710.新たな装備と記憶と噂(前編)
ぽちゃん、と遠く、そして近くで音がする。
何かが跳ねた、そんな音。
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ルシアたちが職人の国スカラーのスターリの街に延長滞在を決めて、早十数日。
ここ毎日と言っても過言ではないほど頻繁にニカノールはルシアたちの泊る宿へと出入りをしていた。
セルゲイの店を訪れて、ニカノールにも注文をしたあの次の日からのことである。
次の日の朝にはニカノールはたくさんの紙やら素材やらが乱暴に放り込まれた重そうな肩掛け鞄を手にやって来たのだ。
一応、訪問に迷惑ではない時間にはなっていたけれど、その目の下には既に薄っすらとした隈が居座っていたのできっと、この時間を待ってきたのではなく、ぎりぎりまで作業をしていて、この時間になったのだろうと思わせた。
若干、息を荒げているのはそれだけ急いできたからか、それとも徹夜明けに急ぎ足はかなりの疲労に変換されたのか、または全く別の興奮によるものか、その全部か、ルシアには見当も付かなかったがある意味、店を出る時にルシアの考えていた予測が見事、正しかったということだった。
けれども、ニカノールは顔色こそ青白くなり始めていたものの、爛々と輝かんばかりでたとえ、休めと言えども気が休まらないだろうという表情をしていた。
残念ながら、ニカノールはそんなところもしっかりと職人気質のようだ。
さすがはあのセルゲイの元でめげずに見習いを続けているだけある人材である。
しかし、あれだけ無茶はするな、という旨の言葉を告げておいたのにやっぱり、効果がなかったと分かるその有り様にルシアは苦笑する他なかったのであった。
「ほら、今日のところはその辺までにしておけ」
こうして始まったルシアとニカノールの話し合い、もとい新たな武器を作る為の議論会はそれはもう、とてもじゃないがすぐに終わる気配を見せなかった。
だが、それは行き詰ってどうしようもない、という意味ではなく、未知過ぎるが故に自由度も高く、あれもこれもと白熱してしまって、猛スピードで走り出したまま、止まらないという意味だった。
毎日、新たな案が浮かび、挙げられてはすぐさま古くなっていく、のを繰り返している。
それは一日に百や二百を越えそうな勢いであった。
ルシアもまた、職人たちとよく似た気質を持っていたからこその予想出来た惨状でったと言えよう。
それでも、時間は有限であり、実質的な終わりがないと言っても良いその作業にいつまでもかまけていられないのも理解しているので着実に方向性を絞って、選択肢を狭めた。
半ば、収集が着かなくなりかねているのを何とか僅かな理性で定期的に引き締めているのである。
それがなければ、今頃は脱線事故を起こしてどうなっていたことやら。
だけども、その努力の甲斐があってか、今日でやっと、試作段階まで漕ぎ着けることに成功していた。
「...カリスト」
「え、あ、もうこんな時間、いっつも本当にごめんね」
「いや、素直に切り上げてくれるなら構わない」
しかして、本日も本日でルシアとニカノールのその勢いは弱まることを知らない。
試作品を持ち込もうとニカノールの片手には最早、見慣れるに至った画板と真白な用紙、テーブルの上には黒が躍る用紙が散らばっている。
また、ルシアもペンを手にテーブルへ用紙を置いて、思い付くままに描いていく。
そんな作業の速度だからとて、時間も同じだけ凄まじい速さで過ぎていたのを当事者たる二人は気付かない。
だからなのだろう、王子が止めに入るように二人に声をかけた。
その声にぴたりと動きを止めたルシアとニカノールは顔を上げて、王子を見た。
今やっと、王子を認識したルシアたちは王子がいつの間にソファから立ち上がって、傍までやって来たのか分からない。
ただ、それはこれが初めてではなかった。
ゆったりとルシアが王子の名を呼ぶ横でニカノールがちらりと壁掛け時計を見て、刻まれた時間に驚き、慣れた様子で王子に謝罪する。
それに対する王子の態度も含めて、繰り返された事象であるのが伺えただろう。
そう、もうほとんど毎日、日も暮れて、締め括るに丁度良い頃合いを見て、王子が二人に声をかけるということが続いていた。
まるで、そうしないとそのまま朝を越えても止めないだろうと言わんばかりに。
実際、それが出来る集中力を二人して持っているのが始末に負えない。
最初こそ、実力行使とばかりに画板やペンを取り上げられて、やっと二人とも王子に気付いていたが、今では声一つで顔を上げるようになったのは王子の努力が実を結んだ結果だろう。
「さぁ、片付けて食堂に行こう。ニカノールも食べていくだろう?」
「あー、いつも本当にありがとうございますぅ...」
王子でありながら、なんてことないように二人の散らかしたテーブルの上の片付けに手を出しながら、王子は言う。
それに一人、椅子に座っていたルシアも立ち上がり、黙々と片付けの作業に入る。
集中力故にずるずると他の全てを放り出して、それを続けてしまう性質を確かにルシアは持っているが、しかし一度、切り替えてしまえば後はまるで興味の全てが失せたかのように淡々と処理してしまえるのもルシアの本質であった。
だから、こういう時の動き出しは早い。
やや遅れて、ニカノールが手にした画板とペンを置いて、試作品やら素材やら扱いが難しいものを鞄の中に片付け始める。
返事が動きよりもずっと疲労感の灯るものなのは王子の言った内容故だろう。
こうして遅くまでこちらの依頼で作業をしているのだから、と初日から王子が食事の席にニカノールを誘っているのだ。
そのまま帰して、ニカノールが食事を抜いたまま作業することを懸念したルシアもそれに乗った為にニカノールはこの誘いを断れなかったのである。
初日こそ、遠慮がちに首を横に振っていたが、良くも悪くも強引な二人に勝てるはずもなく、ニカノールは諦念を宿した目で礼を告げたのだった。




