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631.睨み合いの終わりが始まりの合図


「...ミアさん!!」


再度、今度は盛大に声を響かせて、ルシアは叫んだ。

ぐい、と引き寄せるのはミアの腕だ。

搔っ(さら)う勢いで伸ばした手でその白魚の細腕に掠めた瞬間に指を曲げて、力一杯に引き寄せた。

きっと、爪がその柔肌を傷付けたことだろう。

引っ搔いたのだと分かる赤い線が入ってしまっていたとしても申し訳ないが、血が出るほどの傷になっていたら、それはとても罪悪感が募る。

今まで傷らしい傷を負ったことのない柔肌だろうから余計に。

守りに守られて、その程度の傷でも大騒ぎされていただろう彼女だから余計に。


けれども、それを気遣う余裕など、今はない。

血を流さずとも、この力の入れようではまず間違いなく掴んだ手の形に後日、暫くは消えない青痣(あおあざ)になるだろうとしても、だ。

荒々しく、無造作にそんな言葉を似合うその所業。

普段であれば、絶対にしないし、彼女が一度たりともされたことがないだろうそれ。

でも、そんなことを言っている場合じゃ、ないのだ。

今は。

だから、これはただ悪戯(いたずら)に彼女を傷付ける行為では、ない。


「ミアちゃん!」


引いた勢いのままにくるりと半回転、身長差があまりないもので到底、覆い切ることは出来ないものの、少なくとも半歩分は前に踏み出して、彼女を――ミアを腕の中に納めて、(かば)う。

挙動に引っ張られて揺れ動いた二人分のスカートの裾と(なび)く夜空と銀河の髪だけがふわりと宙に浮き上がって、軽やかにして優美だった。

それだけの緩急がそこにあったのだ。

それだけの一気の加速があったのだ。


突然の背後からのそれに対処出来ずにミアはされるがままだ。

とはいえ、暴れられたら困るから今はそれで助かったのだけれども。

余裕なんてないはずなのに、ルシアはそんなことを頭の隅で思った。

こんな時だから冴え渡す頭脳と冷静さ、走馬燈(そうまとう)にも似た常時では有り得ないほど瞬間、速度で駆け巡る思考回路。

火事場の馬鹿力。

身体が(きし)むほどの反射で突発的に動いたかと思えば、今度は思考回路だけが全てを置き去りにして、得られる情報最大限をルシアに(もたら)し、叩き込んでくる。


しかし、そんな緊急事態故の限界を越えた力を発揮したのはルシアだけではなかったらしい。

ルシアが反射でミアを引き寄せたように、背後に居たニカノールもまた、地を蹴っていた。

ずさっ、と足の負担も介さず、瞬発的な加速、瞬間的な停止。

ニカノールは半歩前、気分的には真横の位置で怖い顔を引っ提げて、思わず叫んだ名の少女とそれを庇う少女の方へ顔を向ける。

視線はぎらつくようで、戦闘モードだ。

片目でかち合ったそれが(おとり)を買って出た時のそれとあまりに同じでルシアは少しだけ息を呑みそうになったのだった。


「大丈夫、それよりも前」


「――分かってる」


何とか、持ち堪えたルシアは強張った顔に鋭くさせるだけだった瞳に意思を持たせて、ニカノールへ短く返事を返す。

ぎゅ、と握る手に力が篭ってしまったのは無意識だった。

そして、一瞥(いちべつ)だけをくれた視線は前へ。

一瞬だけを残して、ルシアはもう目をくれない。

そんな態度の主語もなければ、可愛げもない短過ぎる言葉だったが、汲んでくれたニカノールは気分を害することもなく、すぐさま(うなず)いて、前を向いてくれたのだった。

そうして、臨戦態勢を深める。


全ての神経が、集中が前へと伸ばされた。

本当はきっと、それでは駄目なのだろうけれど、ルシアもそしてニカノールも最早、お互いのことすら意識の外へ放り出していた。

ただただ前へ、全ては前へと伸ばし、張り巡らせていた。

ミアだけが反対に急停止してしまった思考回路を再起動する分の時間もあって、何一つを理解出来ていない顔でいる。

だけれど、いつもならそれに対して説明若しくは(なだ)めるように前を向ける言葉を紡ぐルシアもニカノールもミアへと視線を寄越(よこ)しはしない。


ルシアとニカノールは(まばた)きさえも致命傷になる何処かの異常生物を前にしているかの如く、ただ只管(ひたすら)に視界に納めたそれから目を逸らさなかった。

全神経を乗せながら、次の一手を打てるように追い付いた身体を動かす。

足はまだだ。

逃げを打つにも、対峙している状況の中では悪手にしかならない。

じりじりと一定距離は保ったまま、動かすのは腕のみ。


首は視線の為に固定済みだった。

不用意に動かして隙を作る訳にはいかない足には力を入れていつでも地を蹴れるように準備だけを十全に(ほどこ)している。

今なら、先程の反射神経だって再び叩き出せるだろう。

火事場の馬鹿力は(いま)だ継続中、そのくらい集中力が高められているのを何処か他人事のようにルシアは状況把握の一つとして、脳で処理をする。


ゆらり、視界の先で揺れたそれはルシアたちを囲むドーム型の壁と、その岩肌と同じ色をしていた。

ゆらり、ゆらりとそれは増える。

緩慢な動きは決して、ガタガタと油の切れた人形のようにギクシャクとしていない。

けれども、それは確かに硬質的だった。


「......っ」


きらり、きらりと輝く対のそれら。

いっそ、この空間のように美しいのが恐ろしい。

一見して、宝石にしか見えないそれは同じく、見ただけで分かるそれらの目だった。


幼き日の少年二人が出くわした生き物ならざる生き物。

鉱石の身体、無機質でいて異様に光る双眸(そうぼう)に駆動せんとする動きだけが滑らかで躍動溢れるそれは一瞬でも気を抜けば、飛び掛かってくるのだろう。

でも、そこに宿る意思は(うかが)えない。

そもそも、そんなものが宿っているのかさえ。

普通の獣とて、言葉が通じることなんて稀で、この状況下ではないに等しいものだとしても、読み取れるものというのは少なからずあるはずだ。

だって、生き物なんだから。

何をするにも予備動作があり、反射的なものでなければ思考回路が先に来る。

なのに、目の前のそれらには動いているのにも窺えなくて、これは気持ちが悪いというほかなかった。


「......ミアさん、落ち着いて聞いてちょうだいね」


「っ、...!」


瞳が(かわ)くのも構わず(まぶた)を決して下ろさないルシアはキュッと、今度は意図的にそして気遣う優しい強さでミアの手を握った。

そうして、告げるのは言い聞かせるような厳格で優しい声だ。

ミアはやっと起動完了、動き出した頭でそれを処理する。

こくん、と頷いた空気の揺れを顔のすぐ横で感じたルシアは気持ち凛と背筋を伸ばした。


()()が出て来た場合、どうするのか。話した内容は?」


「お、覚えています」


「よろしい」


ルシアは静かに言葉を紡ぐ。

まるで、何かの出題のような問いかけ、ともすれば、定型文的な言葉。

用意していたままを口に出したようなそれはまさしく、前以て話していたことがあったからこその再確認の為の言葉だったからだ。

すっと細められた灰の瞳をミアは見やった。

こちらに向けられていないだけでルシアの細めたその瞳が自分に向けられてのものであることを感覚的に理解したミアはちょっとだけ緊張した面持ちでそれに是、と答える。

そして、それを受け取ったルシアの言葉はまるで、問題そのものに関わらず、逃げずに立ち向かおうとしたその姿勢が正答そのものであった、と生徒のやる気を喜ぶ教師のそれで、より先述の言葉を出題へと変えていたのであった。


だけれど、それが何よりも頼もしい、とミアは自然に背筋を伸ばした。

混乱もなければ、脳は思考は正常に動くようだ。

凛と立った少女にルシアは不敵な笑みを浮かべる。

ニカノールは刃欠けも恐れず、予備として持っていたナイフを片手に立っていた。

対峙するあれらもまた、こちらに視線を伸ばしている。


ルシアはそっと包み込んでいたミアを解放する。

そのままではどちらにとっても動きづらいからだ。

本当の万全を図るなら、手も離していた方が良かったが、これが心の拠り所になるだろうとばかりに固く結んだままだ。

じり、じり、と誰一人動かないままの持久戦の予感。

けれども、一歩でも揺らげば表面張力(よろ)しく決壊してしまうだろう緊張感がピリピリと肌を刺していた。

そうして、倒れせるのかも分からない番人と呼ばれるそれらを相手に戦闘の火蓋(ひぶた)が切られようとしていたのであった。


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