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690.その変化は心境故か


『――貴方も!自分の食事を!したら、どう!!』


じわじわと火照(ほて)(ほお)にルシアは明るい時間帯ということもあり、より視覚的にも分かりやすいのだろうとさらに羞恥を覚えながら、誤魔化すようにカップを取って、紅茶を飲み干した。

視線に関しては無視を決め込んで、継続中。

先程は思わずといった風に叫んでしまったが、効果がほどんどなくて徒労に終わるだろうということをルシアは重々承知しているのである。


だから、あの悲鳴のような言葉は正しく身の内に納め切れなかった思いの丈が零れ出たものだった。

効果効能がどうたらという話ではなく、純粋に感情のままの言葉が抑えられなかったのである。

無意味と知りつつも言わずには、というか、言ってしまったというか、とやつなのだ。

素が出たとも言う。

ただ、こちらからの不干渉を徹底することにしたルシアが既に王子の手を自身の頭の上から離すことには成功している辺り、全てを諦めて無視することに移行するのではなく、きっちり許せる、許せないのラインで欲しい成果は上げているようだった。

このただでは起きないところこそ、ルシアがルシアたる所以である。


それはさておき、無視を決め込んだルシアは一刻も早く、頬の赤みを取る為、または平常心を取り戻す為に意識して深呼吸を一つ、そこに落とした。

カップを手にしていることもあり、傍目からは紅茶を片手にほっと一息、という優雅なティータイムの光景にも見える。

ただ、当の本人は脳裏の情報整理に追われていて、最早、現実のあれそれは興味もないとばかりに気もそぞろになりつつあるのだが。


それだけ何ともまぁ、色濃いにもほどがある一晩だったのだ。

先程まで現実を遠ざけるほどに強烈な鮮明さを持って、己れの脳裏を埋め尽くしていたある光景を他人事のようにルシアは称した。

正直に言うと、現実逃避である。

あれが現実で、そして自分の身に起きたことであり、自分が起こしたことでもあるということをちょっと手放しでは受け止めたくないのだ。

勿論、実際の出来事だと自覚しているし、誓いは忘れておらず、守るつもりもあるのだが、それはそれとして。

そういう意味でもなかったことに、ではなく、分かっているけど今は気付かない、分かっていない振りをしていたい。

そんな心境を言葉にするならやっぱり、これは正当な現実逃避であった。


「......いつまでも笑っていないで自分の食事を進めてちょうだい。私の世話ばかりして自分の分はほとんど食べていないでしょう。この後、一緒に出掛けるつもりなのなら」


食事の世話をされながら、暫く黙り込んでいたルシアであったが、(ようや)く頬の火照りも現実逃避も切り上げたらしく、今し方、放り込まれたパンの咀嚼を終えて、渋々といったようにそう告げた。

何が可笑しいのか、ずっと微笑んだままでいる王子に向けて言い放たれたそれはルシアの様相に対して、中々にぴしゃりとしたものであった。

けれど、(すが)められた目が口よりもさらに物を言っている。

要するに、いつまでもそうしているならそれを理由にでも何でもして、置いていくぞ、ということだった。


今のルシアに個人行動の許可が下りるかどうかは兎も角として、である。

まぁ、脅し文句であるが故にその辺りはそれほど重要ではないのだ。

いや、本来ならば脅しの威力に関わってくるのだが、ただこの言葉が王子側にとって厄介なのはその事実に高を括った対応をすれば、ルシアが本当に実行すると分かっていることだろうか。

もしも、そんな対応をしようものならば、その許可とやらも関係ないとばかりにあっさり約束を反故するのがルシアだ。

実はこの過保護や約束事は何だかんだと言ってルシアが最終的には許容しているから成り立っているということを忘れてはならない。

本気のことであるならば、いつでも周りが何と言おうと飛び出していけるのがルシアである。


「ああ、食べるよ。君を待たせることはないようにしよう」


ルシアのそんな性質をよくよく分かっている王子は降参とばかりに(うなず)いた。

折れた方が早いとも分かっている顔だ。

だからなのか、割と散見される光景である。

尤も、それは内容がこういった些細な日常のやりとりである場合であって、どうしても譲れないとなれば、時にルシア以上の(かたく)なさを持って、決して首を縦に振らない王子であるのだが。

まぁ、人付き合いというものはお互いに妥協点を探ることだと、二人して良くも悪くも冷めた価値観を持っている為、どうしても、ということ以外で喧々諤々(けんけんがくがく)の言い合いはしないから頑固者同士でも上手く折り合いを付けて、共に過ごしていると言える。

同じように王子の提案をルシアが素直に呑むこともある。


因みにしれっと半分くらいは待たせている間に病み上がりのルシアに休憩を、とも王子が考えていたのはルシアに伝えられることなく、闇に(ほうむ)られた。

けれど、完全に失われたかと言われれば、時が巡ってくれば実行するつもりではあるようなので、ただでは起きないのは王子もだった。

その時にどちらに勝敗が上がるかは状況と彼の手腕によるだろう。

後はルシアの気分により。

押し通しはしないものの、きっちり自分の意見は挟み込む。

本当に似た者同士である。


そうして、王子はやっと食事に手を伸ばすかと思われた。

さすがに頷いた手前、ああも宣言された手前、食事に手を付けないという選択肢はなくなっていたので。

しかし、王子が伸ばした手が向かった先はテーブル上の皿ではなく、ルシアであった。

頬に、いや、口元に触れる。

王子が頷くのを見届けて、動く気配を視界の端に余所へと既に視線を移していたルシアは突然、横からにゅっと伸びてきたとも言えるそれに(わず)かに肩を揺らした。

目を(またた)かせて、王子を見上げる。

肩が少しばかり強張って、それは必要以上に反応することを抑制しているようにも見えた。


「汚れが付いていた」


「......ありがとう」


王子は目を細めて、ルシアを見下ろしながら、率直に自身の取った行動についての補足を口にした。

言われてみれば、確かに口元に付着してしまっていたのだろうソースの(たぐ)いを(ぬぐ)うような仕草であった。

鏡を見なければ、自分では気付けないことである。

ルシアは眉を寄せながらも礼を言った。

指摘すれば自分でどうにかしたものを、と言いたげな表情であった。


正直、感謝を告げているとは思えない表情だが、王子はからりと笑う。

それにルシアは益々、眉間に(しわ)を寄せた。

王子のしれっと行動に移したそれ自体ではない。

王子が浮かべたその笑み、向けられたそれにである。

何が言いたいのかというと、先程から笑みの種類が豊富且つ出血大サービスなのだ。

最早、大盤振る舞いの域である。

いっそ、怖いくらいの冷徹な無表情で知られる王子なのに笑みのインフレが起きているのは本当にどうしたものか。


恨めしいような心地でルシアは考える。

その笑みと触れるに躊躇(ちゅうちょ)のない骨ばった男の手を。

あの日、あの夜以降、さらにしっかりと触れられるようになってしまったそれを。

そして、何が気に入ったのか、ルシアから触れることを求める視線を受ける。

決して、口には出さないけれど、視線で訴えられる。

言語にしないからこそ、強要ではないことが逆に性質(たち)が悪かった。

結局、その視線にルシアは(ねば)ったとしても最後には勝てないからである。

そして、負けるを繰り返している。

あの夜以降、ずっと。

多分きっと、これからも。


「......早く、食べて。一緒に出掛けるんでしょう?」


「ああ」


はぁ、と一つ、盛大にルシアは王子に聞かせてやるくらいの気概でため息を吐いた。

二人の間には確かに変わったことが存在しているのだろう。

けれど、それすら馬鹿らしくなるほどのいつも通りの調子で交わされるやりとりに気が抜ける。

あんな襲撃があって数日とは思えない、あんな覚悟の要るような誓い合いをしたとは思えない二人の、そんないつも通りで新しい穏やかな朝の一幕であったのだった。


食事風景こそは(元々から甘さ全開なので)変わっていないが、心境の変化がね。

...っていうのを書きたかったんだよね。


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