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633.ピンチは好機に(前編)


「ル、ルシアさん...っ」


「ええ、分かっているわ」


どうしよう、とそんな言葉が今にも聞こえてきそうな頼りない声が真横から向けられるのをルシアはこくんと(うなず)いて、事もなげに返事をした。

ミアが不安がるのも分かる、分かるけれど、今は今こそはしゃんとして、と言外に伝えるような優しい厳しさだった。

そう、確かに顔を曇らせてしまうのはルシアにとってもとても理解出来る心情だった。

けれども、それを隠すように顔を引き締めているのは何が起こっても初動だけは出遅れることのないように、だ。

どうやったって、自分たちでは何も出来ないかもしれないが、それでも最善を尽くすつもりだから、だ。

だから、目前の状況が凄まじく最悪であろうとルシアは目を逸らさない。


現状はそれはもう、最悪と言って良いものだった。

理由は追手がついに自分たちの居るこの空間まで辿り着いてしまったからである。

ルシアたちの入ってきたあの洞穴を抜けて、この場所まで。

よりにもよって、このタイミングで。

番人たちを交戦するその最中という状況で彼の敵たちがやって来てしまったのである。


まさしく第三勢力、しかもルシアたちとは明確な敵対関係にある者たちの乱入。

それ自体を考えなかった訳ではないけれど、最悪の想定の中でも最も下層と言って良いもので瞬時に悪態を吐き、吐き捨てたくなるほどの展開であった。

いや正直、ここまでくれば不運以上にある意味でいっそ奇跡的だ。

あんまりに色々な最悪が重なり過ぎて、滅多なことではない、と感嘆でも吐けば良いだろうか。

因みにそれらの登場で目測を誤り、というよりもその一瞬を突くことの出来る力量を持っていたらしい番人の牙を無理やり避けて、奇しくも前回同様の掠り傷を負ってしまったニカノールは取り(つくろ)うのも億劫という様子で般若(はんにゃ)の如き顔で舌打ちを打っていた。

それこそ、今すぐにでも殴り飛ばしてやりたい、と言いたげな眼差(まなざ)しである、怪我までしたのだから、致し方なし。


番人たちの牙が固い鉱石で出来ており、噛み付かれた日には骨すらも粉砕されてしまいそうな威力を見せていた。

ニカノールは早い段階でそれに気付いて、上手くナイフを砕かれないように奮闘していた。

だから今回、この一撃を防ぎ切れなかったことに肝を冷やしたのだけれども、ニカノールが咄嗟に身を捻って()ける選択を取ったが故に毒がある訳でもなし、掠り傷では致命傷にはならないものであったことから一先ずはその不幸中の幸いにルシアはそれに気を取られるのを止めた。

そうして、状況をもっと正確に把握することに専念する。

戦場での切り替えは情報と同じだけ何より大事だ。


このドーム型の開けた空間にして、それぞれの立ち位置は坑道へと繋がっているだろう正面入り口洞窟側にルシアたち、洞穴から入ってきたばかりの追手たちはその正反対、その中央に番人たちが陣取っている。

ルシアたちの洞窟へと向かう進路を取る策戦が奇しくも敵に挟まれる状況を回避したらしい。

これもまた、不幸中の幸いだった。

そういう意味ではまだ本当の最悪ではないのだと知る。

そして、それは身を奮い立たせる動力となる。

勿論、本当に最悪であったとしてもルシアは不屈の精神という名の諦めの悪さで最後まで足掻(あが)いていただろうけれど。


まぁ、それはそうとしてあの追手たちは番人たちを越えねば、ルシアたちの元へは来れない。

そして番人たちは乱入であれど、侵入者全てにその牙を剥くらしく、有り(がた)いことに既に半分は敵の方へと身体を反転させていたこともあり、ルシアはやっぱり過信はしないようにしながらも事態の変化に鋭くも笑う。

そう、これはピンチであって、好機だった。

第三勢力、それも明確な敵対者。

それだけを聞けばこの上なく、頭の痛い話だが、事の運びとしては好転と言っても良い。

少なくとも、ルシアたちにとっては。

この騒動に乗じることが出来れば、若しくは。

ピンチこそ最大の、その言葉をまさに体現するような状況である。

利用せずして何とする。


「ミアさん、今のうちに洞窟まで一気に下がるわ。ニカも」


「!はい、分かりました!!」


「りょーかい。殿は任せて」


瞬時に立てた次にすべき行動を手短にルシアは指示として出す。

簡潔で分かりやすいそれに、そうする理由を何処まで読み解けているのかは置いておいて、ルシア陣営二人は素直に頷いた。

その点においてはつくづく面倒のない二人である。

スムーズで助かった。

視界の端では既に番人の何匹かに追手たちが襲われて、慌てて剣を抜くさまが見て取れた。

タイミングとしても最も最良。


すぐさま、ルシアはミアの手を引き、ぐんぐんと洞窟へと向かって走り出す。

こういう時は後ろを気にしてはいけない。

それだけ速度が落ちるからだ。

速度が落ちれば、それだけ背後の殿を務めるというニカノールの負担が大きくなる。

だから、速度重視で駆け抜ける。


ミアだけが少し不安そうだが、その心配も余所に半分になった敵相手に逃走優先ともなれば、ニカノールも難なく切り抜けられるくらいには実力があるし、この襲撃の一件で上位互換を(こな)してきた為に不格好ながらも出来るようになっている。

正直、鍛冶師に必要か、と言われれば首を(かし)げてしまうが、嬉しい誤算としておいても良いだろう。

何より、このままあのセルゲイの元でやっていくなら少々の荒事込みで注文してくる客の対応もしなくてはならないだろうし。

怪我の功名である。


そうして、そのまま坑道まで突き進んでいくかのように止まることなく駆け込んだ洞窟。

ここでも、番人たちはルシアたちが丁度、空間と洞窟の境界を越えた瞬間に見失ってしまったかのようにそれ以上は追って来なくなる有り難い誤算にほとんど近い好都合の事象が起こる。

いや、実際には目視出来ているようだけれど、彼らの行動範囲は基、侵入者の排除に動くのはどうやらこのドーム型の空間内だけらしい。

一歩でも踏み出せば、また襲ってきそうな雰囲気だが、一歩も踏み出さなければこうして静観する余裕すらくれるそうだ。


「――運が良かったわね」


「...ああ、ほんとに」


正確に状況の悪さとその可能性についても把握しておきながら、ルシアとニカノールは前方、自分たちにとっては敵の二勢力が戦う様子を眺めながら、そう言い合っていた。

傍観というよりは観察、戦況を見る目でいつ、自分たちに向かって来られても見逃さず、動けるように。

幸い、ルシアたちを追ってきた番人たちも暫ししてあちら側に加勢したことから策戦を立てる時のような熟慮をする時間がもらえている。

こちらも有効活用させてもらう。


「――うん」


「ん?...お嬢さん?」


そうして、思考回路を回す二人。

ミアも遅ればせながら、追い付いた理解を呑み込んで少しでも助力を、と頭を悩ませる。

さて、この戦況がどう転ぶとしてもその後はどうするか、と今更ながらのことまで含めたぼやきを考え事に乗せながら、ニカノールが呟いた時だった。

軽い音ながら何かを決めた、と言いそうな声で一つ、ルシアが頷いたのだ。


思ったよりも耳を刺したその音にニカノールはふとそちらに顔を向けてからちょっと後悔した。

恐る恐る声をかけるその表情は純粋な疑問をぶつける顔というより警戒だった。

だってもう、嫌な予感がするんだもの、とありありと書かれているさまにルシアは灰の瞳を寄越しながら、少し笑う。

その笑みが余計にその警戒を(あお)ったらしくニカノールの眉間に(しわ)が刻まれる。

それを見届けながら、ルシアは口角を持ち上げて、口を開いた。


「私、今からあの泉へ行ってくるわ」


「...は」


まるで、散歩にでも行ってくるという気軽さで。

洞窟まで下がろうと言った時同様の聞き間違えや読み取り間違えを許さない簡潔さで。

ルシアが言ったその台詞のあまりの暴挙にニカノールはポカンといっそ間抜けな大口を開けた顔で固まったのであった。


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