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585.己れの安全だけを取るの?


祈りの声はしん、と静かに溶けていく。

余韻すらも曖昧になってきたところで、ルシアはミアに休憩を申し出た。

今の今まで、勝手な都合で連れ回しておいて、随分なことだが、ミアは気にした様子もなく、それどころか、何処かほっとした顔でルシアを見上げて、こくりと(うなず)いた。


二人して、向かい合わせに壁を背を預けて、休憩に入る。

さすがに座り込んだりはしない。

けども十分、休憩の形相にはなっていた。

ほう、とルシアは息を吐く。

今やっと、張り詰めていた緊張が(わず)かに緩んだ、そんな息の吐き方であった。


「......」


沈黙が、続いているのはルシアがミアと視線を合わさないからであろうか。

ルシアは静かに(まぶた)を下ろし、目を閉じていた。

それは落ち着いた己れの思考回路をゆっくりと正常に回す為の行為でもあったが、ミアからすれば、酷く集中しているようにも見えるその姿は非常に声のかけづらいものであっただろう。

しかし、現に冷静に状況判断を、策戦を立てることの出来る思考回路を手中に戻す為に再起動に掛かり切っていたルシアはある意味、集中していて、ミアの様子にまで気を配っていなかった。

先程からこんなことばかりである。

だが、ルシアは気付かない。


ルシアはやや(うつむ)きがちに(あご)を引いていた顔で薄く瞼を押し開いた。

当然、少々狭めの視界に映るのは話しかけて良いものかと可愛らしい小さな口を開閉するミアではなく、古びて所々に(ひび)や破損の目立つ石畳である。

よくこれに足を取られずに走れたものだと考えながら、ルシアの思考が追っていたのは今後のこと。


ここに居るのはルシア自身とミア。

言い方は悪いが、ミアに何かが出来るとは思えない。

というよりはさせてはならない。

そう思うルシアは(はな)からミアを守るべき対象として、非戦闘員として見なし、今も基準は彼女をどうやって傷付けることなく、問題を解決または前に進むか、で考えている。

よって、こういった状況下で楽観的に構えていられるほど場数を踏んでいないルシアは完全に自分一人の力の及ぶ範囲で出来ることを考えていた。


しかし、ルシアとて頭脳面では()だしも、こういった状況を打破する為に必要な力となれば、物理的な方面が圧倒的に足りていない。

どちらが欠けていても、上手くやって退けるには相当の努力と相手を出し抜けるほどの強力さが必要な訳で、さすがのルシアでもその域に達するには情報という資材も時間という猶予もない今では難しい。


元より、ルシアは天才ではなく、秀才の部類である。

今まで上手く立ち回ってこれたのも人より遥かに多い情報量で(まかな)ってきただけのこと。

それが封じられてしまえば、ちょっと頭の回る小娘でしかない。

今のルシアでは出来ることが非常に限られていた。


けれど――。

ルシアは鋭く足元を(にら)み付ける。

次に脳裏へ浮かんだのはやっぱり、残してきた者たちのことであった。


彼らは今、どうしている。

敵は一掃出来ただろうか、それとも(いま)だに戦闘中?

どちらにせよ、ここに居てはニカノール以外とはまず合流は出来ない。

ニカノールがルシアたちを逃がした後、上手く惑わしの小道内に入って、敵を撒いてイオンたちを合流して、こちらに向かってきているのなら話は別だが、そんな確率にすれば一体、どれほどのものなのか。


裏通りの住人であるニカノールとは合流出来ると言っても、彼の状態が分からぬ以上は期待し過ぎる訳にもいかず、何より出来る、とだけで実際に合流しようとすれば、この小道内を探し回ってルシアたちを見つけなければならないのである。

何も、彼らは小道内に居る人の居場所を把握出来るすべを持っている訳ではないののだ。

ただ、小道内でも同行していない他人と鉢合わせることが出来る、というだけ。

要するにルシアたちと合流するにはほとんど(しらみ)潰しに当たる他ないのである。


この場合、ルシアたちが一か所に留まったとしても、何のヒントもないのだから早く合流出来るか、出来ないかは完全に運だ。

だからといって、音を聞きつけてもらう為に歩き回るのもすれ違いを生む可能性が高く、現実的ではない。


後はこの場で声を出して報せるという方法。

これは敵には聞こえているか聞こえていないか、ルシアには分からないので何とも言えないが、その声が聞こえたとして、辿り着けやしないので安全策と言えば、安全策である。

しかし、これはルシアたちからも彼らが近くに居るか分からない以上は継続して行わなければ、効力として非常に薄いものである。


とはいえ、ずっと続けるというのも体力消費が激しいのも事実。

少女二人にはかなりの負担である。

それ以上に、その声が敵に届かなかった場合、それがニカノールたちにも届かない保障は何処にもないのだ。

完全な無駄骨になる可能性も否定出来なかった。


きっと、合流には時間がかかる。

というより、それそのものが現実的ではない。

ルシアたちが惑わしの小道から表通り側へ出る、という選択肢も確かにあるが、外で敵が待ち構えていないという保障が何処にもない以上は、そんな無謀にもほどがある行為には出られない。


しかし、ルシアたちだけではこの惑わしの小道を抜けられない。

ニカノールの案内がない以上は進めない。

きっと、ルシアたちがここでゆっくりしていても敵は永遠にこの小道内を彷徨(さまよ)うだけだろう。

裏通りに抜けることはまず有り得ない。

ここに掛かっている魔法が弾いてしまうから。

ここの魔法はあれらを決して奥に通しはしない。

そして、ルシアたちもまた通してはもらえない。


でも、だからといって。

だからといって、このまま何もせずに状況が次々に動いているだろうこの状態で悠長に待っているのか?

これにルシアが是、というところを多分、誰も信じない。


抜けることが一番という訳ではないだろうことも承知だった。

ここが踏み込めば十中八九、囚われてしまう迷宮でありながら、安全性の観点から言えば、申し分ない場所であることも知っている。

けれども、この状況下で。

何も把握出来ずに終わるまで待つなんて。


今の合間にも状況が刻一刻と移り変わって、もし万が一にでも身内とした者たちが大きく傷付けられていたならば、ルシアはきっと憤怒する。

敵に、何より何もせずに居た自分自身に。

駆け付けたところで出来ることはなく、足手(まと)いでしかなかったとしても。

そう、これは完全なるルシアの自己満足だ。


ルシアは今度こそ、顔ごと視線を上げた。

こうすれば、正面に居たミアの顔がよく見えた。

ずっと一緒に居て、手まで繋いでいたというのに、顔を見るのは何だか酷く久しぶりな気がした。


ミアはルシアの視線を受けて、その真剣さにか、心持ち背筋を伸ばしたようだった。

あまり(おび)えが見受けられないのは幸いであろうか。

それはルシアが手一杯になりながらもこの小道の特異性を、撒いた敵がもう襲ってくることはないと説明したからなのだろうか。

もし、そうなら今から口にする言葉はミアにとって、とても辛いことを要求するものとなる。


「ねぇ、ミアさん。聞いて。これは大事なことよ」


薄暗い小道の中、周囲には当然ながら誰も居ない。

そんな中でルシアはそれそのものが光源であるとでもいうようにきらりと瞳を輝かせて、ミアに語り掛けるように口を押し開いたのであった。


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