711.新たな装備と記憶と噂(中編)
「じゃあ、俺はこの肉料理で」
「はい、承りましたー。ご注文は以上で?」
「ああ」
「それでは失礼します。料理が出来るまで暫し、お待ちくださーい」
それなりに良い宿とはいえ、宿泊客以外にも入ることの出来る一階の食堂は夜の一番人が多く、酒精も入る時間帯であるからか、ガヤガヤとした賑わいが一等大きいようだった。
その中でルシアたちは端の方の席を陣取って、注文を取りに来た宿屋の娘に食べたい料理を告げていく。
因みに肉料理、と言ったのはニカノールである。
食事を抜きかねないとしながらも食べるとなれば十分、成人男性として一般的な量より少し多いくらいを食べるのがニカノールなのである。
その内容すらもがっつりしたもの。
彼もれっきとした成人男性なのであった。
まぁ、それだけお腹が空いていたということもあるだろうけども。
何せ、ほぼ一日ぶっ通しで作業をしていたのだ。
疲労だって、忘れていてもそこに存在しない訳ではないから、集中力が切れればどっとやって来てはルシアたちを襲う。
ルシアがここ最近、食後にさっさと寝支度を済ませるようにしていたりするのは一歩間違えばそのまま倒れるように眠りに就きかねないからである。
実際、それに近い状態なのには変わりないのだが、それをやってしまうと間違いなく、休養と称して寝台から出してもらえなくなるので、これは一種のボーダーラインなのであった。
後は普通にそれらを予測しているのにも関わらず、済ませないまま寝てしまうのは気にかかるからである。
王子に本日分の終了を告げられて、片付けに以降したあの後、ルシアはニカノールの諦めの篭った瞳に少しだけ苦笑して、ニカノールの置いたペンやら画板やらをテーブル上の用紙たちと一纏めにした。
筆記に使うものはどうせ明日も使うから、と初日から数日経った辺りから既にこの部屋に置き去りにされているものだ。
テーブルの上に簡単に揃えておくだけで良い。
描いたものに関しても見習いでも職人故の熱量か、驚異的な記憶力でニカノールは覚えているから持ち帰らなくても困らないということもあったからの方針である。
ルシアがいつでも見直せるように、と。
反対に必ず毎度、ニカノールが持ち帰るようにしていたのは試作品や素材である。
それはルシアたちが容易に触れるのも歓迎されたものではない、ということもあるだろう。
やっぱり、それらの扱いを一番知っているのはニカノールなのだということもあるだろう。
専門分野や専門家に頼るに限る。
それを解っているからか、ニカノールは今先程まで手にしていた画板とペンではなく、そちらの片付けを優先するし、ルシアたちは不用意に触れずに他の片付けを引き受ける。
そんな役割分担を言わずとも出来てしまうほどの連携が既に出来上がっていた。
「進捗はどうだ?」
「ええ、それなりに」
「そうだね、後は細部の変更と不備の確認、修正くらいかな。待たせてごめんね」
そうして、片付けも終わり、同様にカップやティーセットを片付けていたノックスを伴って、ルシアたちはこの食堂へ夕食を取りに下りてきたのであった。
注文を終えて、宿の娘がそれを厨房に伝える為に去っていくのも見送ったところで王子が徐に口を開き、そう言った。
食事が運ばれてくるまでの暇つぶしの意図もあるのだろう。
ルシアは然して、それを気に咎めることもなく、鷹揚に頷いて返す。
それにニカノールも相槌を打った。
「それだけ、真剣に取り組んでくれているということだろう」
「依頼として受けた以上は当然ね。見習いとはいえ、俺もこの国の職人だから。――でも、それだけじゃないよ。君たちとは出会ってそう経っていないけど、その分、濃い付き合いをしてると思ってる。知人になら、それだけ情も湧く。職人として、あまり褒められたことじゃないけど、それって作るものにも影響するものだよ。その上、作っているものが興味のそそられるものなら猶更」
熱が入る、とニカノールはそれこそ熱を持って、そう語る。
今度は王子がそうか、と相槌を打つ。
心なしか、表情が綻んだのはここまで言われると嬉しいものだからだろう。
斯くいうルシアもふわり、とついつい笑みを浮かべてしまったものだった。
「ですが、ほどほどに。ルシア様もですけど、身体を壊してたら本末転倒ですよ」
「うん、気を付けるよ。ありがとう、ノックス」
「ええ、それは解っているわ」
そこへこれだけは言っておかないと、という風に忠告を投げかけたのはノックスであった。
今まで同席はしていたものの、主人たちの会話を聞くに徹していた彼であるが、王子と同様にルシアの今までの無茶ぶりを、今回の件でニカノールの職人としてのものだけではない気質を、そしてこの数日の様子を見てきた身としてはやはり、言わずにはいられなかった、ということだろう。
眉を下げて告げられたそれにニカノールも眉を下げて、首肯を返す。
その表情が示すのは煩わしいとか、困っているという意味ではなく、純粋に自身の気質を理解している故にどうしたって迷惑をかけてしまうことに申し訳ないと思う気持ちだ。
ルシアもそれが見抜けるくらいには似た気質持ちなので、同じようにノックスの忠告を受け入れる。
多少、慣れを感じさせる返答が今までの成果を思い出させ、哀愁を漂わせるものの、ノックスは一言、絶対ですからね、と最後の念押しをした後、会話の主導権を彼らに戻すのであった。
「まぁ、後はルシアのものだけだからな。余裕が出てくるだろう」
ノックスの意図を汲み取って、再び王子が話し始めた。
ノックスの忠告は王子も再三言う台詞であったが、言いたい言葉は全てノックスによって告げられた為、別段、付け加えられることなく、次の話題に移ったのである。
とはいえ、話をするならやっぱり、気になっているルシアとニカノールの共同製作の進捗なので元の話へ戻ったとも言えるし、ノックスの忠告にも触れる話である為、引き継いだとも言える。
「んー、そうだね。同時進行で作っていたカリストの護身用の剣は出来上がったからその分の余裕はあるよ」
王子が振った話に反応したのはニカノールであった。
そうして、自身の内情を語る。
集中して工房に篭るのも職人の性だが、あまり根を詰めてやり過ぎるとすぐにルシアたちに吐かされるのを数度、経験した結果の素直な暴露であった。
また、その内情が明かしても眉を顰められない内容であったこともその要因だろう。
そう、実はニカノールに注文したものの二つ、ルシアのボウガンと王子の護身用の剣は同時進行で進めてもらっていたのだ。
単純な作業量も然ることながら、並行作業の難度は一つのことを突き詰めるのとはまた違う大変さがある。
ルシアもどちらかと言えば、一つずつを一気に進める方が得意である為、それを身に染みて知っていた。
それと言うのも無情かな、現実は随分とマルチタスクであったので。
しかし、その同時進行も王子用に注文された護身用の剣が完成したことで終わったということだった。
数日前には出来て、それこそ今日、それは納品されたのだ。
ルシアのものよりも早く出来上がったが、決してやっつけ仕事という訳ではなく、こちらも頑丈にしたりと普通の剣よりずっと手間をかけられた逸品で上等な出来であった。
今もそれは王子の腰に刷かれている。
ニカノールはそれを見る度に少し気恥ずかしいらしく、懸命に見ないようにしていた様子は申し訳ないけれど、笑ってしまうものだったということだけ言っておこう。
まぁ、そんな訳で残すところはルシアのボウガンだけなのである。
こちらもこちらでなかなかの大変さがあるけれど。
「だからと言って、空いた分を詰め込み過ぎないように」
「そうね、休憩にも時間を割くこと」
「う、気を付けるよ」
しかし、それでも忠告は差し込まれる。
王子のまるで見ていたかのような細かい指摘にルシアも乗ってニカノールに向き合えば、ニカノールは覚えがあるのか、少しだけたじろぎ、苦い顔をしながら、返答をしたのであった。




