611.彼らにとっても、それは難関(後編)
※引き続き、カリストの視点になります。
そうして、今に至る。
いくら、鍛えている凄腕の騎士とはいえ、純粋に男女の差はどうしてもある。
どちらが劣る、という話ではなく、純粋な腕力や体力面、身体の造り自体がそういうものなのだ。
カリストたちもまた、同じく武を納めた者ということもあり、比較的すぐに女騎士に追い付き、呼び止めることに成功した。
呼び止めたそこでまず、カリストはこの小道の特異性を説明した。
どうやら、この国にそのような人を惑わす道があることは何処から聞いていたのか、思い出すような素振りを見せつつ、女騎士はここが、と呟きながら、とうに途切れた道標を思い出して、顔を青くさせた。
当然ながら、その名を堂々と冠しているこの惑わしの小道に道標は何の役にも立たない。
一体、何処へ消えているのかと不思議に思うが、道標を付けていても途切れてしまうのである。
それもあれだけ注視して追っていたのに気が付いたらいつの間にか、という有り得ないはずの曖昧さも持って。
この場所には惑わされないという事象は基本、存在しない。
例外は裏通りの住人、そして追えるのは視界から外れないうちの人間のみ。
その人間が見えているうちならば、目印も目印として機能する。
本当に不可思議な場所である。
女騎士はそこまで詳しい話を知っていた訳ではないらしかったが、そうした説明を行わずとも、自身の取った行動が愚行だったということは理解したのだろう。
続いた謝罪を簡単に流したのは敢えて取り上げるほどのことでもなく、済んだこととして処理したからだ。
理屈を知っていたとしても思わず、身体が動くということに身に覚えがない訳でもない。
確かに時間の無駄を省くべきという考えは根底にあるが、事が思い通りに進まないこともまた、よくあること。
カリストはそれらに関して、良しとする訳ではないけれど、起きたからと言ってそれにいつまでも囚われずに思考を切り替えるすべを既に身に付けていた。
元より、カリストはあまり人を咎めたりしない。
場合によってはそれらしく振る舞う必要があることも礼儀というものがあることも理解している為に声を大にして、誰にでもそれを周知させるようなことはしていないが、実際にそのような場面となった時には余程のことでなければ、そうか、の一言で謝罪を受け入れ、終わらせる。
完全にルシアの影響である。
だが、その慈悲もただ全てを許すのではないきちんとした線引きによる割り切りも王たる者には必要な素質でもあった。
当人たちがそれに気付いているかは別として。
カリストはフォティアたちと話をしながら、女騎士からも何があったかを聞く。
突然のことに目を白黒としていた女騎士はそれでも騎士らしく、すぐに態勢を整えて、ぽつりぽつりとではあるが、報告をしてくれた。
そして、聞けたのはまぁ、ほとんど予想通りの惨状である。
本当はどうか、当たって欲しくなかったが。
ルシアが居るので土台無理な話、と片付けられてしまいそうになるのをどうにか、抑える。
本当に、それは癪なので。
入口に血痕があったことも女騎士が急いだ理由だったようだと話を聞いていくうちに判明した。
カリストたちも実はあの土壇場で目敏くそれを視界に納めて、記憶しており、より同意を深くする。
確かにあれを見れば、慌てるのも無理はない。
この場に居る全員の予測であれば、あれはニカノールのもの。
数歩、遅れて辿り着いたイオンが浮かべた見解と寸分違わないものである。
しかし、あの一瞬でそれへ考え至る前に駆け出してしまうのも、もしかしたら自分の主のもの、と恐ろしい想像をしてしまうのも致し方ないこと。
カリストとて、あの一瞬、もしルシアのものならば、と思考を止めた。
勿論、ニカノールのものである可能性が高いからと言って、それが良かったと思える事象である訳ではない。
ニカノール自身の心配も、そしてそれが起こるという状況だったということもどちらの意味でも。
だからこそ、謝罪よりも行動を。
「まずはここを出よう。近くの民家には詳しい者が一人くらい居るはずだ」
近しい場所に居るからこそ、こんな街外れでも少なからず、裏通りの住人と顔見知りであるはず。
カリストの考えそんな安易なものと言われても仕方のないものであったが、的を射ているとも言えることだった。
最初に惑わしの小道へ足を踏み入れた時と事前情報に差があれど、やっていることはほとんど同じ。
今、数少ない手札で打てる手としても、そう悪くはない。
カリストの声に全員が元々、緩んでいた訳ではないが、顔をもう一度、引き締め直して、頷き合い、同意を示すように号令を待つようにカリストへ視線を返してくる。
ルシアたちのことは勿論のこと、ニカノールもそしてイオンも今、どうしているのか。
慌てて、物事を見逃してはならない。
冷静さを欠いては話にならない。
けれども、その範囲内で動ける限りの迅速さで。
そうと決まれば、と踵を返して行動に移す――その時だった。
誰もが心を次にやるべきことへ向けていた。
まずは表通りへ、その意識が念頭にあった。
そして本当ならば、そのまま実行されていたはずだった。
「......」
「殿下?どうされました」
それを止めたのは一つの声。
微かに聞こえたそれに足を止めたのはカリストだった。
他は聞こえていないのか、気に留めていなかったのか、カリストの反応に不思議そうにしながらも周囲を警戒した様子で代表したフォティアが声をかける。
しかし、カリストはそれに応えない。
応えずにカリストがしたのはそのまま顔を上げること。
空を、もう既に夜に落ちて星すら見えてきそうな空を見上げること。
まるで、何かを探すように。
奇しくもそれはルシアたちの元へ行こうと決めたその時と同じ行動。
その時は、すぐに顔を下ろしてカリストは再び足を踏み出した。
何かを感じ取ったものの、曖昧なそれにそれ以上の意識を割くほどでもないと割り切って。
けれども、ここから先は前回同様とはいかなかった。
カリストはそのまま、空を見上げ続けたのだ。
ぼうっと眺めるのではなく、意図して何かを探すように闇夜に見えづらい中、それでも目を凝らして。
「――!」
いよいよ、フォティアたちが不審気にカリストの見上げる空とカリストをと、交互に視線を動かし始めたその時。
――ピィ。
次こそ、もっとはっきりと聞こえたそれにカリストは目を見開く。
闇夜、闇夜、その姿はまだ見えない。
けれども、声を頼りに視線を彷徨わせれば。
「――居た」
思わず、そう呟いたカリストの視線はしっかりと一つに固定される。
夜の空、黒一色の中でそれでも尚、見つけてしまえば目立つ白色。
それはこちらに飛来するように次第に大きくなる。
誰の目にもそれが何であるか視認出来る距離、けれども手は届かない絶妙な位置でぴたりと滞空したそれはカリストもしっかりと見るのは初めてのこと。
しかし、何の疑いも持たずにカリストはそれに――フキョウ、と声をかけたのであった。




