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649.吞み込まれたそれらは(前編)


「......これ、少なくとも目を覚ますのは明日以降でしょうね」


一つの息を吐いた後にルシアはさらりとニカノールの(ひたい)を撫ぜてからそう言った。

視線はすうすうと眠りに就いているニカノールだ。

無為な時間はもう必要ない、とばかりにイオンから未練一つない様子で視線を逸らして、きっと今、優先すべきはそれじゃないと切り替えたのだろう。

ルシアが触れても睫毛(まつげ)すら震わせないニカノールは完全に起きる気配を見せない。

昏倒、気絶、それに近い状態の彼は泥のように眠っている。


「そう、なんですか...?」


「ええ、見ての通り結果としてニカノールは治ったわ。私たちは素人(しろうと)だから過信は出来ないけれど、もう命の別状はない、と見て良い。でも、だからと言って安静にしなくても良い、ということではないでしょう?自然な治し方をした訳でもないのだし、ニカノールの体力も元々、もう尽きてしまっているでしょう。それらを加味して、明日以降」


ルシアの呟きにつられたのはミアだ。

ミアはそれを聞いて、ニカノールの顔を覗き込みながら、ぱしりと(またた)いてそうルシアへ問い返した。

ルシアはそれに淡々と答える。

さらにミアの心境を軽くさせるだろう言葉を付け足して、ご丁寧に。


今のミアが多少の余裕を持っていられているのはそのまま、明らかに完治したニカノールを、その奇跡を見たからだ。

その蜂蜜の瞳に浮かべていた涙はその際の驚きと共に零れ落ちてしまって、ここにはない。

痕にはなっているし、尋ねた声も多少、カラカラしてしまっているし、振り乱した髪は当に結び目は(ほど)けて、(ほお)に貼り付いたりもしている。

けれども、シャキッと立ち上がることは出来るだろう。

だから、ルシアはそれを確かなものとする為にニカノールの怪我による危機は去ったということを先に告げながら、その容体を説明したのだ。

きっと、治ったのだとは思っても目覚めないことに少しの不安は抱いていたはずだから。


ニカノールが目覚めないのは主に疲労によるものだと言える。

正直な話、もしもニカノールが起きたなら、重傷人だったのを忘れたように行動しただろうからルシアとしては眠ってもらったままの方が何かと良かった。

なまじ、完治している為にどっと圧し掛かる疲労感は無視したに違いないので。

そのくらいなら、このまま全てが終わるまで寝ていてもらった方が良い。

疲労だって馬鹿には出来ないのだ。


ルシアはミアに素人、と言ったけれど。

素人には違いないけれど。

それでも、一定の知識は元より独学で、その後はエグランティーヌを筆頭としたゲリールの民たちに専門ほどにないにしろ教えを乞うている。

その目による診断はそこまで大きく外れはしない。

ただ、多少の誤差は玄人(くろうと)に比べてずっとあるのでニカノールがもっと早く目を覚ます可能性もある。

けれど、場合によっては二、三日と延びる可能性だって大いにある。

というよりも、その可能性が高いからこその明日以降、とルシアは告げたのだけれど。


「――俺が運びます。手が塞がってしまうのは痛いですけどね、お嬢もブエンディア嬢も運べないでしょうから」


「ええ、お願い」


次に声を上げたのはイオンだった。

ルシアがミアの問いに返答をしているのをただ黙して待っているようだったが、こちらもまた、切り替えたのだろう。

いつも通りの声音に表情、輝きを増した瞳はそのままだけれど、あの時に感じた異様さはない。

ルシアはイオンの提案に二つ返事で(うなず)いた。

それ以外に有効と言える手段がなかったからである。


確かに勝手に無茶をされるよりは眠っていてもらって助かったけれど、イオンの手が塞がるのはちょっとだけ困りものではあった。

唯一の戦闘員なのだ、この場においては。

でもまぁ、本当に危険な場合は気配を読み取った時点でイオンはニカノールを下ろして、ルシアたちに託すだろうからそれほどの心配はないだろう。

少なくとも、イオンのその索敵能力の高さはルシアの買っているところでもあるので。


「――貴方から見て、ニカノールは?」


「ああ、お嬢の見立て通りかと。もう一つの方も大丈夫です、心配ありません」


「そう」


ニカノールを背負おうと腰を上げたイオンにルシアは問いかける。

普通に考えれば、ルシアの下した診断についての良し悪しを聞いているように思う。

実際にミアはそう受け取った。

けれど、イオンは正確に意味を汲み取り、どちらに対しても返答を返した。

ルシアは静かに頷く。

ミアだけがその妙な返答に疑問符を浮かべることとなったが、ルシアは曖昧に笑って、誤魔化したのだった。


そう、ルシアがイオンに問うたもう一つは竜玉を取り込んだことによるニカノールへの影響である。

少なくとも、イオンには自分の持っていない知識が何かしらあると踏んでのこと。

わざわざ言わなかったのはミアを不安にさせるようなことをしたくなかったからだ。

どちらにしろ、イオンから返ってくる返答は決まっていたが、得体の知れない何かが影響している可能性そのものを報せる必要はないだろうと判断した。


「――さて。じゃあ...」


「あ」


イオンがニカノールを背負って、立ち上がる。

その補助をしていたルシアも必然的に立ち上がって、ミアもまた、立ち上がる。

今にも移動し始めそうな雰囲気だった。

よっと、という掛け声でイオンがニカノールを背負い直したのを見届けて、ルシアはそう促そうとした。

けれど、それはイオンが唐突に上げた声に(さえぎ)られた。


ルシアは訝しげにイオンを見上げる。

イオンはその視線にへらりと眉を下げて、頬を掻く。

さらにルシアが視線を鋭くさせて無言の圧と催促を重ねれば、イオンは言いづらそうに口を開く。

けれど、それは何処か神妙さはなく、子供がばつ悪そうにしているようで、何処か場違いであった。


だって、ニカノールの怪我による命の危険は去ったけれど。

それは確かなのだけれど。

危機が全て去ったとは言っていないのだ。

(いま)だに敵が何処に居るか分からない、そんな状況の中なのだ。

重大な何かに気付いたのかもしれない、それなのに雰囲気が(ともな)わないイオンにルシアが怪訝な目を向けるのは当然だった。

そして、イオンが溢した言葉にルシアは盛大に脱力することとなる。


「あー、あの竜玉のことで。使ってしまったんで今回の竜玉入手の件は失敗ってことになるんですが...」


「......そんなこと」


「いや、こんな場所まで探しに来たんだからそんなことじゃないでしょ」


申し訳なさそうに告げられたそれにルシアは目を(すが)めた。

ついつい、呆れたような声音で本音を溢してしまう。

イオンが反論しているが、ルシアにとってはそんなこと、だ。


「別に、それは仕方がないわ。優先順位はいつだって人命なのだから。私たちが竜玉を探していたのはそう交換条件で頼まれたからでまた探せば良いこと。先に使えば消えると知っていても私は止めなかったし、即実行させていたでしょう。もし、あの竜玉が唯一無二だったとしても後悔はないもの」


「んん、お嬢ならそう言うだろうとは思いましたけどね。でも、使ったのは俺なんで、思うところがあるじゃないですか」


「あら、誰も貴方を責めないわよ」


ルシアは朗々と語る。

その間もイオンに向ける視線は冷たい。

気分としては知ってて言っているだろう、というところだからだ。

実際、ルシアの言い分を聞き終えたイオンは分かっていたとばかりに弁明した。

もうどうでも良くなったルシアはにべもなく、ばっさりとそれを切ったのだった。


「まぁ、お嬢に掛かれば物がなくとも交渉するぐらいやって退()けるでしょうね」


「買い被り」


「お嬢に対する等身大の評価でしょ」


もう良いとばかりにルシアは一歩を踏み出した。

向かうは洞窟の方である。

その理由を誰も聞かない。

けれども、イオンはあっさりとそれに並んで一歩を踏み出した。

人一人を背負っているとは思えない軽やかさである。

さらにからかうような言葉を溢し、ルシアはそれもばっさりと一言で返した。

その際に呆然とそのやりとりを見ていたミアに声をかけることも忘れない。

ミアは慌てて、後を追うように足を動かす。

動けない子だとは思っていない。


「――そういえば」


「?何ですか、お嬢」


二歩目を踏み出したところでルシアはふいに思い出したことを求めて、イオンを見上げた。

意味深な呟きと共に見上げられたイオンは首を(かし)げる。

ルシアはそれにええ、ちょっとと答え、本題に入る。

そういえば、竜玉と同じように輝いたある存在を、それを持っているだろうイオンに向けて。


「あの紫水晶は?」


「あー、ええと、そうですね。あれ、ですね」


「何よ、歯切れの悪い」


端的な言葉は読み取り間違いを起こさせない。

それは確かに難しい質問という訳ではなかった。

けれど、聞いた途端にイオンは視線を逸らし、泳がし、言い(よど)む。

ルシアはその様子に片方の眉を持ち上げる。

イオンはさらに(うな)った。

だが、その程度ではルシアは諦めない。

ルシアの視線がイオンに刺さる。

そうして、やっとイオンから滑り落ちた言葉にルシアはミアの衝撃を受けたような声を聞きながら、盛大なため息を吐いて、額を押さえたのであった。


結局、ミッション失敗なんだよなぁ、と。

ということで、次の任務は外に出ること。

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