64.冬の到来
「あー、寒...」
ルシアは王子宮の廊下を歩きながら、ぶるりと肩を揺らして呟いた。
窓から見える庭園は見事な雪化粧が施されていた。
そう、冬だ。
そして、この大陸の最北に位置するイストリアの冬と言えば、外に出れないほどの積雪である。
つまり、寒さも尋常じゃない訳で...。
「ルシア、これ使って」
「あら、よく持っていたわね。ありがとう、クストディオ」
ルシアは護衛として斜め後ろを付いて来ていた少年から羽織を差し出されて、そのまま肩にかけてもらう。
氷点下の気温はまだまだ寒かったが、それでも一枚あるのとないのでは大きく違う。
ルシアは素直に礼を少年に告げた。
現在、ルシアは王子の執務室へ向かっていた。
執務室に着けば、暖かいだろうから、と羽織る物も持たずに自室を出てきたルシアだったのだが、彼はちゃんと必要だと分かっていたようでルシア用の羽織を手に持ってきてくれていたらしい。
クストディオ。
彼は数か月前にルシアが引き取ったあのルシア暗殺未遂事件の真の黒幕であり、同じ生を何度も繰り返しているという数奇な人生を歩んできた元国王直属諜報部隊隊員の番号持ち、九番目、その人である。
クストディオというのは、イストリア王宮に居る番号持ちの三人のうち一人だけちゃんとした名前がないのを知って、ルシアが本人の了承を得て、授けた名前だ。
ルシアが病み上がりすぐさま交渉に交渉を重ね、ルシアと王子に危害を加えることが出来なくなる誓約の魔法をかけるということとその他諸々の条件付きではあるが、結果としてルシアの望んだままに彼はルシアの従者となった。
誓約の魔法というのはかけられる側に少しリスクがある上、かけられた人の身体にはある種の紋様が浮かぶものである。
そして、その紋様を持つ者は人々から忌み嫌われる。
それは普通、誓約の魔法をかけられるのはそれだけのことを仕出かした罪人だけだからである。
罪人の証とも呼ばれるそれは、それだけでも前科の証明となり得るものだ。
「......」
ルシアは彼の右腕を見る。
そこは服の袖と見覚えのあるバングルで隠されている。
しかし、ルシアはその下に数字の刻印を絡め取るように罪人の紋様が張り巡らされていることを知っている。
実はこの誓約の魔法は普通のものと違って、制限を最小限となるようにかなーりの無茶を言った代物となっていた。
それは彼が誓約などなくてももう、危害を加えてこないことをルシアは知っているし、何より彼との約束を守る上で邪魔になるからである。
ルシアとしてはそうしないうちに見かけだけはそのままに残りの制限も全て解除出来ないか、検討する予定だ。
「...何か?」
「いいえ、何もないわ。行きましょう」
ルシアの自身の腕を見る不躾なほどのじっとした視線にクストディオは首を傾げる。
ルシアはゆるりと首を横に振って、肩からずり落ちかけた羽織を引き上げてから再び廊下を歩き出したのだった。
ーーーーー
「......は...だ。それは――」
執務室へ着くと中から声が聞こえてきた。
王子の声と...もう一人はニキティウスのようだ。
「カリスト」
「――ルシアか。何かあったのか?」
ノックと共に扉を押し開いて、声をかけると王子たちは話を止め、ルシアに視線を向けた。
ルシアをそれを受けながらつかつかと王子の座る執務用の机へと近付く。
本来であれば、話し終えるのを待つべきなんだけど昔、それをやってルシアが廊下で草臥れていたのを見て以降、王子は話が長引きそうだと判断した場合は途中であっても声をかけろとルシアに言い聞かせたのだ。
長引きそうか否かの塩梅はそれなりに長い付き合いなのでほぼ勘によるところである。
多少、外れたところで気軽に待つように伝えるなり、何なり出来る間柄なので今までこれで困ったことはない。
「それといって急ぎの用という訳ではないのだけれどね。ああ、ニキティウス。話の途中だったでしょ、中断させてしまってごめんなさいね」
「いえ、大丈夫ですよー」
「それで、その用事は?」
ルシアへと王子の前を空けたニキティウスはにこにこという言葉がとても似合う笑顔を浮かべて答えた。
王子は机の上の書類を片しながら、ルシアが尋ねてきた理由の内容を再度、尋ねる。
「差し入れを、持ってきたの。余暇があるのであれば一緒にティータイムはいかが?」
「分かった。ニキティウス」
「はいはーい、了解しましたー」
既に見当は付いていたのだろう、片していた書類を纏めて、机の引き出しに放り込んだ後、即座に立ち上がった王子にニキティウスは執務室の接客用のテーブルを整え始める。
ルシアは自分で持っていた籠とクストディオに運ばせていたお茶セットを一緒に準備し始める。
淹れるお茶はルシアと王子の愛用カモミールティーだ。
「変わった形だな、またルシアが作ったのか?」
「ええ、フォンダンショコラというの。...どう?」
「...ああ、美味しい」
昔、第三王子宮にてレジェス王子の病人食を一緒に作った料理人の一人が今は第一王子宮の厨房に居る為、ルシアは今もよく厨房に出入りしている。
引き抜いたのだ。
勿論、レジェス王子の許可は取っている。
今回もまた、その彼に手伝ってもらっているので味は保証するよ!
ルシアは時々、自分の気分転換も兼ねてこんな風に何度か前世のスイーツを作っては王子に食べさせていた。
そのお陰か、王子はすっかりルシアと変わらないくらいに甘いものを口にする。
「ねぇ、ニキティウスは何の報告に?」
カモミールティーを一口、喉を通してから尋ねた。
聞かれて困る内容であれば、そう言われるので遠慮なく聞く癖がルシアにはついていた。
「主にアルクスの近況についてだな」
「...アルクス?アルクスで何かあったの」
案の定、咎めることもなく、ルシアの問いかけに答えた王子にルシアは目を瞬かせた。
砦の国アルクス。
大陸の西方諸国の最も東に位置し、国境の半分をスラングへ続く荒野と接した元は騎士が駐屯する城砦が始まりだった国。
イストリアとしても国境を接した隣国であるアルクスはある意味、スラングとの緩衝材であり、それ故に彼の国の状況は重要なものである。
「ああ。アルクスでは今季、例年以上の積雪と冷え込みを確認。既にアルクスの中央から北は凍害が発生しているらしい」
凍害だって?
王子の言葉にルシアは目を見開いた。
確かに今年の冬は寒いかもしれない。
しかし、王宮内から出ないルシアにはどれほどの違いがあったか、気付くことはなかった。
けれど、少なくとも隣国のアルクスでは凍害の被害は発生するくらいには厳冬だったらしい。
アルクスの気候はイストリアとそう違いはない。
けれど、イストリアほどの厳しい冬になることは珍しいのでイストリアほどはその対応に明るくないし、何より元はイストリアやタクリード、今は無き亡国の一地方でしかなかったのがアルクスである。
防衛の為の場所であったこともあり、あまり豊かな土地、そして国とは言えない。
「それは...死人が出るでしょうね」
凍害になった場合、食糧の確保も難しい。
そうなれば最早、飢饉だ。
そうして、大量の死人が出れば、処理し切れないその亡骸から流行り病も蔓延する。
本来であれば、被害が自国に伸びない限りは他国のことと割り切るものだけど...。
「ルシア?...何か、気付いたのか?」
「え?――いいえ、大したことじゃないの」
そう口では言いながらもルシアは思案深げに手元のフォンダンショコラとフォークに視線を落とすのだった。
国内の騒動が片付いた矢先。
今度は隣国にて、不穏な風が吹き始めたのをルシアは敏感に感じ取っていたのであった。




