確かに違いを感じる。
ルシアはそれを新鮮さとして感じ取ったが、確かにクリストフォルスには懐かしさとして感じ取ったのだろう。
「今後の予定だったね。君から聞いた冬の対策はとても画期的だった。それで今回、君は今後をどう予測しているのかな?」
「そうね。――まず、食糧を充分に確保することが出来なければ饑饉は免れないでしょう」
冬の深い時期が過ぎて、イストリアの慣れた者であれば他国へ行き来出来るようになった頃に、アルクスの凍害が嬉しくない予想通りに被害を出したとの報告が入った。
――このまま行けば、まず間違いなく、饑饉まっしぐらである。
今回、ルシアたちがイストリアを発ったのは冬が明けてからだったものの、だからといって完全に春になった訳ではない。
冬から春に移り変わるその合間くらいなのだ。
だから、まだ外には雪が残っているし、話に聞けばアルクスの気温は例年の冬と際とそう変わらないくらいらしい。
既に手遅れではあったが翌年のことも考えて、ルシアはイストリアの王子宮へクリストフォルスが滞在している間に冬の対策については大筋を説明をしており、彼には大層、喜ばれたことだった。
今、ルシアがアルクスに居るのは冬の終わりから春にかけて最短で効率良く育つ作物とその育て方をアルクスの最北の地でも効力が期待出来るかを見るという饑饉に向けての対策の為であった。
まぁ、私自身の目的はそれだけじゃないんだけども。
「少しかかりますけれど、芽さえ出れば成果と見てよろしいでしょう。畑は駐屯所内のものをお貸しいただけるのよね?」
「うん。そういうことで一応、話はついているよ。後で騎士団長からも話を聞くことが出来ると思う」
「そうですか。...馬車から街の様子を見たけれど、やはり少し活気はなさそうだったわね。イストリアからの支援もあるからそこまで酷くはないようなのは良かったけれど」
ルシアはその先に街が見えているかのように頬杖を突きながら窓から外を見つめる。
可もなく不可もなく普通の街だった。
ルシアがイオンとお忍びで出掛けるイストリアの王都と変わりない。
これが戦場となるのか...。
作中でスラング兵は竜の尾付近から浸入した。
...だとしたら、アルクスで最たる被害を受けた街はここなのだろう。
知らずルシアは頬杖を突いていない方の拳を握り締めていた。
ここはルシアにとって馴染みある土地ではなく、自分の住む国ですらない。
けれど、住んでいる人が自分の周りの人たちと変わりない普通の人であることをルシアは気付いていた。
それらを見す見す危険に晒すのか。
――させない、絶対に。
「それで?明日はどうするの?」
「...凍害によって死者が出ていた場合、感染症が蔓延する危険性がありますから少し街の様子を見てみたいわ」
「分かった、お忍びで街へ行けるように交渉しておくよ」
快諾するクリストフォルスにルシアは向き直って告げる。
食糧が確保出来ても流行り病が蔓延っては意味がない。
私は簡単な応急処置程度の知識以外はこの世界で呼んだ本の知識しか医療の知識は持ち合わせていないけども、ないよりは遥かにマシだろう。
「クリス様」
「――何?」
ルシアの呼び掛けにそろそろ退出しようか、と言って立ち上がったクリストフォルスが振り返る。
かち合うのは若草とそれを映す鏡のような灰。
「今回の件だけれど、何があるか分からないわ。貴方も充分にお気を付けて」
「...ここは僕の国なんだけどねー。――うん。まぁ、気は引き締めておくよ」
護衛を連れてクリストフォルスは自室へと向かった。
残されたルシアは飲みかけのカップに手を伸ばして中身を飲み干した。
...クリストフォルスだって王子であり、策士なだけあって先を幾重にも予測していることだろう。
スラングのことだって分かっているはずだ。
ルシアほどの確信を持ってではなく、予測の内の一つとしてだろうが。
それでも、危ぶんでいるはずだ。
アルクスの地にスラングのスパイが潜んでいる可能性に。
今回の件、ただ飢饉対策を行うだけでは済まない可能性に。
「......無事に、済めば良いけれど」
作中に繋がるのであれば十中八九、有り得るだろう可能性に頭痛の気配を感じながら、ルシアはため息を吐いたのだった。




