716.遥か昔より準備してきた(後編)
シーカーでの感染症。
ルシアほどの確信ではないにしても、それの規模が季節性の何処の国でも毎年のように耳にするようなものよりも大きくなりそうである、という情報はしっかりとその優秀な脳裏に刻むこととなった王子たちが難しい顔をしていたのはそれに罹りたくないから、といったことだけが原因ではない。
まぁ、好き好んで病気になりたいなどという人間は仕事かはたまた学校を休みたい者だけであるので、当たり前と言えば当たり前の反応であるのだが、理由はそれだけではなかったのである。
いや、その者たちとて別段、辛い思いをしたい訳ではないので結局のところ、大規模に拡大するほどの威力を持つような厄介さが垣間見えている今回のそれに眉を顰めない者は居ない訳なのだが。
ともあれ、彼らがそのような反応を見せたのは王子たちの立場的な問題とそれに付随する問題といったことがそこに盛り込まれるからであった。
まず、この感染症を避けるとして考えた時、これは一般人でもそうない話ではないのだがやっぱり、何処に逃れるか、という議題が最初に出てくるのではないだろうか。
まぁ、余所へ行くリスクと感染症のリスク、どちらがより高いかによって、その行動を取る人間の数は変わってはくるだろう。
ずっと住んでいた街であるならばそう易々と動くとはならないということもあるのだ。
しかし、それでも余所へ、となった時に果たして人はどう動くのか。
結論としては単純な動物的本能の当然の帰結というようにその要因から物理的に距離を遠ざかるだろう。
今回は場所が場所だから、大陸の中央より端の方へと多くの人間の移動が起こる。
大体は国境沿いの住民であろうから各国それぞれで同じようにまるで円状に波紋が立ったかのように人の波の広がりを見ることが出来るであろう。
そうして、それは暫くの間、返ってくることはなく、かと言って、均される訳でもなく、ぽっかりと中央だけが過疎化していくのだ。
逃げ遅れた者たちだけが取り残されて。
全体の為、という大義名分を抱えた臆病な人間たちによる排他的な思考によって、それはさらに顕著になるかもしれない。
急激に増えた人間と病気の蔓延する場所からさらにやってくる人間。
それが引き起こす未来など、想像に難くない。
そして、それを王子である以上は、西方諸国にある国として例にも洩れず、シーカーと国土の一部を隣接しているイストリアの王族である以上は国民の為にも、また被害が甚大にならないようにする為にも王子たちはそれを放置出来ないのである。
今の時点でどれだけ厄介事であるのか理解していても。
食い止めなければならない。
命を張ってでも。
それが王族である以上、果たさなければならない責務である。
この場合、王子は都合の良い人材として危険を承知で問題解決に動くことを命令されることであろう。
何かしら理由を付けて、流行り病が収束するまで、若しくはイストリアへの脅威でなくなるまで、と。
国を出ているから、かもしれないし、ゲリールの民という有効な武器を持っているから、かもしれない。
どちらも原因はルシアである。
けれど、それを用意しなくとも、これは起きていた。
これまでの強制力を思えば、ほとんど絶対と言って良い。
それならば、相手に言いように使う理由を与えてしまうことだけはとても悔やまれることだけれど、結果として今の状態に関してはルシアはそれほど悔いを感じていなかったのであった。
ーーーーー
「まぁ、無関係では居られないわよね」
自然と静まり返ってしまった室内でころりと転がるように落とされたのはそんなルシアの言葉であった。
全員の視線が集中するにも関わらず、ルシアはそれ以上を告げることはしなかった。
まるで、その理由はこの場に居る全員が知っているだろうというように。
だって、ルシアがその言葉に乗せた意図は少し考えれば誰だって行き着く答えなのだから。
「......そうだな、避けては通れない」
王子が言う。
それは立場上のこともある。
王族として、王妃に厭われて、王には関心を向けられない不遇な王子として。
しかし今、ルシアが言いたいのは、そして王子が言いたいのはそれではない。
言葉通りの意味である。
ここはスカラー、その中でも比較的大きな都市の一つであるスターリの街。
そして、ルシアたちの祖国はイストリア。
竜の国と呼ばれた西方諸国の最北に位置する国。
さて、それではスカラーが西方諸国のどの位置にあるのかを思い返してみよう。
スカラーはイストリアと対比する位置にある南方のアクィラから見て、タクリードとは反対の西側の隣国である。
つまりは西方諸国の南西に位置する。
そのスカラーからイストリアに帰るには必然的に西方諸国の中央を通らざるを得ない訳で。
要するにとんでもない大回りを決行しない限りは現在地であるスカラーからイストリアへの帰還は件のシーカーを通らなければならないということである。
文字通り、避けては通れない、だ。
故にクストディオは動き出したとも言える。
個人的にではあるし、与えられた任務の合間、本格的な危機込み調査とまでいかなかったが、調べて、ルシアに報告したのは。
熾された火が小さいうちに通り抜けるのも、ここで大人しく待つのも火消しに奔走するのも今現在がどのような規模で状況なのかを把握していなければ始まらないから。
話を聞いて、王子が指示を出したのも同じこと。
知らずに首を突っ込むのは馬鹿のすることだ。
ただの火傷で済まされないのであれば、尚更。
王子たちの前で伝えたのはルシアの無茶を考えてのことだろう。
その辺りをしれっとやれるほどにはクストディオが図太いことにルシアは少しだけ苦笑を浮かべたくなった。
不器用な優しさだとは知っているけれど、誓いを早くも忘れてなんかいないけれど、それでもこれじゃあ初っ端から隠し立ても何も出来やしない。
とんだ徹底ぶりである。
けれど、それだけの用心が必要な相手でもある。
「取り敢えず、出来ることはしましょう」
「ああ。皆もそのつもりで居てくれ」
ぱちんとルシアが締め括る。
王子がそれに同調した後、周囲を見渡すようにしながら告げれば、心得たとでも言うように異口同音の威厳ある快諾が返ってきたのであったのだった。
...いや、このご時世にこのネタって、と思われたかもしれんが、プロット初期からあった流れだし、つまりはこうなる前にはあったネタなんよねぇ、っていう。
取り敢えず、今更ながらに始まりましたと言っておきます。
ずっと前から振っておきながら寝かせたままだったそれがやってきましたね。
さて、どうなることやら。




