677.眠り姫を待つ時間
※今回はカリストの視点となっております。
軽やかに、しかして徐々にと変わっていく明暗に気が付けば、思っていたよりもずっと周囲が彩度を持ち始めていることもまた、認識する。
ふと、改めて見直したその景色をそろそろ夜明けなのか、とただ事実を思うように何の感慨もなく、受け止める。
そして、何を思うでもなく、視界に納まる空を眺めた。
それが一等、その変化を見るのに分かりやすいものであったから。
この分ではすぐにその速度は増して、すっかり辺りは朝の顔となるだろう。
夜の帳に息を潜めていた動物も草木も目覚め始める。
もう、そんな時間になる。
ほんの先程まで真夜中のように暗い場所に居るような気さえ、していたのに随分と忙しないこと。
まぁ、それだけこちらも忙しない夜を過ごしたということだった。
とても、長く感じられもしたのだが。
あっという間に過ぎ行く時間に比べて、圧倒的に気ばかりが急いだ一晩だった。
戦場に居る時、――そして、その最中でルシアと引き離された時。
即ち、ルシアが遠く離れた場所で危険に立ち向かっていると、それだけを知って、傍に居られない時はいつだって、そうだった。
反対に彼女と居る時は比較的早く時は過ぎていた。
視線の先で幾人かが動いて回るのを見やる。
それも後処理に入っているのだろうとその動きから判断する。
これなら、日が昇り切る前にここを出発出来るだろう。
フォティアの準備もほぼ同時に終わりそうだ。
そんなテキパキと彼らが動く中でちら、と視界の端に終わったのだとやっと実感が湧いてきたのかふらふらと蹲ってしまったミアがそのまま休憩しているようにと言い渡されて、女騎士に付いてもらっているのが見えた。
その隣で同様に休憩を言い渡されたニカノールが立ったままで居るのも一緒に。
こちらは未だ興奮冷めやらぬのか、張った気が緩んでいないままでほっと潜めた息を吐く様子が窺えた。
きっと、怪我も戦いも慣れていないニカノールには劇薬のように効き過ぎて、気を昂らせたままにしてしまっているのだろう。
とはいえ、一眠りでもしてしまえば納まるとは思う。
まぁ、それにはせめてセルゲイの店まで移動してからの方が助かるので、ニカノールにはもう少しの間、辛抱してもらうことになるが。
当人は昂った気で今は疲れを疲れとして認識出来ていないだろうが、限界なのには違いない。
ほんの少しでも気が緩めば、場所など関係もなしにそのまま倒れるようにして眠りに就くだろう。
何処ぞの誰かの二の前である。
「......はぁ」
深くひっそりと、慎重とさえ言える様子でカリストはため息を吐き出した。
それは諦観と前途の困難が目に見えて、どっと押し寄せた疲れを無意識に身の内から追い出そうとした結果の行為であった。
そうして、カリストは自分の腕の中を見下ろす。
そこには我先にと気絶した何処ぞの誰か、であるルシアがしっかりと納まっていた。
凭れ掛かるようにして、意識を失ってしまったルシアをカリストがあの後、抱え上げたのである。
当人はそれにも一切、気付いて目を覚ます様子もなく、ただただぐっすりと眠り込んでいた。
これは暫く、起きないだろう。
ルシアが起きないとなれば、セルゲイの店まで行くのにも抱えていく必要がある。
人一人を抱えて、歩くというのは殊の外、大変なことだ。
しかし、正直に言って、カリストたちにとって、これは好都合なことであった。
それと言うのも、気絶するまで奔走したのは本当に、本当にいただけないけれども、言っても聞かないルシアに休息を取らせるという意味ではこのまま眠っていて欲しかったのだ。
頑張り続ける必要はないのだと、気を緩めて欲しかった。
「......」
カリストは手の小さな痺れに気付かない振りをしながら、片側に重心を多めにしっかりとルシアを抱え直す。
そして、余裕の出来た方の腕を離して、持ち上げ、見下ろして覗き込んだ時に目についたルシアの頬に張り付いていた銀糸の髪の毛を払ってやる。
そうしてやろう、と思うよりも前に自然と手が動いた結果のことだった。
触れるか、触れないかの弱さで撫でるようにすれば、その銀糸はいとも簡単に重力に従って、さらりとルシアの頬を流れ落ちた。
同時に額を覆っていた髪までが僅かに流れて、その下に隠れるようにしてあったルシアの顔がよく見えるようになった。
とても、綺麗な寝顔。
その静けさは元よりその整い方が人形と称されるだけあって、さらに無機質さを加速させる。
この際、土や泥の汚れなどは関係ない。
それは彼女を貶めるものには成り得ない。
でも、だからだろうか。
カリストは時折、ルシアの寝顔を見て、不安になることがあった。
それはあまりにも漠然としていて、説明出来たものじゃないけれど。
どうにも、そのまま消えてしまいそうで。
高潔さそのまま、人形のように物言わぬものに――。
無茶ばかりをするのも要因のようにも思う。
まるで、するりといつか、この手から滑り落ちていってしまいそうな。
だから、休ませてあげたいのだ、と言った傍から揺り起こしたいと思ったのも同じように。
そう、その心地を抱いたのは。
――今までにも何度も。
カリストは徐々に晴れやかになっていく空模様とは裏腹に自身の心境が鬱屈していくさまが手に取るように解った。
それは自分で自覚しなければ、隠せるものも隠せないから。
表情が顔に出づらいだけではなく、より自身でそう振る舞えるようにということを教わったのは大分、昔の話である。
カリストはもう一度、眠るルシアの頬に手を伸ばした。
ほとんど衝動のそれは自制が僅かに残っていたのか、柔らかい。
ルシアに触れながら、じっと見つめる。
起こす、つもりはないが。
しかし、ルシアは全く起きる気配を見せない。
余程、疲れ切っていたのだろう。
やはり、このまま寝かせてやらねば、と思う。
もしも、ルシアがまだ起きていたならば、起こしてしまったならば。
そんな腕の傷に負担がかかることを、と眉を顰めて、注意を投げかけ、自身の抱き上げるカリストに下ろせと交渉しただろうか。
いや、彼女のことだからしない訳がないか。
実際、ルシアが幾ら軽くとも傷の具合もあって、カリストは抱え上げる時にほんの少し息を詰まらせていた。
きっと、それも聞き咎められていたのなら。
ああ、だから怪我をした方の腕は差し出さないでと言ったのに、と言われたに違いない。
咎めるように細められた灰の瞳をこちらに差し向けて。
カリストが鬱屈とする時、それはいつもルシアが眠りに就いている時だった。
当のルシアは何も知らずに夢の中へ沈んでいる。
きっと、これからも知ることはない。
教えるつもりも、ない。
カリストはルシアを抱えて、周囲を行われている調査が終わるのを待つ。
ルシアのことに関してだけは譲らないカリストであるが故に側近たちもルシアの護衛たちもわざわざ割り振られた仕事を切り上げてまで腕に怪我を負う身でありながら、人一人を抱え続けるカリストに代わりを申し出にくる者は居ない。
フォティアのように報告次いでに申し出る者は居るが、それも大丈夫だと言えば、簡単に引き下がった。
ニカノールだけがあまり良くないんだけど、と不調を消し去るその力を重ねがけしていったのはルシアが気絶して、カリストが抱え上げたその後すぐのことである。
もう少しすれば、本格的に朝日が顔を覗かせて、眩しくなるだろう。
それまでにはせめて、セルゲイの店まで行っておきたいと思うのはルシアの眠りをその眩い光が邪魔せぬように、と。
カリストはほんの少しだけ身を後ろに退いて、木々の一つの傍へ寄る。
それは、まだ来ぬ陽光を避ける為の行為であった。
それはとてもじゃないが、気の休めるものじゃない。
ルシアは寝てるからね。
正直、途中で何を書いてるのか分からなくなりました。




