619.らしくはない、その選択(後編)
ルシアが告げたのはあの洞穴へ入ること。
ルシアらしからぬ、その愚行をそもそも口にして提示してみせることが異様そのもの。
そんなことはルシアだって分かっていた。
現状、どういった選択肢を取っても危険は付き纏う。
そう、今、ルシアが考え得る選択肢の全てが。
その中でも一番、真面で有効だろうというものでさえも。
――それだけ、状況は緊迫しているということ。
でも、だからといって、その選択肢が尤も危険を冒すものであることを。
そのリスクに対する成果がほとんど、どころか、ないに等しいということを。
ただただ不利益しかない選択肢、と言っているけれど、実質は最大の不正解として比較の為にあるようなそれ。
消去法なら真っ先に外される見当違いの選択肢。
「――勿論、これを選んで何になるの、ということは尤もなことだわ。そうしたところで無駄でしかない。それどころか、自分たちの首を絞めるようなもの。到底、同意してほしいなんて言えるものじゃないのはよく分かっているの」
それだけ言って、ルシアは押し黙る。
分かっている、ルシアはそう噛み締めるように言うのにその表情はまるで、だけども、と言葉を続けたいとしているようでもあり、それでも告げないとしているようでもある。
別にルシアは告げまいとして、言葉を噤んだのではなかった。
説明しなければ、何事もましてや、こんな荒唐無稽の上に明らかな愚行を頷いてもらえるなんて、そんな生易しいこと、思えるはずがない。
だけども、理由を滔々と説明する気にはどうしてもなれなかったのである。
紡ごうとしても、言葉が一つとして形にならなかったのである。
普段、あれだけの理論武装を成し遂げるルシアとあろう者が。
正直な話、ルシアはこの提案を二人にしながらも自分がどうしたいのか、ということを全くと言って良いほど分かってなかった。
自分のことなのに、という言葉はルシア自身が一番、自分に対して言いたいことである。
それだけ過去最大に己れの感情を形容出来ないのである。
頷いてもらいたいのか、それとも否定してほしいのか。
他でもないルシアのこと、冗談を言う場面でない以上、口にするのは同意を取りたい事柄のはずであった。
その為なら説明を惜しまないし、その気にさせる為に尽力を尽くす。
時にはずるいと知りながら、上手く良い面を伝えて、頷かせる。
勿論、その分だけ損は絶対にさせないし、させたとしてもそれ相応の見返りを返せる手腕がルシアにはあり、実際にそうやってきた。
ルシアは自分が何でも出来るとは思っていない。
むしろ、出来ないことは多い。
ルシアは自分が竹を割ったような性格をしている自覚はあっても、常に迷いなく、正しいと突き進む自信を持っていない。
たとえ、他人からすれば、十分持っているように見えていようが、ルシア自身にとっては。
不器用であるところもある。
だけども、過程は何であれ、掴みたいと望んで一生懸命に手を伸ばしたことに関しては気運がそうさせるのか、それともその姿勢がその気運を引き寄せるのか、大体のことがひとまずは満足のいく結果を得られるという面では要領が良いとも言える。
とはいえ、それもどういった理屈か、と言われれば、ルシアには全く確固たる説明のしようもないのだけれども。
ルシアは効率主義の合理主義に基づいた行動をよく取る。
ご存じの通り、理屈を捏ねるのは得意で哲学的なことを考えるのもそれらを討論するのも好きだ。
討論の場に限っては敢えて、場を乱すようなことを言って、話がどう飛躍していくのか、それすらも楽しむ根っからの討論家。
多分、ルシアが結果を引き寄せるのもその勢いある思考と行動だけでなく、こうした常識だったり、理屈だったりするものも使う時は余さず、使うから。
その上で時には何の利益にもなりはしない損ばかりの感情論も荒唐無稽で行き当たりばったりな型破りさも持ち合わせている。
良くも悪くもそのアンバランスさがルシアの骨格であった。
だが、一つだけ言えることがある。
アンバランスでありながら、ぶれないルシアは一つ信念ともいうべき芯を持っている。
ルシア自身はそれをそうと認識などしていないし、それを絶対的なものとも思っていない。
けれども、ルシアは常に自分自身の意思を貫くことを忘れなかった。
頑固に真っ直ぐ曲げない心も途中で複雑怪奇に折れに折れて流されているようにしか見えない態度であっても、もし、それが納得出来ないと思ったなら、ルシアはきっと頷かないし、許容しない。
つまり、ルシアが見える頑固であり、柔軟である部分はその芯があるからこその絶妙な共存であった。
尤も、そうしたことをルシアは一向に理解していないけれど。
そう、ルシアは本来、普段から自分のことなど分かっちゃいない。
だけども、今回のこれはその上でどうしようもなく、異端であったと言える。
根幹たるべき部分が形になり切る前に口からまろび出たそれを、口に出してから得心を覚えることはあれど、口に出してしまったというのに得心を得ることは疎か、違うと否定するでもなく、自分の在り方さえ分からないような心地になることなんて、今までのルシアには良くも悪くもなかったことだった。
衝動というには確信的に口にした。
けれども、それにどう反応してほしいのか、ルシアはまるで分からない。
頷いてもらいたいのか、それとも否定か。
蟠りがある以上、そして口に出した提案が提案な以上、無茶を言っていると自覚がある以上、ルシアはあっさりと頷かれてしまいたくはない。
そこだけは分からないなりにきっかりと感じた感情である。
だから、そんなことをされてしまえば、本当にしっかりと考えてのことか、と正気なのか、と自分が提案したのにも関わらず、二人に詰め寄ったことだろう。
しかし、笑えない冗談だと苦笑いされるのも眉を顰めてきっぱり否定されるのもそれが当たり前の反応であると認識しながらもそうされるのはルシアの中ではしっくりこなかった。
つまりは頭越しに否定されたくないということ。
何故か、と問われると今のルシアには何となく、そうしてほしくないとしか言えないだろう。
じゃあ、やっぱり頷いてほしいのかと言われれば、それにもルシアは唸ってしまうだろう。
きっと、どちらの反応にも心の何処かが引っかかってすっきりしない。
きっと、納得のいく答えが別にあるとでも言うように。
それこそが、普段ならば尽くす言葉を一切、紡ぐことを出来ずに説明一つなければ決して頷かないだろうその提案だけを宙ぶらりんに差し向けた理由なのではないだろうか。
ルシアが自分の今の気持ちをさっぱり分かっていないことの証明ではないだろうか。
それでもはっきりと言えるのは普段通りではないとはいえ、ルシアがルシアであることと少なくとも、その愚策たる提案をそれでも口に出そうという意識は働いたという事実。
事実もまた、事実であって変わりいくものではない。
これを深く考え突き詰めていけば、何か分かるのだろうか。
そっと伸ばされた糸口を、己れの感情の端を掴むことが出来るのだろうか。
そして、それが出来たなら、この何にも納得のいかない据わりの悪さが少なからず、緩和されるのだろうか。
しかし今、それを深く深く沈み込むように、思考の海へ浸る時間も余裕もない。
手放していられるほど現実は優しい状況ではない。
ましてや、ここに王子は居ない。
「行きたいの、...?ううん、行かなくちゃ......いえ、行く、べき」
ルシアはぐるぐると回るだけでどうしようもないそれをどうにか形にしようとして絞り出す。
だけども、やっぱりしっくりこないそれらはどう組み替えても自分の本心ではないようだった。
しまいには行かなくても、と全く正反対のことを口走る。
「ルシアお嬢さん」
「ルシアさん」
揺れるルシアに終止符を打ったのはルシアを呼ぶ二つの声だった。
ルシアは言葉を選ぶうちに彷徨わせていた視線をその声にはた、と正面へ向け直す。
そこには自分よりもずっとはっきりとした二色が真っ直ぐに自分へと伸ばされていた。
ルシアは音にならない声で淡く、彼らの名を紡いだ。
それでも彼らは――ミアとニカノールは僅かに震えた唇の意味を汲み取って、まるでルシアを勇気付けるかのように微笑んだ。
ルシアはその形作られた表情を呆然と見やった。
まさか、その二人が二人して、いつもと逆だな、とルシアの年相応の顔を見て状況も忘れて微笑ましく思っているなんて、思いも寄っていなかった。
「大丈夫ですよ」
「!」
優しい、いっそ甘過ぎるほど優しい声音でそう言ったのはミアであった。
普段とは逆で同い年には見えない包容力を見せるミアは今までで一番、ヒロインに見えた。
ルシアは知らず、こくりと息を呑む。
「うん、大丈夫」
続いたのはニカノールである。
ミアと同じ言葉、理屈も何もあったものではない、ただの慰めにも等しい言葉。
けれども、背中を全力で押す言葉でもある。
ルシアははし、はしと目を瞬かせた。
そうしてやっと、緩やかに二人につられるように笑みを浮かべる。
その顔はもう、普段のルシアのものと相違なかった。
ルシアは何だかもう何をそんなに据わりが悪いと感じていたのか分からない心地の軽さでもう一度、今度ははっきりと二人と目線を合わせるように見やった。
そうして、これは提案でも何でもないルシア個人の所感だと前置きをして、再び口を開いた。
先程までと打って変わって、するりと零れ出る言葉は滑らかだった。
「――聞いてくれる?」
ルシアの問いかけにはい、と二つの返事が届く。
ルシアはそれに悠然と思わず、微笑んで自分のままならない感情を解きほぐすかのようにつとつとと明言化を図ったのであった。
上手く纏まらず、ぐっちゃぐちゃです...それで前後編に変えました。
こんなんだから、遅々として展開進まないんだよ、馬鹿。




