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657.坑道から外へ


坑道も既に三分の一は歩いたか。

体感の話である、実際はどうか知らない。

イオンもあれ以降、それらを示唆する言葉を吐いちゃいない。

再び、沈黙だけが降りて、あるのは三人が鳴らす(くつ)の地面を叩く音だけ。

照らすは鉱石の淡い光だけ。


「――外はどうなっているのでしょうか」


この沈黙を再び破る次の会話の口火を切ったのは他でもないミアだった。

今の今まで聞き手に徹するか、合いの手を入れるかのように途中でどうしても反応せずにはいられないと疑問を投げるかであったのに、(みずか)ら口を開いて。

ルシアもおや、と思って、片眉を持ち上げ、視線を向ける。

特別、重い空気があった訳ではないけれど、それでも全くの静寂を乱すことはとても勇気の要ることだ。


今までのミアならやらないことで、どうしてもそうしたいとしたならばそれに至るまでに散々悩んでいたことだろう。

その間のことは基本的に駄々洩れだから、気配だけでもよく分かる。

ましてや、背後でミアの姿をルシアは捉えているのだから、ミアが何かを言いたげにしていることなど、最初の数秒ほどで見抜いていたことだろう。

けれど、ミアはその優柔不断を見せなかった。

そこにルシアは良い意味で予想を裏切られて、眉を動かしたのである。


だからといって、ミアが悩んでいなかったという訳ではないだろう。

静かに悩んで、くよくよはせずに決意して、いつもよりずっと短い時間で覚悟も決めて、口を開いた。

証拠というほどでもないが、そのミアの声は震えもなければ、しどろもどろと余分な単語も言い(よど)みもなかった。

ルシアがただ正面へと向けていた視線をミアに合わせれば、ミアも前を向いて歩きながも顔を半分こちらに向けて、ルシアの反応を(うかが)っていた。

それは問いの答えを求める顔である。

意見が欲しいとする真っ直ぐな眼差しである。

決して、(すが)るような色ではない。


「...さぁ、現時点では分からない、としか。けれど、戦闘に途中参戦の可能性はやっぱり高いわ。その時は――」


ルシアは視線に促されるように口を開いた。

そして、あくまでも自分の予想出来る範囲の考察を語ろうとして、はた、と口を閉ざす。

それはこのまま言って良いものなのか、と一瞬、そんな考えが(よぎ)ったからである。

このまま、ミアに説明して良いものなのか、と。


勿論、策戦を立てて、実行するとなった時、余計な動きをされて、それが致命傷にならないようにルシアは相手が誰だろうと一通りは話を通す。

それは非戦闘員で無垢な令嬢であるミアでも同じことで、ここに来るまでにも何度も行ってきたことである。

本来なら、こんなところで躊躇(ためら)うなんて何を今更、という場面。

それでも、ルシアが躊躇ってしまったのは完全に主導権がミアにあったから。

ルシアが語って聞かせるのではなく、ミアが促したから出た意見だったから。

これは大きな違いだ。

ルシアはぱちりと目を(またた)かせる。

真っ直ぐ、今にも呑まれそうな薄暗がりでも(きら)びやかな蜂蜜色がそこに――。


「...えと、その時は、何でしょう?」


「......ふ」


「え、あの、ルシアさん...?」


だが、しかし。

次の瞬間にきょとんと瞬いたそれは甘くてまん丸な飴玉で。

蜂蜜味の飴玉で。

いつものミア、無垢な令嬢の愛らしい乙女。

やや下がり気味の眉をして、首を(かし)げて、不安そうに。

ルシアは何だか、無性に笑いが込み上げてきて、ほんの少し空気の抜けた音を唇から零れさせたのだった。


だって、あんなにはっとさせられたのに。

今はもう、その面影一つだってない。

負けない迫力がそこにあったというのに。

それを見た途端に戻ってしまうなんて、どうして笑わずに居られようか。

それでも、ミアはここに来てさらに肝が据わり始めたのは確からしい。

今はいっそ、気弱そうな雰囲気を(まと)っているけども。

この子も十分に(したた)かな子だったのだ。

もしかすると、王宮でもやっていけるくらいには。


「ああ、ごめんなさいね。――その時は極力、邪魔はしないように慎重に動く必要があるから、目の前でどんな光景が繰り広げられようとおち落ち着いて深呼吸。決して、飛び出さないこと」


ルシアは先程、(つぐ)んだ言葉を吐き出した。

いつもならもっと簡素、細かい部分の理論的なそれをミアへ対して語ることはないのに、あえてイオンたちにするような口振りで。

これはルシアなりの賞賛で評価で――試験。

挑むような視線を突き付けてやる。

見る見るうちにまたも双眸(そうぼう)揺蕩(たゆた)う色を変化させたミアにルシアは満足そうに笑みを溢したのであった。



ーーーーー


「――そうね。ああ、でも、本当に戦闘の最中であったなら、ミアさんは何があっても全てが終わる最後まで決して坑道から出ては駄目よ」


「......何があっても」


「そう。何があっても、よ」


策戦会議さながらに会話がどんどんと進められていく。

その速度は足取りと同じ。

ルシアが紡ぐその言葉の羅列をミアが必至に噛み砕いていく、そんな構図が数分のうちに出来上がっていた。


いくら、肝が据わり始めて、成長したな、と思わせたとはいえ、ルシアとは文字通り年季が違う。

ルシアとて、場合によっては後ろで様子を見守るように自主性を重んじることがあるけれど、今はその余裕を見せている時間がないと理解しているから、あっさりと自分の流れに作り変えて、先へ先へと会話を前に、と進めていく。

けれど、今までとはまた違う光景では、ある。


「......どうしてですか?」


「守れなくなるから」


何度も言うが、守るにしても守られる側にもそれ相応の動きをしてもらわなければ守られるものも守れないとはよく言った話だ。

だから、ルシアは端的に不服さが表情にほんの少し滲み出ているミアにその言葉を叩き付ける。

咄嗟に飛び出さないこと。

それが一番の迷惑行為。

それを伝え、忠告する。

そんな意図が多大に含まれた言葉である。


「あ、勿論、お嬢も一緒に待機ですからね」


ミアがそれにぎこちなくも、(うなず)こうとする。

その心境はやはり納得がいっていないのか、それとも容赦のない言葉に気圧されたか。

だが、それよりも前に挟み込まれた声があった。

いやに響いたその声は二人の視線をそちらに向けさせるには十分で、ルシアはミアを通り越して先頭を、言うだけ言って何処までも振り向かないイオンの背を捉える。


「イオン」


「何ですか、当たり前でしょ。自分のことを棚に上げないでしっかり、厳守してくださいよ。他でもない、お嬢が言ったんだから」


ルシアは呼びかけた。

意味としたものがあった訳ではない。

しかし、少しだけ咎めるような響きが入ってしまっていたのは気のせいではないのかもしれない。

だが、それで(ひる)むイオンなら、それはイオンではないのである。

何ともまぁ、いけしゃあしゃあと言い切ってしまう。

ぐうの音も出ないような正論で、より嫌味たらしいと思うのはルシアもまた、それを正論と認めているからか。

だからこそ、痛いのか。

正しい言葉は痛いのだ、固いから。


「...私だって、無暗に飛び出すような愚行はしないわ。迷惑をかけたい訳でもないし、そのせいで誰かに怪我をして欲しい訳でもないもの」


「......!」


ほんのちょっとの沈黙。

そして、その後にルシアはほう、と息を吐いた。

諦念混じりにも聞こえるそれはそんな当たり前のことを念押しするように言わなくても、という風でもあり、それを言ったところで信用度は変わらないのだろう、という風でもあり、お決まりの流れだ、ということでもあった。

けれど、だからこそルシアはわざわざ口に出して、そう宣言する。

ルシアなりのけじめである。

絶対に守る為、ではなく、破ったとしてもその非を全面的に認める為でもあるのだ、それは。


まぁ、それを面と向かって言ったことはないけれど、イオンを筆頭に薄々気付いているだろうな、とも思っている。

実は追求されないことを言いことにルシアは素知らぬ振りを通しているのである。

案の定、イオンは暫く、ルシアの様子を窺っている様子であった。

けれど結局、そうですか、とだけ言って、締め括る。

ミアだけがはっと目が覚めたかのように目を見張っている。

理由はきっと、ルシアの言ったその言葉に無自覚であったことに気付かされた気持ちになっているのだろうと思う。

自分勝手が周りに被害を及ぼす、というそのことを。

そうして、より気持ちを引き締めるように拳を握り締める。

今回はその方面でもこの宣言は役に立ったようだ。


「......ああ、そろそろね」


数分後、その分の距離を歩いたところでルシアがそう呟きを落とした。

最後尾であったというのに、夜目も人並みほどしか利かないというのに、ミアよりもイオンよりも早く、ルシアはそう――。

そして、その言葉通りに前方には外らしき景色がぽつりと岩肌の壁に()り貫かれて、ルシアたちの前に現れたのであった。

――彼の、厄介な魔法はついぞ、ルシアたちの前にその姿を現すことはなかったのだった。


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