663.窮鼠、猫は(後編)
曲げない信念をへし折るのはとっても骨が折れる。
曲げられない意思を折るのも同様に。
ルシアと王子やイオンの討論も作戦会議も果ては小さな決め事だって、どちらもが譲れないとなれば、あまりの平行線に疲れて喉がガラガラになったとしても続いていた。
結局、納得しなければ首肯をしない性質の人たちなのだ。
ルシアも含めて。
けれども、いつまでもそのまま終わりのない話し合いをしている訳にもいかない。
結果として、最後の最後まで粘ることは止めないものの、その大体が提案者の勝利で終わることが多かったと言っておこう。
勿論、それが全面的に受け入れられているかと言われれば、そうでもないのは最早、暗黙の了解で頷いた分には基本的にそれに添う形で事を進めるが、端々や個人的に譲れないといったところは破綻しない程度に勝手に変えたりはよくあることだった。
例えば、ルシアが自分を囮にするというようなことを組み込んだ策戦であれば、折れた上で絶対に凶刃を辿り着かせないように奮闘する方が早くて楽だ、と折れたようで折れていない絶妙なバランスで事に当たることがイオンや王子を筆頭に彼らは非常に多かったのだ。
ルシアとて、方法や方向性こそ違うものの、似たようなことをやっているので一概に彼らを怒れない理由がそこにある。
なまじ、それで失敗せずに結果を捥ぎ取ってくるものだから余計に。
「イオン、ここは良いからクストの方へ行って!」
「......ああ、もう!分かりましたけど、お嬢!絶対に!坑道から一歩でも出ないでくださいね!!」
ルシアは大きく声を上げて、イオンに向かって、そう指示を出した。
普通の声でも聞こえる距離だ。
それでも、声を張り上げたのはその背を押す為である。
イオンは少しの逡巡を見せた。
けれど、すぐに周囲に目をやり、判断し、受け入れた。
ただし、再三の注意をせずにはいられないとばかりにルシアへ投げかけてから。
そうして、イオンは今までほとんど動かず坑道の門番と化していた場所から前へ踏み出した。
十数歩先のクストディオが戦うその場所へ向けて。
イオンが絶対に離れまいとした最終防衛ラインを離れたのは偏に王子たちが目前まで来ていたからだ。
王子とフォティアが居れば、防衛ラインが崩れることはない。
それがなければ、いくらルシアの指示であろうとイオンは無視を決め込んでいただろう。
聞こえてない振りにしてもお手の物で、無駄に種類の豊富な男であるので。
面と向かって、反論することも出来る男でもあるので。
そりゃあ、ルシアが五分で負ける訳である。
「う......」
「!ニカノールさ、っ」
戦況としては数の減り具合は残党狩りにほど近い。
けれども、それを感じさせないのは敵に鬼気迫ったような勢いがあるからだ。
最後まで気を抜けない相手であった。
そんな中で起こった出来事。
怒涛に過ぎたワンシーンのようにたった一瞬のその出来事。
それに至るにはまず、王子たちが数歩先までやってきたところでクストディオが代わりに飛び出したところから。
王子たちを追ってきた敵を、フォティアが勤めていた殿を代打で引き受けるといった行動だった。
クストディオはそれらを難なく熟し、そのまま再び戦場へ戻っていく。
戦力配置を考えての動きだった。
そして、王子たちが辿り着き、足を止めるといったところでルシアは先程の指示を出したのである。
ここまではあり種の規定路線。
いつも通りの合理的な指示に基づいたその行動。
こうして、イオンも駆け出す。
イオンの加勢は強力だ、そうしないうちにこれは終結する。
あと一人、二人......。
これもまた、大きな失態であった訳ではない。
強いて、言うならその次だろうか。
だが、仕方のなかったこととも言える。
だって、誰だってそれを予想なんてしていなかったのだから――。
ルシアはぱっと見送るようにイオンの背を追ってしまった瞳を目の前までやってきた王子に向けるた。
今朝に別れたばかりだというのにあまりにも濃いことばかりが起きたせいで久々にも思えてしまうその人に感慨を感じつつ、見上げて、そうして声をかけようと口を開きかけた時だった。
二人して、斜め後ろから上がった声に引き寄せられるように視線を向けた。
向けてしまったのだ。
――全ては、その瞬間だった。
折れないというのは厄介で骨が折れること。
そして、予期せぬ事態を招くもの。
自分たちがそうであるからこそ、折れないということの厄介さをよく知っていると言える。
その厄介さが時に予想だにしていない効力を発揮してとんでもない威力となることもまた、知っている。
そして、それがどれだけ優秀で慣れていて対処が迅速であろう、と圧倒的な力量さがあれど、折るには途轍もない尽力が必要だということも。
ルシアたちは知っていたのだ。
けれども。
「......危ない!!」
今回のこれは上で述べたそれとはまた少し違うものであったが、それを変えられないという部分は同じ。
何より、それ以外の選択肢は死と同義とでもいうような気迫を纏ったあちらの方がそういう意味で説得の可能性も皆無ということ。
見ていただけのルシアであるが、それ以外を選ぶ権利は彼ら自身にはないように思えたのだ。
逃げるという権利が、明らかな戦力差を前にして、焦りに顔をこわばらせながらも立ち向かってくる彼らには。
けれども、ルシアたちは所謂、身内側から上がった予期せぬ事態に一瞬、気を取られてしまった。
そして、それが致命傷、となる。
形振り構っていない鼠が、後先も考えずに突っ込んできた。
残りの全部が、である。
ルシアたちには不幸で相手側には非常に幸運なことに最初の予期せぬ事態とそれが噛み合ってしまった。
その上で迫りくるその数人の動きが連携しようとしてのようではなかったが、常に連携を主軸に戦う者でも吃驚の阿吽の呼吸で捌き切るには高難易度と化してしまったのだ。
一気に畳み掛けたその母数が多かったから成せたことだと、ルシアが後にそう判じたそれは単純な話、一対多故のどうしても補完出来ない部分を突かれたということ。
いくら、隙が出来たとは言っても数ミリ程度と言えるそれを縫って、イオンの作った最終防衛ラインを初めて、越した者が一人。
よりにもよって、その者の持つ刃が成すすべのない非戦闘員へと向く。
それを王子たちもルシアも許してしまったその一瞬のこと。
たった一瞬のうちに様々なことが噛み合ってしまったが故の悲劇。
だが、ルシアはゆっくりと流れる景色でそのさまを、フォティアが剣を握り締め、そちらに振り向いたのを、ミアが腰を浮かせてニカノールの前に身を乗り出したのも、見ていた。
身体が追い付かないまでも横目でそれらを全部、余すところなく。
だからこそ、今度は身体が追い付いて、ルシアは自分の上げた音も王子も置き去りに足を踏み出す。
それは不慮。
当のルシアでさえも思いがけない。
まぁ、考える暇があったとして、そうしないという保障はないけれど。
それでも、それは間違いなく反射で身体が動いてしまったその結果。
飛び出したルシアはやっと気付いて、けれど動けていないミアに覆い被さって。
来るであろう鋭く焼けるような、出来れば感じることがないに越したことはないあの痛みを覚悟して。
「――え」
はくり、と唇を震えさせたのはルシアとミア、果たしてどちらであっただろうか。
思わず、瞑った瞼を押し開いたルシアが見たもの。
それはミアを庇うように覆い被さった自分をさらに庇うように立ち塞がった王子の腕に深々と突き刺さる短剣であったのだった。




