691.依頼の失敗と新たな提案
「......何だか、久しぶりだわ」
王子と並んで、街を歩く。
そんな当たり前とも言えるそれに、既に何遍も繰り返されたそれに、ルシアはぽつりとそう呟いた。
場所だって、つい最近まで何度となく、通っていた道のりであるというのに。
街の活気も人々の賑わいもからりと晴れ渡った透けるような空に心地良いそよ風も同様の懐かしさのようなものを感じていた。
それもこれも、あの過剰なほどの徹底した安静必須の休息期間故の話か。
部屋に篭っていたから、余計にそう思うのかもしれない。
その直前もこの平穏とはほど遠い攻防の中に居たからかもしれない。
あちらが非日常であったというのに、だからこそ濃く記憶に残っているのかというように鮮明だからかもしれない。
そうしたこともあってか、ルシアはついつい初めての場所を歩くかのように周囲を見渡しながら、歩いていた。
その為、躓かぬようにと手は王子と繋がれている。
何だかんだと理由を付けて繋がれたそれをルシアは一瞥をくれたものの、何も言わなかった。
その代わり、全力で乗っかることにしたらしい。
「...竜玉の件はどうしましょうか」
またぽつりと、ルシアは溢した。
聞かせようとした言葉ではない。
けれど、聞かせまいとした言葉でもない。
実際に隣の王子には聞こえているのだが、ルシアは気にも留めない。
会話としたければ返答して加われば良い、というスタンスなのだ。
今現在、ルシアたちが向かっているのはセルゲイの店である。
今回もニカノールに惑わしの小道の案内を頼んでおり、初日に向かった時に使ったその入口の場所で合流する予定になっていた。
もう、そこそこの付き合いになるからね、とへらりとその藤の瞳を弧に描いて快諾してくれたのだ。
あれだけのことがあり、当人も大怪我をしたというのにルシアが目覚めたその日の内に見舞いに来てくれ、その際にルシアの回復を待ってからセルゲイの店へ行きたいのだが、とこの話を持ち掛けた時のニカノールの言である。
とても気さくに引き受けてくれたニカノールにルシアはすぐさま、ありがとう、と感謝を告げたのであった。
さて、そんな道中でのこの呟き。
意味合いとしてはそのままだ。
元々、ルシアたちはセルゲイに仕事を頼む交換条件ということで竜玉探しを行っていた。
しかし、その竜玉も見つけた矢先に使用し、もう何処にもない。
強いて言うなら、ニカノールの中と言えるのかもしれないが、素材としては何の役にも立たないのは同じだ。
「――さすがに、諦めるしかないだろうな」
「まぁ、そうよね」
「ああ。少し、悔しいが」
どうやら、ルシアとの会話に興じてくれるらしい王子は淡々とそう意見を吐いた。
それは竜玉を新たに探すという意味でも、セルゲイに剣を作ってもらうという意味でもあることをルシアは気付いている。
見つけた竜玉がない以上、依頼は失敗なのだから当然だ。
また一から探すにしても今度こそ何の情報もなければ、さすがにそこまで滞在時間も引き延ばせない。
だから、結果としては入手未達成ということで事実上の失敗なのだ。
だって、提示が出来ないのだから。
諦める他ないのである。
実際には見つけていた、というにはそれそのものであるのか確証もあったものではなかったが、それでも惜しいところまできていたと思うとそれなりに悔しいものだ。
ルシアは苦く笑って悔しい、口にした王子に鷹揚と相槌を打った。
そこにあったのだけども。
手にも取ったのだけども。
何なら、既に手に渡っていると言えば、言えるのだけども。
使えないのならどれも元からないのと同じなのである、無情だが。
セルゲイもまさか、自分の弟子の中に取り込まれたとは思うまい。
勿論、今に至るまでそれが解っていなかった訳ではなかったが、解り切っていたからこそ触れなかった話題と言っても良い。
否、軽くは触れていた。
失敗だなとして。
今回、入手するまで来るなと言われたセルゲイの店へ向かっているのは条件の変更を申し出る為ではなく、依頼の撤回と謝罪の為である。
あの晩、セルゲイには多大なる迷惑をかけたと言って良い。
そもそも、借り受けたニカノールをあんま目に遭わせただけでも誠心誠意の謝罪ものであるというのに、夜中も夜中に少女二人で押しかけて、店の中を彼の弟子の血塗れにもして、その後は襲撃犯によりぐちゃぐちゃに店内を荒らされて、もう申し訳ないどころの話ではなかった。
そして、ルシアが気絶していた間のことであるが、翌日の早朝にも一時拠点としてその屋根を借りても居る。
その時点で謝罪と軽い説明はしているらしいが、こういうのは正式に通すべきことである。
何より、ルシア自身が謝罪したい。
そういったこともあって、普段ならばもう少し伸びていたルシアの静養期間がこの程度で済んだという裏話もあった。
「まぁ元々、職人の国だけあって、全ての質が高いから」
「ああ、修理に出すにも新調するにも良いものになるだろう。いっそ、ニカノールに頼むのも手か」
ルシアは慰めるように言葉を重ねる。
他の職人だって、この国にはそれこそ数え切れないほど居る。
それも腕の立つ者が大勢と。
何処の誰に頼んだって、他国とは比べ物にならない質で提供されることだろう。
今、目に付いた鍛冶屋に飛び込み、唐突に依頼したとしても、だ。
勿論、出来れば、セルゲイに仕事を頼みたかった。
その気持ちは変わっていない。
だからといって、いつまでも引き摺っていたところで状況は変わらないのである。
少しの悔しさは残るけれど、剣自体の入手が出来ない訳ではないのだ。
本来のこの国に来た理由そのものは達成となる。
切り替えだって、大事だ。
だから、ルシアは心境の部分も分かった上で敢えて、この言葉を吐いたのである。
いつまでも固執していても仕方がない、そういう意味も込めて。
きっちり、その意図を汲み取った王子も同じように頷いて、そこにちょっとだけ悪戯っぽい顔で半分冗談、と言った具合にニカノールの名前を出す。
「ふふ、絶対に困った顔をされるのを分かって言っているでしょう」
ルシアはそれに眉を下げて、笑った。
口ではニカノールをあまり困らせるものではない、と説いているようでもある。
しかし、その表情が示すのはまるで妙案だ、とでも言わんばかりだった。
もっと強い言葉で止めようとしていないのがその証拠。
悪くないかもしれない、と思っているのだ。
彼の作った装飾品の出来は良かった。
何より、あのセルゲイが弟子に取るほどなのだから、その才は確かに違いない。
「だが、それで食い付かないのはそれこそ職人じゃ、ないだろう?」
王子がくすくすと笑うルシアに嘯くように告げる。
目の前に極上の依頼を吊り下げられて、それに乗らない職人は居ない。
どの時代もどの人も職人というのは往々にして、そういう気質があるものだ。
利害よりも自分の腕を存分に振るえることを取ることは。
彼の場合、まだまだ見習いの身で恐れ多いと口にして、慌てふためくことだろう。
その姿がルシアにはとても容易に想像出来た。
しかし、彼も職人なのである。
見習いと言えど、鍛冶師なのである。
やってみたくはないか、と言われれば、その答えは決まっているようなものだろう。
「ええ、確かに。ニカに頼んでみるのは良いかもしれないわね」
ならば、ルシアたちはそこに畳み掛けるようにして言葉を紡ぐだけである。
数多の手練れたちと交渉をしてきたルシアたちにこれほど簡単な相手は居ない。
この案が王子の脳裏に浮かんだ時点で、それにルシアが賛同した時点でこの勝敗は決したようなものであった。
ルシアはふわりと笑って、今度こそ肯定を口にして頷いてみせた。
同刻、惑わしの小道の前で待つニカノールがぞわりと背筋を冷やしたのは果たして、ただの偶然であろうか。
実はミアと王子の会話の辺りで切って、ルシアが目覚めた辺りから以降を次の章に組み込んでも良いかもな、と思ってたり...(区切りの問題でね、悪くないかなって)
ただ、元々の区切りのところまでの流れは出来ているのでそこまで書き切ってから休載(次の章の準備)して、今の区切り以降の部分を章の頭として微調整した後、その続きから出そうかな、とちょっと予定してたりします。
まぁ正直、そう変わらんと思いますけど一応ね(区切りがちゃうだけの話やし)
あって、紹介文みたいのが挟まるとかくらいなので一話差し込むということもないと思います。
それでもその辺りを読み返したい勢が居る(のか分からんけども居たら嬉しいな)と思いますので、先に報告しておきますね。




