685.今までとは少し違う朝の食卓(後編)
そんな三日間の休養を過ごしたルシアであった。
まぁ、これが正しく休養かと言われれば、微妙なところではあるものの。
大人しく部屋の中で過ごし、身体を休めていたのだから、ちゃんと休養だと言い張っておこう。
でも、そのお陰でルシアは大体のことを把握することが出来ていた。
とはいえ、ほとんどの事後処理は終わっており、ルシアがすることというのは残っていないも同然だったのだが。
あの騒動でのルシア視点も基本的にはニカノールが話した後であり、ルシアとミアだけで駆け抜けた惑わしの小道でのことは抜けがあるものの、ミアが快く協力を申し出たことで大まかな流れが王子たちに伝わっていた。
結局、ルシアはただ振り回されていただけのミアでは分からない部分やルシア主導の判断による行動の選択肢など、それらの補足のみでやれることは終わったのである。
王子たちの迅速な対応や優秀さに頼もしいと思う反面、加われなかったことにルシアが少しだけ拗ねたのは秘密だ。
何だかんだと言って、ルシアは討論とも言うべき話し合いが好きであるので。
そんな呑気に、と思うかもしれないが、全てが終わった後のことという割り切り方だ。
さすがに騒動の最中などであれば、もっと真剣に対応しているし、私情は挟んでいない。
「ルシア?食事中に何を考えているんだ」
ふいにルシアの思考を王子の声が遮る。
それにルシアは考え事から現実へ意識を浮上させて、視線を向けた。
黙々と、差し出されるままに食事をするルシアの意識が本格的に何処かへ飛んでいたのを嗅ぎ付けたのだろうか。
もしかしたら、また何かを尋ねられて答えなかったのかもしれないが。
こちらを見ている王子と目が合う。
心配をしている顔ではない。
また、何か考え事に没入していたのだろうな、という訳知り顔である。
「え、ああ、少しね。大丈夫よ、大したことではないから」
「......」
だから、ルシアはいつものように答えた。
大抵、こういう時のルシアの返事は二択。
はぐらかすか、素直に話して王子ならではの考察を求めるか。
今回は大して話す内容ではないと思ったから前者を選んだ。
実際、王子はもう知っている話であるから、わざわざ話題にするほどのことではないだろうということである。
何より、今回の件に密接過ぎるそれは下手に深掘りすれば、地雷を踏み抜きかねないのでルシアは避けたかったのだ。
それで今日の外出は急遽中止になんてなってしまえば、目も当てられないので。
しかし、王子は押し黙る。
これは言わずもがな、地雷を踏んだ時の反応である。
ルシアは敏い。
だからこそ、すぐにそれを見抜いた。
ただ、何故か大体いつもそれを踏む前に気付けないだけで。
あ、と思った時には遅いのである。
決して、学習する頭脳を持っていない訳でも口を簡単に滑らせる訳でもないのだが、何故かルシアが気付くのは手遅れになってからであった。
あと一歩早ければ、と思うものの、それが成就されたことは数回しかない。
こんなことなら、最後まで気付けない方が幸せなのかもしれないが、幸か不幸か、そちらの的中率は今のところ、百パーセントを継続中である。
「...ルシア」
「...なあに、カリスト」
静かに呼ばれた名前に口元を引き攣らせないように細心の注意を払いながら、ルシアは微笑んで応える。
同時に差し出されたフォークにも逆らわない。
そうして、葉物野菜をゆっくりと咀嚼する。
ごくりと呑み込んだ。
ルシアが無意識に予感していた通り、それが合図かのようにもう一度。
「――ルシア。どんな状況、用法であれ。君の大丈夫、は信用ならない」
区切り区切りでゆっくりはっきり、聞きやすいように声音もばっちり、何ともまぁ、潔いほどの断言で。
面と向かって、言われてしまえば、ルシアは何の二の句も継げないのであった。
自覚が数ミリたりともないのなら兎も角、その言葉を吐いて、客観的に見ればちょっと大丈夫とは言い難い状況になってしまったことが過去に一度や二度、三度四度となかった、とルシアは言えるほどの厚顔無恥ではさすがになかったのである。
「......分かっていると思うが、少しでも――」
「......少しでも体調が悪そうなら問答無用で連れ帰る、でしょう?何度も聞いたもの。分かっているわ」
「なら、良いが」
小言を言う顔になって、王子が言葉を紡ぐのを先んじて、奪って締め括る。
分かっていると示す為であり、短く済ませる為であり。
ルシアがつんとして、そう言えば、王子は少しだけ考える素振りを見せたものの、比較的簡単に退いた。
ルシアの思惑通りである。
絵面的には王子によるルシアの給餌行為は継続中で何とも穏やかなさまであったのだけども。
またも差し出される食べ物を素直に口に含んで、ルシアは食べる。
もぐもぐと食べるルシアに王子はふわりと笑った。
先程の忠告はさておいて、という雰囲気である。
まぁ、これでルシアがやらかした暁にはこってりと絞られるのだが、今は関係のない話である。
ルシアがちら、と視線を向ければ、すぐにそれへ王子の手が伸びる。
今度は紅茶の入ったカップを手にルシアはこくりと喉を鳴らした。
ルシアもルシアで今は食事に集中することにしたのだ。
だって、そうしないと終わるものも終わらないので。
しかし、隣に座る男は何が楽しいのか、微笑んだままである。
同じく、こちらに向けられているままの視線にルシアは無視を決め込んだものの、やがて、伸ばされた手が自分の頭の上に着地したことを受けて、やっと視線を投げた。
「......なに」
「いや?別段、理由がある訳ではない」
視線が合えば、無視も出来ない。
ルシアは仏頂面を晒しながら、声からも渋々であるのが滲み出る様子で問うた。
しかし、返ってきたのはより甘く綻んだ瞳孔を中央に納める一対の紺青と同じだけの甘さを見せるとても整った美貌である。
言葉に関しては何の参考にもならないので除外。
本来なら、こういった時の対応として無視からの放置を選択するルシアである。
面倒なことは見ない振りに限るのだ。
それが命の危険がある時ばかり発揮されないのに対して、そうでない時は割と発揮されていたりする。
だが、そこに加えて、自分の食事もそっちのけでそのまま頭を撫でられてはさすがのルシアもこのまま放置とはいかなかった。
「――貴方も!自分の食事を!したら、どう!!」
ルシアは思わず、叫ぶようにそう言った。
離せ、と言わんばかりの勢いである。
いや、だって、普通に耐えられなかったのだ。
その撫でる手があまりにも優しくて、そしてその顔があまりにも綻んでいて。
空気までもがそれに準じて。
ルシアは叫んだ後に顔を勢い良く王子の居ない方に背けた。
とてもじゃないが正面から凝視するには威力があり過ぎて。
何より、あの夜の一幕を思い出してしまって――。
そこまで考えて、ルシアはさっと頬を赤く染めた。
ルシアらしくない、見事に熟れた顔。
狼狽える様子も相まって、年頃の少女そのものだった。
それさえも王子は楽しんでいるようで、ルシアは面白くない。
けれど、それに物申すにはルシアの頭に過った光景があまりにも鮮明過ぎたのであった。




