715.遥か昔より準備してきた(前編)
ルシアはそれを知っていた。
流行り病――または感染症。
ただ襲い来る敵とて侮れないが、それ以上にただそこに居るだけでは対処の出来ないその敵を。
排除するには剣と戦闘能力とそれを活用する肉体とではなく、それ相応の専門知識と専門技術が必要不可欠なその敵を。
ルシアは誰よりも警戒し、誰よりも早くからその対処法を探り、用意してきたのだから。
知らないはずが、なかったのだ。
作中で最も一般人が巻き込まれ、場所が場所なだけに一国では収まらず、隣接する全ての国が少なからず被害を受け、数多くの死傷者を出すこととなった未曾有の事件。
所謂、あちらではバイオテロと言っても良い、その顛末。
大陸西諸国の中央に座するシーカーでの感染症被害。
その感染症の正体と病原を持ち込んだ犯人を他でもないルシアが、知らないなんてことがあるはずなかったのだ。
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それは最初、あの日を辿って、被害状況を把握する為に街を移動するクストディオがその道中でちらりと拾った噂であったという。
密偵という職種故か、息をするように情報収集をする耳は地が良いこともあり、ふと聞こえてきた誰かの世間話だったそれを拾い上げたのである。
とはいえ、母数も数知れないそれをクストディオも最初はそこまで気に留めなかったという。
少し、気にかかっただけ。
勿論、そう言ったことが経験による勘として威力を発揮することだってあるので全く無視をする、ということはないのだが、あまり拾い上げ過ぎてもそれこそ玉石混交であり、手が回らないし、回すだけ無駄なこともあるし、ということでその大体は頭の隅に置いておくだけにしていたのだ。
もう少し、その声が大きくなったならば、その時こそが手を回す時だというように。
今までもそうして、情報収集の仕分けをしてきたのである。
今回だって、そうだった。
ただ、その内容が内容だっただけに他よりはずっと気に留めていたとも言った。
ルシアが遥か昔より準備をしてきたそれが本来は一体、何を目的としていたのか、それを唯一、クストディオは知っていたから。
けれども、過敏になり過ぎてもそれは仕事に私情を挟む行為となる。
過去にあまりに早い段階で報告し、眉唾物であったということがあったこともあり、クストディオはそのように判断したのである。
......まぁ、今回ばかりはそこまで慎重にならずとも当たりであった訳なのだが。
そのくらいには始まりは本当にただ、被害状況の他に住人の対処や街の様子を探る為に彼ら当人の話も聞きたいとして、世間話の一つでも振るように話したりした中でぽつりと落とされた噂であった、と。
その、隣の国のシーカーでどうやら流行り病が広がり始めているらしい、という噂は。
――少なからず、こうした類いの噂はそこかしこで毎年、耳にすることのある内容ではある。
この季節が来たなら、といったように広がり、収束する類いの感染症だってあるのだ。
今回も、その可能性があったのである。
きちんと健康的にしていれば罹らないぐらいの、他国まで話は届いているが国境を超えることはないだろう、といったぐらいのものである可能性が。
この時は反対にシーカーを抜けてきた行商人から齎されたらしい噂であったから、よりただの世間話である可能性があったのである。
まるで、他人事のように当事者の大変さなどには目もくれず、口先だけの同情をする程度の話といった具合に。
勿論、仮にそうであったとしても一笑に付して良い話という訳ではないのだが。
倫理的な話としてもそうであるが、万が一、対岸の火事が我が身に降りかかるかもしれない、ということもあるのだ。
だからこそ、この噂がここでされていたということもあるのだろう。
その万が一に備えようと情報を敏感に拾い上げる為の網を張るのは何も密偵ばかりではなく、それらに巻き込まれては堪ったものじゃない一般人たちも、ということだ。
人は日常の中で意外とそういったことをやって退けているものである。
クストディオも同様で一般人ではないからこその冷静な視点でそれを見てはいたが、それがお目当て、というにはあまりにも待ち望みたくない事柄であるけれど、ルシアが備えている事件とは無関係の感染症であったとしても、もしも、それがこの街に流れてきてしまったら、それが重軽度を抜きにして、症状から薬の入手、対処法から何かしら厄介なものだったとしたら、ルシアたちを被害の出ない場所まで離れさせねばならないだろうとはそれを噂していた一般人と同じように考えていたのである。
だから元々、この手の噂はある程度、耳に入れるようにしていたのも今回の件に繋がったのであろう。
そして、それは最近になって、その声が膨れ上がる兆しを見せたことでクストディオは満を持して、手始めに軽くではあるが情報取集に動いたのである。
そうして、意識して情報を集め始めたからこそ分かるその噂の真偽。
未確定であるそれの現時点で出来る想定は報告をしたクストディオを前にルシアと王子が出した結論のままである。
既にただの季節性の感染症というには話が大きくなり始めているのが伺えてしまっているそれはそれだけ大規模となる可能性が見えているということ。
少なくとも、ルシアが備えている件であるならば間違いようもなく、非常事態に陥るほどの規模となる。
そして、王子が剣を手に入れたこのタイミングであることも相まって、ルシアはほんの少し早いこれを作中のシーカーの流行り病であることをまず間違いないだろうという確信を持って、見ていたのであった。
それは作中でのそれが起きたのは順番だけで言えば、ルシアたちの今居る地点の次であったから。
やはり、この世界は多少、外れはしても順繰りに進んでいるとその強制力をルシアが実感した瞬間でもあった。
クストディオにはそこまで言ってはいなかったから、ルシアだけが限りなく真実であるだろうと人以上の確信で深く現実を、そして未来を受け止めていたのだった。




