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6.王宮図書館(前編)


――また数日の時間が過ぎて。

忙しくも日常を伯爵家で過ごしていたルシアは(ようや)く図書館の出入りが許可されたと聞き、兄に連れられて再び王宮を訪れていたのであった。


「着いたよ」


前回同様に迷子になりそうな廊下を歩いて、兄の言う王宮図書館へと辿り着く。

二度目ともなればルシアの立場と顔がそれとなく周知されたらしいこともあり、兄が何か根回しでもしていたらしいのもあり、殊の外、すんなりとここまで通され、迷路のような長い廊下ではあったが一度目よりもずっと軽やかに王宮内を闊歩出来た。

そうして、目的地の扉を開けて、ルシアの目に飛び込んできたのは本。本。本。

ずらりと規則的に並び立ちながら、美しく整えられた書棚に収まる数え切れないほどの本。

一言で言うと、思わず感嘆してしまうほどの圧倒的な物量とそれが粛々(しゅくしゅく)として寸分の隙もなく並ぶさま。

これを喜ぶな、という方が無理だとルシアは思う。


「嬉しそうだね、ルシア」


「ええ!!」


今にも駆け出しそうなルシアをアルトルバルは司書に紹介し、後は自由にして良いという合図を送ってくれたのを見て、ルシアは名一杯に(うなず)いて返した。

それだけ、目の前の光景は魅力的だったのである。

よし、まずは片っ端から何があるか見て回ろう。

趣味だけでなく、必要だと思っていた調べ物の為の資料も探さなくては。

そう意気込んだルシアの意識は既に目の前の本の群れに取られてしまっていた。

アルトルバルはそんなルシアの様子に口元を隠しながらも堪え切れないように音のない笑みを溢したのであった。


「じゃあ、僕は仕事へ行くけれど、ルシアは一人で本当に大丈夫?」


「大丈夫よ、兄様。帰りだって、イオンが迎えに来てくれるもの」


そわそわと今にも書棚の隙間に吸い込まれていきそうなルシアにアルトルバルがそう告げるのをルシアは即時に頷いた。

そう、実は今回の図書館で過ごすにあたって、ルシアはその間を一人で居ることになっているのであった。

従者や侍女をカウントしていない訳でもなく、完全なる一人。

ここまで一緒に来てくれた兄もこの王宮で仕事があり、いつまでもここに居る訳にもいかないのである。

本来、ルシアの傍に護衛を兼ねて、常に付き添っているイオンには別件の頼み事をしているのでこの場に居なかった。

しかし、他にルシア付きの使用人というものは存在しておらず、だからといって折角、許可の下りた王宮図書館訪問を後回しになんてどんな生き地獄だというのが、ルシアの本音であった。

その結果が付き添い一人すら居ない、この現状。


兄からは己れの護衛を貸そうか、と提案されもした。

だが、兄の護衛たちとルシアは少し折り合いが悪いということがあった。

兄には悪いが、折角の楽しみを居心地悪く過ごしたくなかったのだ。

きっと、必要以上にあれやこれやと咎められる未来は見えた。

何より、兄にそこまで気を使わせるのも悪いと感じたルシアはアルトルバルのその申し出を遠慮したのだった。


まぁ、しかし。

ここは王宮という、最も尊い人たちの住居であり、多くの貴人が集う場所。

早々、可笑しなことはないはずというのがルシアの考えであった。

後にそれが何よりも信用ならない言葉だとルシアは学ぶのだが、それはもう少し先の話。

兎も角、ルシアはそういった旨を盾に兄やイオンを説得した。

そもそも、ルシアに付き添いが居ないというだけで図書館自体には常に司書の人たちも居るので、全く人の目がない場所ではないのだ。

何かしらのトラブルがあっても、すぐに対処される環境には違いなかった。


「ですので、兄様はお仕事頑張ってくださいね」


ルシアの返事を聞きながらも躊躇(ためら)いを見せるアルトルバルをルシアは図書館から追い出しにかかる。

まぁ、先程の返事程度では安心するとは思っていない。

それと言うのも、ルシアは既に散々、アルトルバルから同様の質問をされ、その度に同様の返答を返していたからである。

一応、説得には成功しているのだが、それでも心配で堪らないらしい。

思えば、その説得もかなり渋々の許諾であったことをルシアは思い返していた。

そんな兄のことである。

今更、もう一回繰り返しただけで納得するくらいなら、わざわざ何度も問いかけては居ないだろう、とルシアは苦く笑いながら、もう一度、大丈夫だと口にした。

どうにもシスコンの気があるんじゃないかな、この兄は、とルシアが内心で呟いたのは秘密である。

結局、ルシアに物理的にも廊下まで背を押されてしまったアルトルバルは名残惜しそうに後ろ髪でも引かれているようではあったものの、図書館を後にして、仕事に向かっていったのであった。



ーーーーー


「さてと、まずは...」


端から一周しよう。

そして、気になる本がないかを見ていこう。

...やっぱり、ここは調べ物を優先することにしようか、時間も有限なのだから。

兄の背を見送ったルシアは仕切り直したように書架へ向き直るとすぐさま、とことこと幼い歩幅を見苦しくない程度に限界まで広げて、歩き始めたのであった。

最早、その切り替えの速さと勢いは兄のことなど忘れている。

司書の視線も振り切って、きょろきょろと斜め読みで並ぶ本たちのタイトルを拾う。


ルシアの言う調べ物というのはこの国の歴史と周辺諸国、あと一番、重要なのは作中で最大の懸念事項こと、敵国スラングのことであった。

彼の国はもう長い間、この大陸の荒野を越えた東側で絶えず不穏な空気を流し続けてきた国だ。

そして、作中と同じく今まさに竜人族(りゅうじんぞく)を失って、弱体化したイストリアへ手を伸ばしてきているのだ。

その片鱗を見せていた。

正直な話、その辺りの事情を詳しく知る人間からすれば、いつ戦争が始まっても可笑しくないというのが現状だったりする。

ルシア自身はその気配を察し切れてはいない。

ただ、作中の流れからそれを知るのみ。


今から数えて八年後までは持ち堪えるはずなのだが、ルシア以外にそれを知る者は居ない。

だから、なのだろうか。

ほんの少しだけ、王宮の中は空気が肌に刺さるようだとルシアは感じたことがあった。

これがスラングのせいなのか、それとも王宮という場所がそういったものなのか、それをルシアが判別するには情報が少な過ぎるのだけれども。

ただ、いつまでもその緊張状態を保っているのも疲れるのか、そこまでピリピリと息苦しいまでの重い空気でもなかったのは幸いと言うのだろうか。

少なくとも、今後も出入りしなければならない場所の空気が悪いよりは良い方が良い、というのは当然のことなのでルシアとしては幸いなのだろう。


それはそれとして既に六年もの間、スラングとの戦いを回避出来ている辺り、現国王はとても優秀らしいとルシアは本として読んでいる時はそう考えたこともなかった部分で感心に息を吐いた。

まぁ、その割に王妃の暴走を止めてくれる様子は欠片も見せないけれども。

優秀なのか、違うのか。

ただでさえ、現国王のレイナルド王に関しては当人に聞こえないところで既に評価が真っ二つに割れているようなので判断するのはとても難しいところである。


「...自国が開戦寸前なんて不思議な感じだわ」


しかも、事これに関しては、他人事では済みそうにないと知っているのだ。

集められるだけ情報を集めて万全の対策をしなければ、と思う。

だのに、不思議な感じ、だなんて遠くに感じているのは前世の記憶が強く焼き付いているからか。

あまりに危機感がないとも言えるだろうけれど。

ぽつり、と時たま心の隅っこで落とすその言葉に付ける感情の色をルシアは今でも掴み切れないままである。


「うーん、歴史書が幾つかあるけど、スラングのは...」


――何処だろうか?

長年の敵国な分、別の場所だろうか。

制限区域にあったなら流石に手が出せないので、普通書架にあってほしい。

気になるタイトルの本を次から次へと抜き去りながら書架の海を泳ぐように進む。

既に積み上げた本によって視界が狭まり、且つ本にばかり集中していたルシアは途切れた書架の間から現れたものに気付けず、それとぶつかってしまった。


「なっ」


「あっ!」


あぶない、危ない...。

今回は弾き飛ばされることはなかったが、本を散らばらせるところだった。

本に傷を付けることもそうだが、それで自分の足の上にでも落とした日には目も当てられない。

ルシアはその場で踏ん張りながら、抱えた本も落とさぬようにしっかりと持ち直して、態勢を立て直す。


「ごめんなさい、前を見ていなかったものだから。お怪我は...」


そうして取り敢えず、謝ろうと口を開きつつ、視線を投げた先には紺青の瞳。

またしても、ぶつかったのは第一王子だったということにルシアは気付いて、目を丸くする。

...よくぶつかるにもほどがあるだろう。

相手が相手だけにその美貌(びぼう)も相まって、これなんて乙女ゲー?状態が過ぎて、これって運命?とときめく展開とは残念ながらならない。

ある意味、死亡フラグを握っている相手ということでは運命の人だろうか?

そもそも、そういった思考回路は壊滅している気がしないでもないルシアは若干、迷走気味であった。


「...申し訳ございません、殿下。お怪我は御座いませんか」


「...いや、ないが」


「そうですか。では、御機嫌よう」


ルシアの問いに最初、警戒心を(あらわ)にしていた王子の顔が拍子抜けしたように緩む。

立場上も踏まえて、聞かぬ訳にはいかなったルシアであるが、返事がなくとも、と思っていた。

けれど、王子は反射といった様子でありながらも受け答える。

その様子に大丈夫だと判断したルシアはさっさと会話を切り上げて、この場を去ろうとした。

(ひとえ)に相手をするのは面倒臭い、と考えてのことである


「待て、ルシア・クロロス・オルディアレス。...それを全て読むのか?」


「――ええ、そうですけれど」


しかし、王子によって呼び止められ、ルシアは足を止めた。

どうやら抱えていた本の量が気になり、声をかけたらしい。

確かに多いがルシアにとっては読めない量ではない。

まるで、有り得ないとばかりに猜疑の目を向けられる。

それにカチンと来ないでもなかったが、口論するのも労力が要る。

ルシアは素気無く答えるだけ答えて、再び(きびす)を返そうとした。

...ああ、でも丁度良いかもしれない。

しかし、ふと思い至ったルシアはそれを止めて、全く目を合わせなかった紺青に真っ直ぐ視線を据える。

一瞬、その青が揺れたようだったが、ルシアは気にしなかった。


「殿下。スラングについて(まと)めた書物が何処にあるか、ご存知でしょうか?」


「――スラング?確か、あの辺りにあったはずだが、......付いてこい」


突然のルシアの問いかけに王子は面喰ったような顔をした。

だが、先程同様に根の素直さが思わず出たのだろうか、それともルシアの勢いに圧されただけかもしれないが、王子は少し考えた後、ある方向へと首を(ひね)る。

そのまま、確かめるように歩き出そうとした王子はルシアのことを思い出したかのように視線をくれ、たった一つ、付いてくるようにだけをルシアに告げて、止めた足を踏み出した。

ルシアはさっと近くの手頃な机に本を置いて、王子のその後ろを付いていく。

それにしても、わざわざ案内してくれるようだ、優しいところもある。

――もしかして先日のことは偶々(たまたま)、機嫌が悪かっただけなのかもしれない。


「ここだ」


「ありがとうございます」


そうして、ある書棚の前で立ち止まった王子がそう言った。

それにルシアは礼を告げて、目前の書棚を見上げる。

まだまだ小さいルシアには本の背表紙を見るだけで一苦労なのだ。

けれど、(ようよ)うにしてだったが、ルシアは確かにスラングの文字が背表紙を彩る本をそこに見止めた。


難しそうな物からお伽噺(とぎばなし)のような物まで、さて何処までが正確なものだろうか。

本、というものは面白いもので、そのラベルによって虚偽かどうかを判断してしまいがちであるが、お伽噺であっても確かな伝承に基づくものもあれば、どれだけ小難しくそれらしい専門書然としていても嘘しか書かれていないものだってある。

まさに玉石混交なそれを嗅ぎ分けるのはそれこそ、知識が必要なのだ。

そんなことを考えながらルシアが幾つかに目を通し、手の中へと抱えていく間、用は済んだはずの王子はそこに立ったままだった。

じっと見下ろす視線に途中で耐え兼ねたルシアはぱっと振り返る。


「殿下、ご用事の最中だったのでは?」


良いのか、ここに居て。

早く移動すれば良いのに。

あんな前回のやりとりをした後ではとても気不味いから。

そう、ルシアは視線を送る。


「いや、急いでいない。それよりそれを読むのか?」


ルシアは手に持つ本を見る。

分厚く文字ばっかり、びっしりとスラングの土地環境について書かれた物だった。

確かに年端もいかない少女の選んだものとは到底、思えないものばかりである。


「ええ、調べ物をしていますので。殿下、令嬢が皆、お伽噺や恋愛ものばかり読んでいると思わないでくださいませ」


いや、十中八九、お伽噺や恋愛ものの小説だ、断言しよう。

少なくとも今、ルシアが手にしている(たぐ)いを読む同年代の令嬢は絶滅危惧種か、既に奇人の才を発揮し始めている者くらいである。

言うだけ言って粗方、選び終わったルシアは王子のことを放って、本を置いてきた机の場所へと戻ったのだった。


ああ、紙とペンを持ってくれば良かった、しくじった。

取り敢えず、イオンが来るまで読み倒そう。

書き残すのは今度で良い。

そうして、ルシアはかたんと椅子を引いて座り、一番上に積んだ本を開いて、読書に集中したのだった。


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