714.その噂は
発端たるクストディオにその向かいにはルシアと王子、来客の応対用といったそのテーブルを囲んでソファに座っていた。
その横手にソファにまだ空きがあるのにも関わらず、気分的な遠慮が働いたのだろうか、わざわざ別から椅子を引っ張ってきたニカノールが腰をかけている。
彼らを取り囲むようにして立つのはノックスとフォティア、ピオだ。
今晩の食堂にて集まった、その全員がこの場で頭を突き合わせていた。
それは、それは難しいと言うような、厳しいと言うような、顰め面とも取れる決して、穏やかではない顔をして。
「クストディオ、それは本当なんだな?」
「はい、気になって調べたので」
とはいえ、本格的な調査はまだです、と少しの沈黙の後に口を開いた王子の問いかけにクストディオは言う。
まぁ、明確な指示もないまま、緊急性があるともないとも言えるその内容にここまで搔き集めてくれただけでも十分な働きをしたと言えるだろう。
こういった噂があった、という情報だけでもルシアにとっては足掛かりになり得る重要な情報となることが大いにしてある。
穿った見方をすれば、主人公の元へ集まるそれらがこんな前置きまでされて何もない、なんてことはない、という話。
「他国との行き来をする行商人が主で、発端も彼らのようだったのよね?」
「...話を聞く限りではそう」
今度は何かを思案していたルシアが問う。
それにもクストディオは首肯が返した。
王子とルシアで対応に差があるのは今更の話である。
ルシアとしてはクストディオの王子に対する想いも彼の過去も事情もこの場で唯一、知っている為に気にしていない。
寧ろ、幼い頃から良くも悪くもそれが常識である世界で生きてきた王子と違って、ルシアは傍に居る気の置けない人間に畏まれるのは心底、苦手である故に普段のクストディオの態度が有り難いというところまであった。
出会いが出会いなのも理由だろうが、これはこれで良いのだ。
下手に指摘して変えられては堪らない。
会話の内容とは全く違うそんなことをルシアが頭の隅に考えているとは知る由もなく、当のクストディオは少し居心地悪そうに身動いでいた。
それはきっと、ルシアと王子の前に、正しくはテーブルを挟んでその向かいのソファに腰を下ろしているからだろう。
口下手なのも、どちらかと言えば、その職種故か人前には進んで出てこないからこそ注目を集めるのもあまり好きではないのは知っているが、それが理由でないということは何となくではあるが、察していた。
それこそ、長年の付き合いであるのだから。
そして、たとえ今、その位置に座るのが他のノックスやフォティアであっても同じような反応をするだろうことが予想出来るということもあった。
だからといって、無視を決め込んでいる辺りはなかなかの鬼である。
「......他の者たちよりは信憑性が増すな」
「ええ、そうね。クストが話を聞いた行商人の中にはあの国と取引をしている者も居たのでしょう?それなら、完全な嘘、ではない、ということね」
「少なくとも、実際に起きていることではある、ってこと?」
ぽつり、とこれまた、そのクストディオの話を聞いて、何かを考えていた王子が言葉を溢した。
王子なりに話を整理して、その過程で出て来た言葉であったのだろう。
ルシアも同意して、さらに重ねるのは話から汲み取れる絶対的な事実である。
それに疑問を提示したのはニカノールだ。
一般人である彼にはルシアたちほど読む力はない。
けれど、話が話なだけに真剣な表情をして、事に当たっているのはニカノールの性格上、見過ごせないのだろう。
だから、彼こそ、この場では一番、この件に関係がないだろうにその報告に居合わせた為か、いつもならば堂での食事が終わり次第、そのまま帰るところをこうして、一緒に部屋まで引き返し、この場に残ることにしたのだろうとルシアは思った。
「ああ、それが今、この街まで届いたことに何かしらの意図が含まれている可能性とは別にして、だ」
そして、自分の力量を認めて素直に乞うニカノールに王子が返事を返す。
話に加える気はあるのだ。
そもそも、そうでなければ彼が何と言おうと家へ帰している為に、この場に居るということはそういうことであった。
王子はその口で別の問題までを示唆するのをルシアは静かに聞いていた。
そうして、己れも自身の意見を告げる為に口を開く。
そこにはニカノールへもっと分かりやすい説明の意図もあった。
「わざと、これを噂として流した可能性はあるわ。でも、あの国から来た複数の商人が証言しているのであれば、実際に起こっている可能性はそちらよりずっと高いでしょうね。そうでなければ、彼らは全員、誰かによって用意された仕込みになってしまう」
「!じゃあ、何の為にそこまでしたのか、という話になるってこと」
「その通りよ」
王子の示唆した内容に、ニカノールが疑問に思った点、そのどちらもを軽く説明してやれば、決して察しが悪い訳ではないニカノールもその次の部分までは読むことが出来る。
閃いたとばかりに話題の駒を次へ進めたニカノールにルシアは正解だと返す。
「もし、そうであったとしてもそれでは規模が大きくなり過ぎていると言わざるを得ない。勿論、彼の国で何らかの事が起きていて、その余波がこちらに伝わってきたとも言えるけれど」
「それはそれで、何かが起きているには違いないんだね」
「そうなるな」
結局、行き着く真相はそうなる。
この場で把握出来る範囲のこと、という括りはあるが。
それでも、これだけは分かるのだ。
何かが起きている、ということ。
――これだけは。
「......さすがに情報が少ないな。漠然としたことしか、分からない」
「ええ、大枠だけが実しやかに伝わっていると言っても良いでしょう。曖昧な、それこそ噂、というに相応しい話だけが届いている」
如何せん、手元に来た情報が少なかった。
いくら、クストディオが個人的に街の破損箇所の様子見の片手間で集めた内容であるとはいえ、クストディオもその道の玄人である為にもう少し話が出てきそうなものである。
これが又聞きなのであれば未だしも、直接、とまではいかなくとも、それに接近した者たちから齎されたものというのならば。
それが、ルシアと王子が何か意図があるのでは、と踏んだ一因でもあったのだ。
「クスト、街の様子は分かったから、後はそれ相応の対応をしておくわ。だから、貴方はこちらの調査をお願い出来る?」
「フォティア、密偵たちに探るように伝えてくれるか」
それならば、本格的に探る他ない。
少なくとも、琴線に触れているのならば、ただ放置して良い内容ではないということだ。
何よりもその噂が本当だとしたら、本当ではなくともそんな噂を立てる必要があったとしたら、それは必ず食い止めなければならない案件である。
ルシアにとっても、王子にとっても。
ニカノールとて、ニカノールなりにそれを案じているのだ。
そして、対応する必要があるかどうか、それがどのような対応が適切か図る為にも情報収集は必須だろう。
そんな結論に同時に至った二人が出した指示に異口同音が返ってきたのは言うまでもない。
――事が動き出した。
果たして、これは何に繋がっているのか。
これはただの偶然か、それとも何らかの事故によるものか。
または黒幕が、潜んでいるものなのか。
ルシアたちの眉間の皺は深まるばかり。
「......それにしても、流行り病か」
腕を組んで、思案げに宙を眺める王子がそう溢したのをルシアは横でしっかりと拾っていた。
その噂は嘘か、真か。
違和感を覚えたその噂、ただの惨事であるものなのか。
「......」
――その答えを、真相を、ルシアは知っていた。
だからこそ、この場に居る誰よりもルシアの顔は険しいものであったのだった。




