62.事件の終幕
※今回は前半がルシアの視点、後半がカリストの視点となっております。
「――ルシア!」
「...只今、戻りましたわ。カリスト様」
三人と共に離れへと辿り着けば、いち早く気付いた王子が駆け寄ってくる。
ノーチェはすっと前に手を差し出した王子へルシアを渡し、動けないルシアは止めることも出来ずに王子に抱えられることとなった。
「ノーチェ、ここまで運んでくれてありがとう。オスカル、ドレス、助かりました。」
「別にこの程度。」
「いえ、王子妃様をいつまでも濡れ鼠にはしておけませんから。」
ルシアの言葉にノーチェは頷いて、オスカルも返事を返した。
そう、実は移動前にルシアのずぶ濡れのドレスをオスカルが風の魔法を応用して乾かしてくれたのである。
お陰でルシアを気遣いながらも出来る範囲の猛スピードで駆けるノーチェの腕の中で寒さに震えることはなかった。
「カリスト様、申し訳ございません。また、勝手をしました」
「...そうだな。喜べ、後でちゃんと話し合いだ」
「――はい。...ああ、それと彼、ノベナはわたくしの預かりとなりましたの。誰にも勝手に裁くことは出来ません、とご了承ください」
はい、の一言を口にするまでにえらく長い間があったものの、すぐに切り替えて、ルシアは王子を見据えた。
貴方でさえも、と声にならずとも訴えるルシアに王子は身内ならば分かる程度の嫌そうな顔をしてからちらり、とノベナを一瞥したものの、それ以上は何も言わなかった。
「...後で怪我の具合も見るからな」
「ええ、分かりました。...ふふ、ちょっと!それ、擽ったいわ」
王子は両手が塞がっているからか、手の代わりに自分の頬でルシアの頬に押し付けて、撫ぜた。
それが殊の外、擽ったくてルシアは顔を逸らすが、力が入らないが為に避け切れておらず、擽ったさに思わずといったようなころころとした笑い声を上げた。
それにつられてか、王子もまた微かに口角を上げる。
「...殿下、例の伯爵は既に捕縛なされましたか」
「ああ。その他の共犯者も既に捕らえている」
殺伐としていた空気が別物に変わりそうだったところを引き戻すようにオスカルが王子にそう尋ねた。
王子もいつの間にか、普段通りに戻っていて、すぐに受け答えているのをルシアは眺めていた。
心無しか、オスカルが面喰ってような顔をしていたのは気のせいだろうか。
「そうだ、ルシア。離宮で倒れていたイオンはこちらで保護した」
「それはありがとうございます。後でイオンにも謝らなくては」
「ああ、是非ともそうしてやれ」
ルシアの言葉を聞いて、呆れを含んだ声で王子は言う。
まぁ、今回は少なからず怪我もしているはずだ、素直に謝ろう。
「では、後処理は我々にお任せください。殿下、可能であればノーチェとニキティウスをお借りしたいのですが」
「ああ、任せよう。ニキティウスは既に後処理にあたっている。ノーチェ、良いか」
「はい、承知致しました」
王子へ申し出たオスカルの願いに王子は頷いて、ノーチェとニキティウスを貸し出す。
どうやら、これで終わったらしい。
ルシアとしてもノベナのことを王子に伝えることが出来たので、後はもう、何もない。
...今日は久々に本気で走ったり、泳いだりして疲れた。
「さて。取り敢えず、離宮へ戻るか。...ルシア?」
「...え?ああ、はい。ええ、そう、...ですね。戻りましょう...」
王子が動けないルシアが居るからだろう、馬車の手配を指示しているのをルシアは先程と同様にぼうっと眺めていた。
後処理はあるけれど、完全に終わったと分かって張っていた気が抜けたからか、ルシアは身体中のどっとした疲労を感じていたのだ。
先程まではただ動かないと思っていた身体が非常に重い。
それに伴って、ここに来るまでは意識を保ったまま伏せることも出来ていた瞼がルシアの意思と反して落ちてくる。
思考回路がゆるりと停止し始めているのをまるで他人事のようにルシアは思い浮かべた。
「...そのまま寝ていろ。説教は起きるまで待ってやるから」
「...ええ。では、そうします。わたくしのこと、よろしくお願い致しますね...」
「ああ、分かった。おやすみ」
「ええ、おやすみなさい...」
ルシアはくたりと王子の肩口に頭を預けて、本格的に寝る態勢に入る。
瞼を閉じる瞬間にルシアは目を真ん丸にしたノベナが見た。
...何だ、その惚けた顔は。
一体、いつからそんな顔してたんだ。
ルシアは少し気したものの、彼のことも王子に伝えている分、自分が起きるまで悪い扱いはされないだろう、とやるべきことは全て終わらせたと考えて、後は起きてからだ、と急激に襲い掛かる睡魔に身を寝る任せ、眠ることにしたのだった。
ーーーーー
「......」
カリストは眠ったルシアを起こさないように慎重な動きで彼女の額に己れの額を擦り合わせる。
既に発熱が始まっているようで随分と熱い。
抱えている身体の方が冷え切っている分、よりそう感じられた。
また、随分と無茶をしたようだ。
ドレスも泥だらけで髪だってぼさぼさ。
裾から覗く手足には無数の擦り傷や打撲傷が見受けられる。
オスカルの言葉通りであるのなら、この上でずぶ濡れであったらしいこの少女。
その姿を想像して、カリストはとても深いため息を吐いた。
この少女が無茶をするのは今に始まったことではないし、無茶するなと言う方が難しい性質だということも既によく知っている。
だが、その度に振り回されて心配させられてはいい迷惑だ。
だからといって、気にかけないようにと無視するのも難しい。
出逢って最初にあった誘拐事件を始まりとして、この4年間にカリストはそんな経験を既に何度もしていた。
毎度、これではため息も吐きたくなるのも仕方ないだろう。
「...ノベナ、と言ったか」
「!――はい、殿下」
ちら、とカリストが視線を向けて声をかければノベナはさっと跪き、頭を垂れる。
カリストはそれをすっと見下ろした。
「...ルシアが手出し無用とするならば、彼女が起きるまで身柄を預かるだけとしよう。とはいえ、暫くは軟禁状態となるだろうが」
「...承知しています」
ルシアは熱を出しているから、この分だと彼の処遇についての話し合いは数日の休止が強いられるだろう。
しかしその間、いくら手出し無用とルシアが宣言したとて、ノベナを野放しには出来ない。
「お前はルシアに感謝した方が良い」
「!!」
カリストの言葉に地を見つめていたノベナは思わずといったように頭を上げる。
その顔に浮かぶのは驚き、いや驚愕だった。
何をそれほど驚くことがあるのだろう。
ルシアがああも庇い立てるような言い回しをするということはこの少年が味方ではなく、敵としてこの場に居たのだろうと容易に推測出来る。
であれば、本来は罪人として捕らえられているはずだ。
それをルシアが少しでも便宜を図るように動いたからこそ、現在、拘束されずにあるというのに。
カリストはもう一度、抱えているルシアに目を落として、その首に締めたような後が痛々しく残っているのを見止めて、すっと目を細めた。
そこに宿るのは一体、どんな感情だったのか、語らぬカリストに誰も分からない。
「殿下、馬車の用意が出来ました」
「分かった」
カリストは呼びに来たピオにそれだけを答えて、馬車へと向かったのだった。
腕の中のルシアを大事そうに、丁寧に抱えて。
こうして、お茶会の毒殺未遂からなるルシアを狙った暗殺事件は幕を閉じたのだった。
そうして、事後処理の報告を含めた今件の全容をルシアが聞き、そして延期されていたノベナの処遇の話し合いとカリストによる説教と、という病み上がりながらに忙しく動かねばならないのはまた五日ほど後のことである。




